▼ 国連人権理事会が日本政府の福島帰還政策に苦言。
~日本政府の避難解除基準は適切か? (ハーバービジネスオンライン 井田 真人)
▼ 国連人権理事会からの苦言
2011年3月に福島第一原発事故が発生して以降、日本政府が中心となり、放射能汚染を受けた地域の住民に対する避難や除染、そして帰還を支援する政策が行われていることは周知の通りである。
その日本政府の政策に対し、10月25日の国連総会にて、国連人権理事会の特別報告者バスクト・トゥンジャク氏が苦言を呈した。各新聞報道や国連のプレスリリース(参照:国連人権委員会リリース)によると、その要点は次のようであったらしい。
○ 日本政府には、子供らの被ばくを可能な限り避け、最小限に抑える義務がある。
○ 子供や出産年齢の女性に対しては、避難解除の基準を、これまでの「年間20mSv」以下から「年間1mSv」以下にまで下げること(※mSvはミリシーベルト)。
○ 無償住宅供与などの公的支援の打ち切りが、自主避難者らにとって帰還を強いる圧力となっている。
なお、国連人権理事会は2017年にも同様の声明を出しているが、日本政府にそれに従った様子が見られないため、今回の国連総会で改めて通達された。
国連人権理事会からのこういった苦言に対し、日本政府側は、「避難解除の基準はICRPの2007年勧告に示される値を用いて設定している」、「こういった批判が風評被害などの悪影響をもたらすことを懸念する」などと反論したそうである。
本稿では、国連の特別報告者が投げかけた論点のうち、避難解除の基準、すなわち、「年間20mSvか年間1mSv」か、について考えてみたい。
筆者には、国連側の言う「年間1mSv」にまで下げることが本当に良いのかどうかは判断しきれないところがあるが、しかし、日本政府側の「年間20mSv」については明確に“おかしい”と言うことができる。
今はもう、基準を年間20mSvより低く設定し直すべき時にきている。どういうことか、以下でなるべく簡単に説明しよう。
▼ 「年間20mSv」を使い続けることの不適切さ
日本で用いられている「年間20mSv」以下という基準は、福島第一原発事故直後の2011年4月に設定されたものである。
日本政府はこの基準を事故から7年半以上も経った今でも維持しているが、それは不適切である。
なぜなら、事故直後の年に年間20mSvの地に帰還するのと、現在や将来に年間20mSvの地に帰還するのとでは、後者の方が帰還後の“合計の被ばく量”がだいぶ大きくなってしまうからだ。
事故直後の年にはまだ半減期(ある放射性核種の放射能が半分に減衰するまでの時間)が比較的短い核種、例えば半減期が約2年のセシウム134等がまだ多く残っており、それらの核種からの放射線が空間線量率の多くの部分(約7割かそれ以上)を占めているため、空間線量率は比較的速く下がる。
やや大雑把な例をあげておくと、事故直後の年で年間20mSvであったとしても、次の年には年間16mSv程度、事故から3年後の年には年間10mSv程度(最初年の半分)と、目だって減少していく。
さらに、事故直後の時期には環境要因からくる減少、すなわち、放射性核種の地中への沈み込みや、雨による流れ出し等による空間線量率の減少も目立って働くため、核種の半減期から予想されるよりも速く減少してくれる場合が多い。
しかし、事故から7年半以上も経った今では、半減期の短い核種はすでに大きく減衰し、半減期が非常に長いセシウム137(半減期は約30年)からの放射線が空間線量率の大部分を占めるようになってしまっている。
このような状態になると空間線量率はなかなか下がらず、例えば事故から8年後に年間20mSvの地に帰還したとすると、次の年には年間19mSv程度、帰還の年の3年後でもまだ年間17mSv程度で、帰還から22年ほど経ってやっと年間10mSv程度(帰還の年の半分)にまで下がるのだ。
また、事故からだいぶ年月が経った今では、環境要因からくる減少も非常に起こりにくくなっているはずである[例えば2018年のSanada(日本原子力研究開発機構)らの論文を参考にされたい (参照:Evaluation of ecological half-life of dose rate based on airborne radiation monitoring following the Fukushima Dai-ichi nuclear power plant accident)]。
今後、環境要因からくる空間線量率の減少にどれくらい期待できるかは、未知数であろう。
以上で述べたように、事故直後とは異なり、現在では空間線量率が下がりにくくなっているため、同じ年間20mSvで始めたとしても、事故直後に帰還した場合よりも、帰還してから受ける“合計の被ばく量”がずっと大きくなってしまうのである。
被ばくによる癌リスクは「年間」のではなく「合計」の被ばく量によって決まり、合計の被ばく量が大きくなればなるほどリスクが高まってしまうため、これは由々しき事態である。
はたして、日本政府はこういった事実を避難者らに伝えているだろうか?
