◆ 杉田議員のLGBT差別発言と『新潮45』の休刊
~現代日本の差別の土壌 (週刊新社会)
◆ つまり「生産性」がないのです、と書く
杉田水脈議員のLGBT差別発言が、批判殺到の上、ついに新潮社の雑誌を休刊にまで追いやった。発端は、今年8月『新潮45』に掲載された杉田氏の論文だ。
杉田氏は、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と書いた。この段階で批判が相次いだものの、杉田氏の謝罪もなければ、自民党内でも何のお省め無しであった。
その上、同誌10月号で、特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」が組まれ、杉田氏擁護の記事7本が掲載され、保守派論者が擁護論を繰り広げた。なかでも、小川榮太郎氏の論文が、痴漢(性的嗜好)とLGBT(性的士筒)を同様に扱った、酷すぎる差別的内容で、批判が殺到した。
この特集が決定打となり、作家たちが次々に新潮社との関係を断つ発言を公表、新潮社の書籍や雑誌を置かないと宣言する書店まで出始め、ネット上でもSNSを中心に批判が広がった。その結果、新潮社社長が異例の声明まで発表したが、抗議や批判は鎮まらず、『新潮45』の事実上の廃刊となった。
なぜ、一政治家の「生産性がない」発言が、これほど炎上したのか。そこには、優生思想、ヘイト思想、排他主義、男根至上主義といった複数の差別的要素が絡んでいた。
◆ 弱者叩きの風潮への危惧~ヘイト思想で隠蔽されるもの
まず、「生産性」と「税金」を結びつけた論理が、最も差別的だった。
〈子どもを産む国民〉が税金による利益を受ける資格があり、〈子どもを産めない・産まない国民〉は税金による利益や権利を享受する資格はないという発想は、まさに優生思想そのものだ。杉田氏の発言に、障害者人権団体が真っ先に反応したのは、この優生思想の危険性をすぐ見抜いたからだ。
そして、このような杉田氏選派に共通する思想を一言で言えば、「男根至上主義」だ。〈典型的な異性愛者〉(さらに〈健常者〉も加えられる)が基準であり、それ以外を差別・排除する考えだ。彼・彼女らは、封建的な男尊女卑の性役割を主張する。極端な例でいえば、数年前に「女性は産む機械」発言をした政治家もいた。
現代では、男女ともに子どもは産まない、結婚しない、結婚しても産まない人・産めない人、多種多様な立場の人がいる。そのすべてを、「生産性」1つで分けること自体が、人間をセックス(生物学的性別)や生殖だけで判断する差別的視線である。
少子高齢化が喫緊の課題とはいえ、「生産性」と「子どもを産む・産まない」を結びつける論理は乱暴すぎる。
さらに、悪質だったのは、LGBTの人たちをやり玉にあげたことだった。
昨今では、マイノリティに関する議論も進んでいるが、〈障害者〉〈民族〉といった属性に比べ、〈性的少数派=LGBT〉の議論はまだまだ進んではいない。
元編集長・中瀬ゆかり氏が、『新潮45』も従来は性的少数者にも寄り添ってきたことに触れ、「忸怩たる思い」とし、「LGBTの議論がタブーにならないでほしい」とコメントしていた。特集も様々な立場の意見を姐上(そじょう)に乗せ、LGBTへの理解へと議論を拡大すれば問題はなかったのだ。
◆ きな臭い方向へ国は進む
この一連の騒動に、世間の風潮への危惧も抱く。ネトウヨ的思想の増加、保守派への回帰という風潮である。出版社の倫理観も崩壊しているが、世間にそのような風潮があるからこそ、出版社も特集したのだ。
多様性が全く尊重されていない、現代日本の醜悪な保守性を見せつけられた。ヘイト思想、排他主義、ポピュリズムが、社会の底で悪意となって膨らんではいないかと不安になった。
政府はマスコミを縛る法律を作りながら、首相が懇意の政治家の差別言説は独り歩きできるのだ。弱者叩きで、民衆の不平不満を発散させる戦略は、独裁者の常套手段だと、私たちは歴史から学んでいるはずだ。
弱者いじめしている間に、気がつけば、きな臭い方向へ、国は進んでいるかもしれない。
◆ 草の根からの意識改革が鍵となる
男女雇用機会均等法や、働く権利にまつわる環境整備など、フエミニズム運動が勝ち取った成果は実際的にいくつもあった。
しかし、2000年代に到達した今も、性的差別をはじめ、様々な差別が残るのを見ると、未だ多くの人が〈生きづらさ〉を抱えていると気づかされる。
単に男女の平等だけではなく、様々な立場の人の声を共有し、政治の議論にまであげていく必要がある。
それにはまず、今回のように一般市民の声や、良識ある著名人たちの発言といった、草の根からの意識改革が鍵となるかもしれない。
(ぬまたまり 法政大学兼任講師)
『週刊新社会』(2018年11月6日)
~現代日本の差別の土壌 (週刊新社会)
