《尾形修一の紫陽花(あじさい)通信から》
◆ 「常識研修」のススメ
「教員免許更新講習」は「教育の最新事情」(必修)と「教科指導、生徒指導その他教育内容の充実に関する事項」(選択)になっている。前者が12時間、後者が18時間という設定である。
どちらも大学等が開講する講座を自費で受講することになっている。
しかし、前者は校内研修や教育委員会の研修と同じだと評判が悪い。だから、その部分は校内研修などをポイント化して10年間で貯めていけばいいというのが前回の趣旨。
問題は後者なんだけど、これはなかなか良かった、役だったという声も多い。先に紹介した「教員という人生」(朝比奈なを)でもそういう感想が出ていた。
また開設する大学にとっても貴重な収入源になってしまって、いまさら止められては困るというのが実態だろう。僕はこの部分は継続しても良いのでは無いかと思う。ただし、「ポイント化」とともに「内容の拡充」が必要だ。
教員はの中には多忙の中で学びを放棄したような教師もいると思うが、それでも自費で様々な学会に出席したり、教育研究団体に参加する人は多い。
学会に参加するのは「教科指導の充実」に間違いなく寄与する。10年間に何度か参加してポイントを貯めれば、研修をクリア出来る。
ただの聴講者ではなく、報告者だったりすれば、ポイントはさらに高く出来る。教育委員会の関連研修、研究授業などもポイントに出来る。
そうなれば、ある年に集中的に大変になることなく、教科や生徒指導などの専門的研修を自ら受ける動機付けになるのではないだろうか。
しかし、ここで本当に書きたいのはそういうことではない。今行われている更新講習は、要するに「研究」である。研修のうち「修養」の部分はどうするのか。
「修養」という言葉は、古いイメージがある。「修養団」という名の団体もあって、戦前から続く「日本精神」の右派団体である。伊勢神宮前の五十鈴川で「みそぎ」の企業研修をやったりしている。
それは別にしても、「修養」と言われると、山寺に籠もって座禅するようなイメージがある。もちろん、僕はそういうことを勧めているのではない。教師は人と接する仕事だから、自分だけ「悟り」を開いても仕方ない。
多くの生徒や保護者が教員に望むことは何だろうか。
授業や部活の優れた指導者であることは、確かに望ましいことだろう。でも、中学・高校は教科担任制なんだから、教えている10人ほどもの教師が、みんなリーダー教師であるはずもない。授業も大事だけれど、何といっても教師に望むのは「学級担任が相談しやすい」ことだろう。
特に進路決定を抱える中学3年、高校3年の時の担任が、話しづらい教師だったら困る。怖すぎる人、いい加減な人も生徒は大変だけど、それ以上に「相談できない」タイプだったら本当に困る。
そういうタイプの教員、一言で言えば「同僚として付き合いづらい教師」はかなりいるのではないか。どんな学校にも少しはいると思う。
まあ事務的にメチャクチャじゃなければ、生徒も学年の同僚教師も何とか我慢してやり過ごしている。精神的に危うい場合も多く、ウツ的な症状が感じ取れる場合は「病気」なんだから、これは仕方ない。学期中に休職になるケースもほとんどの教員が一度は見聞きしているだろう。
しかし、そういうことではなく、「マジメすぎる」「硬すぎる」とか、「防御的反応が強い」「生徒を追い詰める」などの教員である。
教師は成績のいい人ほど、大学卒業後すぐに採用されるから、学校以外の場を知らない。(だから管理職試験合格後に「異業種体験」などのプログラムが組まれたりする。)世の中は大きく変わっているけど、教師だけは学校で勉強すればいいんだと思ってたりする。
昔は大学も成績順で試験を受けて合格すれば良かった。今はAO入試、自己推薦など大学入試も多様化した。高卒での就職も、昔は学校でマジメにしてれば一生の仕事をあっせんされた。もうそういう時代は遙か昔である。
教師が「人間通」で「相談力」が高くないと、生徒が困る。教師が推薦書を書く機会も非常に多くなっているから、教師の文章力も試される。
だけど、「付き合いづらい教師」にふさわしい研修はあるのか。それはないだろう。ただし、様々な体験を通して見聞を広げるということは人間の幅を広げる役に立つと思う。
多くの教師は自ら「趣味」という形で、自分の世界を広げている。しかし、旅行をしてもそのままになっていることが多い。海外旅行の経験をまとめて(文章じゃなく、映像でまとめてもいい)、授業やホームルームで生かす。
それを「広い意味での研修」ととらえてポイント化する。そういう「研修」をある程度義務づける方がいいのではないかと思うのである。(そうすれば「夏休みの自主研修」も昔のように可能になる。)
どんなケースがあるかというと、
災害ボランティア、
サマーキャンプ等の引率、
演劇や映画のワークショップ参加、
地域のボランティア団体への参加、
福祉施設や様々な団体への体験参加
などなどである。
そして大学ばかりでなく、専門学校も「教員向け体験講座」を開いて欲しいと思う。進学校以外では、専門学校への進学が多い。
保育士、美容師、調理師などは昔からあるが、
今は動物、鍼灸・マッサージ、スポーツや
音楽の裏方、声優やミュージカル俳優、ネイルアート
などホントに多くの学校を希望する。
教師はあまり知らないと思う。大学での専門研究もいいが、そういう専門学校を体験するのも面白そうだと思う。そういう体験を10年間に2回ぐらいしても良いんじゃないかと思うのである。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2021年06月02日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/4440eb72840eebd6b6d7f35762045f5f
◆ 「常識研修」のススメ