事故直後よりはだいぶ落ち着きを取り戻した現在に、事故直後以上に大きい被ばくを強いる基準を使うというのは、筋が通っているようには思えない。
半減期の長い核種が支配的となった今、避難や帰還に関わる基準を作り直すべきではないだろうか。
▼ 帰還政策について日本政府に求めたいこと
帰還政策について筆者が日本政府に求めたいことを以下に列挙し、本稿を終わりにしたい。今回の国連人権理事会からの苦言を機に、国民の皆さんで原発事故後の避難や帰還のあり方について、改めて考えていただけると幸いである。
いだ まさと●2017年4月に日本原子力研究開発機構J-PARCセンター(研究副主幹)を自主退職し、フリーに。J-PARCセンター在職中は、陽子加速器を利用した大強度中性子源の研究開発に携わる。専門はシミュレーション物理学、流体力学、超音波医工学、中性子源施設開発、原子力工学。
『ハーバー・ビジネス・オンライン』(2018.11.01)
https://hbol.jp/177765
~日本政府の避難解除基準は適切か? (ハーバービジネスオンライン 井田 真人)
▼ 国連人権理事会からの苦言
2011年3月に福島第一原発事故が発生して以降、日本政府が中心となり、放射能汚染を受けた地域の住民に対する避難や除染、そして帰還を支援する政策が行われていることは周知の通りである。
その日本政府の政策に対し、10月25日の国連総会にて、国連人権理事会の特別報告者バスクト・トゥンジャク氏が苦言を呈した。各新聞報道や国連のプレスリリース(参照:国連人権委員会リリース)によると、その要点は次のようであったらしい。
○ 日本政府には、子供らの被ばくを可能な限り避け、最小限に抑える義務がある。
○ 子供や出産年齢の女性に対しては、避難解除の基準を、これまでの「年間20mSv」以下から「年間1mSv」以下にまで下げること(※mSvはミリシーベルト)。
○ 無償住宅供与などの公的支援の打ち切りが、自主避難者らにとって帰還を強いる圧力となっている。
なお、国連人権理事会は2017年にも同様の声明を出しているが、日本政府にそれに従った様子が見られないため、今回の国連総会で改めて通達された。
国連人権理事会からのこういった苦言に対し、日本政府側は、「避難解除の基準はICRPの2007年勧告に示される値を用いて設定している」、「こういった批判が風評被害などの悪影響をもたらすことを懸念する」などと反論したそうである。
本稿では、国連の特別報告者が投げかけた論点のうち、避難解除の基準、すなわち、「年間20mSvか年間1mSv」か、について考えてみたい。
筆者には、国連側の言う「年間1mSv」にまで下げることが本当に良いのかどうかは判断しきれないところがあるが、しかし、日本政府側の「年間20mSv」については明確に“おかしい”と言うことができる。
今はもう、基準を年間20mSvより低く設定し直すべき時にきている。どういうことか、以下でなるべく簡単に説明しよう。
▼ 「年間20mSv」を使い続けることの不適切さ
日本で用いられている「年間20mSv」以下という基準は、福島第一原発事故直後の2011年4月に設定されたものである。
日本政府はこの基準を事故から7年半以上も経った今でも維持しているが、それは不適切である。
なぜなら、事故直後の年に年間20mSvの地に帰還するのと、現在や将来に年間20mSvの地に帰還するのとでは、後者の方が帰還後の“合計の被ばく量”がだいぶ大きくなってしまうからだ。
事故直後の年にはまだ半減期(ある放射性核種の放射能が半分に減衰するまでの時間)が比較的短い核種、例えば半減期が約2年のセシウム134等がまだ多く残っており、それらの核種からの放射線が空間線量率の多くの部分(約7割かそれ以上)を占めているため、空間線量率は比較的速く下がる。