◆ つまり「生産性」がないのです、と書く
杉田水脈議員のLGBT差別発言が、批判殺到の上、ついに新潮社の雑誌を休刊にまで追いやった。発端は、今年8月『新潮45』に掲載された杉田氏の論文だ。
杉田氏は、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と書いた。この段階で批判が相次いだものの、杉田氏の謝罪もなければ、自民党内でも何のお省め無しであった。
その上、同誌10月号で、特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」が組まれ、杉田氏擁護の記事7本が掲載され、保守派論者が擁護論を繰り広げた。なかでも、小川榮太郎氏の論文が、痴漢(性的嗜好)とLGBT(性的士筒)を同様に扱った、酷すぎる差別的内容で、批判が殺到した。
この特集が決定打となり、作家たちが次々に新潮社との関係を断つ発言を公表、新潮社の書籍や雑誌を置かないと宣言する書店まで出始め、ネット上でもSNSを中心に批判が広がった。その結果、新潮社社長が異例の声明まで発表したが、抗議や批判は鎮まらず、『新潮45』の事実上の廃刊となった。
なぜ、一政治家の「生産性がない」発言が、これほど炎上したのか。そこには、優生思想、ヘイト思想、排他主義、男根至上主義といった複数の差別的要素が絡んでいた。
◆ 弱者叩きの風潮への危惧~ヘイト思想で隠蔽されるもの
まず、「生産性」と「税金」を結びつけた論理が、最も差別的だった。
〈子どもを産む国民〉が税金による利益を受ける資格があり、〈子どもを産めない・産まない国民〉は税金による利益や権利を享受する資格はないという発想は、まさに優生思想そのものだ。杉田氏の発言に、障害者人権団体が真っ先に反応したのは、この優生思想の危険性をすぐ見抜いたからだ。
そして、このような杉田氏選派に共通する思想を一言で言えば、「男根至上主義」だ。〈典型的な異性愛者〉(さらに〈健常者〉も加えられる)が基準であり、それ以外を差別・排除する考えだ。彼・彼女らは、封建的な男尊女卑の性役割を主張する。極端な例でいえば、数年前に「女性は産む機械」発言をした政治家もいた。
現代では、男女ともに子どもは産まない、結婚しない、結婚しても産まない人・産めない人、多種多様な立場の人がいる。そのすべてを、「生産性」1つで分けること自体が、人間をセックス(生物学的性別)や生殖だけで判断する差別的視線である。
少子高齢化が喫緊の課題とはいえ、「生産性」と「子どもを産む・産まない」を結びつける論理は乱暴すぎる。
さらに、悪質だったのは、LGBTの人たちをやり玉にあげたことだった。
昨今では、マイノリティに関する議論も進んでいるが、〈障害者〉〈民族〉といった属性に比べ、〈性的少数派=LGBT〉の議論はまだまだ進んではいない。
元編集長・中瀬ゆかり氏が、『新潮45』も従来は性的少数者にも寄り添ってきたことに触れ、「忸怩たる思い」とし、「LGBTの議論がタブーにならないでほしい」とコメントしていた。特集も様々な立場の意見を姐上(そじょう)に乗せ、LGBTへの理解へと議論を拡大すれば問題はなかったのだ。
◆ きな臭い方向へ国は進む
この一連の騒動に、世間の風潮への危惧も抱く。ネトウヨ的思想の増加、保守派への回帰という風潮である。出版社の倫理観も崩壊しているが、世間にそのような風潮があるからこそ、出版社も特集したのだ。
多様性が全く尊重されていない、現代日本の醜悪な保守性を見せつけられた。ヘイト思想、排他主義、ポピュリズムが、社会の底で悪意となって膨らんではいないかと不安になった。
政府はマスコミを縛る法律を作りながら、首相が懇意の政治家の差別言説は独り歩きできるのだ。弱者叩きで、民衆の不平不満を発散させる戦略は、独裁者の常套手段だと、私たちは歴史から学んでいるはずだ。
弱者いじめしている間に、気がつけば、きな臭い方向へ、国は進んでいるかもしれない。
◆ 草の根からの意識改革が鍵となる
男女雇用機会均等法や、働く権利にまつわる環境整備など、フエミニズム運動が勝ち取った成果は実際的にいくつもあった。
しかし、2000年代に到達した今も、性的差別をはじめ、様々な差別が残るのを見ると、未だ多くの人が〈生きづらさ〉を抱えていると気づかされる。
単に男女の平等だけではなく、様々な立場の人の声を共有し、政治の議論にまであげていく必要がある。
それにはまず、今回のように一般市民の声や、良識ある著名人たちの発言といった、草の根からの意識改革が鍵となるかもしれない。
(ぬまたまり 法政大学兼任講師)
『週刊新社会』(2018年11月6日)
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