「教員免許更新講習」は「教育の最新事情」(必修)と「教科指導、生徒指導その他教育内容の充実に関する事項」(選択)になっている。前者が12時間、後者が18時間という設定である。
どちらも大学等が開講する講座を自費で受講することになっている。
しかし、前者は校内研修や教育委員会の研修と同じだと評判が悪い。だから、その部分は校内研修などをポイント化して10年間で貯めていけばいいというのが前回の趣旨。
問題は後者なんだけど、これはなかなか良かった、役だったという声も多い。先に紹介した「教員という人生」(朝比奈なを)でもそういう感想が出ていた。
また開設する大学にとっても貴重な収入源になってしまって、いまさら止められては困るというのが実態だろう。僕はこの部分は継続しても良いのでは無いかと思う。ただし、「ポイント化」とともに「内容の拡充」が必要だ。
教員はの中には多忙の中で学びを放棄したような教師もいると思うが、それでも自費で様々な学会に出席したり、教育研究団体に参加する人は多い。
学会に参加するのは「教科指導の充実」に間違いなく寄与する。10年間に何度か参加してポイントを貯めれば、研修をクリア出来る。
ただの聴講者ではなく、報告者だったりすれば、ポイントはさらに高く出来る。教育委員会の関連研修、研究授業などもポイントに出来る。
そうなれば、ある年に集中的に大変になることなく、教科や生徒指導などの専門的研修を自ら受ける動機付けになるのではないだろうか。
しかし、ここで本当に書きたいのはそういうことではない。今行われている更新講習は、要するに「研究」である。研修のうち「修養」の部分はどうするのか。
「修養」という言葉は、古いイメージがある。「修養団」という名の団体もあって、戦前から続く「日本精神」の右派団体である。伊勢神宮前の五十鈴川で「みそぎ」の企業研修をやったりしている。
それは別にしても、「修養」と言われると、山寺に籠もって座禅するようなイメージがある。もちろん、僕はそういうことを勧めているのではない。教師は人と接する仕事だから、自分だけ「悟り」を開いても仕方ない。
多くの生徒や保護者が教員に望むことは何だろうか。
授業や部活の優れた指導者であることは、確かに望ましいことだろう。でも、中学・高校は教科担任制なんだから、教えている10人ほどもの教師が、みんなリーダー教師であるはずもない。授業も大事だけれど、何といっても教師に望むのは「学級担任が相談しやすい」ことだろう。
特に進路決定を抱える中学3年、高校3年の時の担任が、話しづらい教師だったら困る。怖すぎる人、いい加減な人も生徒は大変だけど、それ以上に「相談できない」タイプだったら本当に困る。
そういうタイプの教員、一言で言えば「同僚として付き合いづらい教師」はかなりいるのではないか。どんな学校にも少しはいると思う。
まあ事務的にメチャクチャじゃなければ、生徒も学年の同僚教師も何とか我慢してやり過ごしている。精神的に危うい場合も多く、ウツ的な症状が感じ取れる場合は「病気」なんだから、これは仕方ない。学期中に休職になるケースもほとんどの教員が一度は見聞きしているだろう。
しかし、そういうことではなく、「マジメすぎる」「硬すぎる」とか、「防御的反応が強い」「生徒を追い詰める」などの教員である。
教師は成績のいい人ほど、大学卒業後すぐに採用されるから、学校以外の場を知らない。(だから管理職試験合格後に「異業種体験」などのプログラムが組まれたりする。)世の中は大きく変わっているけど、教師だけは学校で勉強すればいいんだと思ってたりする。
昔は大学も成績順で試験を受けて合格すれば良かった。今はAO入試、自己推薦など大学入試も多様化した。高卒での就職も、昔は学校でマジメにしてれば一生の仕事をあっせんされた。もうそういう時代は遙か昔である。
教師が「人間通」で「相談力」が高くないと、生徒が困る。教師が推薦書を書く機会も非常に多くなっているから、教師の文章力も試される。
だけど、「付き合いづらい教師」にふさわしい研修はあるのか。それはないだろう。ただし、様々な体験を通して見聞を広げるということは人間の幅を広げる役に立つと思う。
多くの教師は自ら「趣味」という形で、自分の世界を広げている。しかし、旅行をしてもそのままになっていることが多い。海外旅行の経験をまとめて(文章じゃなく、映像でまとめてもいい)、授業やホームルームで生かす。
それを「広い意味での研修」ととらえてポイント化する。そういう「研修」をある程度義務づける方がいいのではないかと思うのである。(そうすれば「夏休みの自主研修」も昔のように可能になる。)
どんなケースがあるかというと、
災害ボランティア、
サマーキャンプ等の引率、
演劇や映画のワークショップ参加、
地域のボランティア団体への参加、
福祉施設や様々な団体への体験参加
などなどである。
そして大学ばかりでなく、専門学校も「教員向け体験講座」を開いて欲しいと思う。進学校以外では、専門学校への進学が多い。
保育士、美容師、調理師などは昔からあるが、
今は動物、鍼灸・マッサージ、スポーツや
音楽の裏方、声優やミュージカル俳優、ネイルアート
などホントに多くの学校を希望する。
教師はあまり知らないと思う。大学での専門研究もいいが、そういう専門学校を体験するのも面白そうだと思う。そういう体験を10年間に2回ぐらいしても良いんじゃないかと思うのである。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2021年06月02日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/4440eb72840eebd6b6d7f35762045f5f
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