やや大雑把な例をあげておくと、事故直後の年で年間20mSvであったとしても、次の年には年間16mSv程度、事故から3年後の年には年間10mSv程度(最初年の半分)と、目だって減少していく。
さらに、事故直後の時期には環境要因からくる減少、すなわち、放射性核種の地中への沈み込みや、雨による流れ出し等による空間線量率の減少も目立って働くため、核種の半減期から予想されるよりも速く減少してくれる場合が多い。
しかし、事故から7年半以上も経った今では、半減期の短い核種はすでに大きく減衰し、半減期が非常に長いセシウム137(半減期は約30年)からの放射線が空間線量率の大部分を占めるようになってしまっている。
このような状態になると空間線量率はなかなか下がらず、例えば事故から8年後に年間20mSvの地に帰還したとすると、次の年には年間19mSv程度、帰還の年の3年後でもまだ年間17mSv程度で、帰還から22年ほど経ってやっと年間10mSv程度(帰還の年の半分)にまで下がるのだ。
また、事故からだいぶ年月が経った今では、環境要因からくる減少も非常に起こりにくくなっているはずである[例えば2018年のSanada(日本原子力研究開発機構)らの論文を参考にされたい (参照:Evaluation of ecological half-life of dose rate based on airborne radiation monitoring following the Fukushima Dai-ichi nuclear power plant accident)]。
今後、環境要因からくる空間線量率の減少にどれくらい期待できるかは、未知数であろう。
以上で述べたように、事故直後とは異なり、現在では空間線量率が下がりにくくなっているため、同じ年間20mSvで始めたとしても、事故直後に帰還した場合よりも、帰還してから受ける“合計の被ばく量”がずっと大きくなってしまうのである。
被ばくによる癌リスクは「年間」のではなく「合計」の被ばく量によって決まり、合計の被ばく量が大きくなればなるほどリスクが高まってしまうため、これは由々しき事態である。
はたして、日本政府はこういった事実を避難者らに伝えているだろうか?
事故直後よりはだいぶ落ち着きを取り戻した現在に、事故直後以上に大きい被ばくを強いる基準を使うというのは、筋が通っているようには思えない。
半減期の長い核種が支配的となった今、避難や帰還に関わる基準を作り直すべきではないだろうか。
▼ 帰還政策について日本政府に求めたいこと
帰還政策について筆者が日本政府に求めたいことを以下に列挙し、本稿を終わりにしたい。今回の国連人権理事会からの苦言を機に、国民の皆さんで原発事故後の避難や帰還のあり方について、改めて考えていただけると幸いである。
・帰還の年の被ばく量だけではなく、帰還後の5年や10年など、長期間の合計の被ばく量を推定し、避難住民に伝えるべき。そのようにして避難住民に十分な情報を提供した後に、避難住民らに帰還の可否の判断をしてもらうべき。<文:井田 真人 Twitter ID:@miakiza20100906>
・避難解除の基準を下げるべき。最低でも、帰還後の合計の被ばく量が、事故直後に帰還した場合より低くなるよう、設定し直すべき。
いだ まさと●2017年4月に日本原子力研究開発機構J-PARCセンター(研究副主幹)を自主退職し、フリーに。J-PARCセンター在職中は、陽子加速器を利用した大強度中性子源の研究開発に携わる。専門はシミュレーション物理学、流体力学、超音波医工学、中性子源施設開発、原子力工学。
『ハーバー・ビジネス・オンライン』(2018.11.01)
https://hbol.jp/177765
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます