★部下、教え子、ジャーナリストの要請書
◆ 都立神津高校時代の初任者Nさんの要請書
私は、平成16年度に、東京都の非常勤講師として、約1年間神津高校で勤務しました。その前年から、私は私立高校で講師をしていましたが、都立高校では初任者であり、当時、神津高校の校長であった土肥先生には色々とご指導を頂きました。
神津高校に赴任して間もなく、土肥先生との面談がありました。その面談は土肥先生の「新しい学校に、しかも神津島に赴任してきて、今どのように感じていますか?」との質問から始まったことを覚えています。私は「すぐに授業も始まるので色々準備をしなければならないが、新しい事だらけで具体的にどうしていったら良いかまだ分からない」といった内容を伝えました。土肥先生は、新しい環境にきて不安を感じている私の心情を受け止めるように話を聞いて下さり、「授業を大切にしてください」とおっしゃいました。
高校生活の中心はやはり授業であること、学校で働くと授業以外の部分も多くあるが、教師として大切な事は授業実践である、といった内容を話されました。「他に何かありますか?」との先生の促しに対して、私は「新しい学校に赴任し生徒との関係をしっかり築いていけるか不安がある」といった内容を口にした事を覚えています。生徒との関係作りについて、先生からのアドバイスで印象に残っているのは、「指導の面で言えば、進路については特に丁寧な指導が大切」、とのお話でした。
私は3年生の現代文も担当する事になっており、小論文指導という形で具体的に進路に関わる立場だったため、土肥先生はこのお話をされたのだろうと思います。実際に3年生の小論文指導では、生徒が自らの思いを伝えるためにどう表現すれば良いのか、また、何かを論じるためには生徒がどういった知識を持つ必要があるのかを考え、私自身が生徒の力になれるよう必死で勉強しました。そして、熱心に関わったことで、生徒たちとも関係性を築いていくことができたと考えています。また、1年生、2年生の授業でも、一人ひとりの生徒が、どう成長していくのかを思い描くことが本当に大切との実感から、彼らの未来像を考えた授業の組み立てを、より一層心がけるようになりました。その意味で、このアドバイスは折に触れて思い出されるものでした。
その他に、先生はご自身の教育理念として「体罰は絶対に許さない」とのお話をされました。「実際に教育現場では体罰が起こっている。僕は体罰は絶対に許さない」と話されました。面談が始まる時は、穏やかな表情で私に語りかけた先生が、このときは真剣な表情になられていました。私はお話を伺いながら、土肥先生は人に対してまっすぐに接する方なのだ、との印象を受けました。
以上のように、当時初任者だった私に対しての土肥先生の指導法は、まず相手に聞き、相手の話の内容や気持ちを受け止めた上で、具体的なアドバイスを伝え、さらに、そこから発展して教員としてあるべき姿も示して下さる、といったものでした。また、ご自身の教育理念をしっかりと持ちながらも、それを他者に押し付けるのではなく、相手の意見にも必ず耳を傾け、その上でご自身の考えを述べられるといったスタイルでした。
したがって、第二審の判決文にある、「面接官増田証人が虚偽の供述をしているとはにわかに認めがたい」という文言を読んだときには本当に驚きました。もし初任者の指導についての質問があったとしても、神津高校での私の経験を考えれば土肥校長先生が「初任者を論破する」と答えることは有り得ないことだからです。
◆都立三鷹高校時代の教え子H君の要請書
三鷹高校を2008年3月に卒業しました、Hと申します。土肥信雄先生の下で高校3年間を過ごした者です。
今回の高裁判決では、定年後の非常勤教員採用面接時に「面接官が『控訴人と意見の違う初任者に対してどのように指導しますか』」と質問したのに対し、土肥先生が「『意見が違えば論理的に論破する』と答えた」としています。
土肥先生は、こうした質問自体がなかったとおっしゃっており、食い違っています。これは「言った」「言っていない」の水掛け論であり、録音等以外での立証は難しいことと思います。しかし裁判所は一方の都教委側の証言を採用し、判決に結びつけています。土肥先生に直接教わった私には、到底信じられることではありません。そこで私からは、土肥先生が意見を独善的に押しつける人などではなく、「意見が違えば論理的に論破する」などと答えるはずがないということをお話したいと思います。
土肥先生は、自分の考えは、はっきりと伝える人です。しかし一方でとても親しみ易く、いつもこちらが戸惑ってしまうほどフレンドリーな方でした。だからこそ、土肥先生の前では、僕ら生徒も思ったことを自由に話せたことを覚えています。
実例としてこのような出来事がありました。私は在学中、校内の代議員会というものに所属し、幹部を務めていました。代議員会では当時、三鷹高校の中高一貫校化について議論していました。その一環で、土肥先生とお話しする機会がありました。
母校が変わってしまうことへの危惧から、私はその場で、中高一貫校化に批判的な発言をしました。普通の大人であれば、ましてや「校長」であれば、高校1年生の私の発言など、まともにとりあってくれないことが「普通」だろうと思っていました。しかしそのときの先生の態度は違いました。私の意見を真正面から受け止めてくれたのです。そのうえで、中高一貫校になることが決まっている三鷹高校の校長として、土肥先生が考える中高一貫校のメリットなど、私の批判に対する答えや説明をしてくれました。つまり、土肥先生は、年下であろうと生徒であろうと相手の声を真正面から受け止めつつ、回答や説明をしてくれたのです。そしてその際、「校長」という教育委員会の下に位置する者としての役割もわきまえつつ発言されていたのです。
土肥先生は生徒に対しても自分の考えを押しつけるようなことをしませんでした。この一つの事例からしても、初任者のような弱い立場にある人に対しても「論破する」というようなことを言うはずがないと思います。それに、教育委員会の指示や意向を、はなから無視して好き勝手な行動をするような方でないことも3年間を通して先生を見てきた私の実感です。
土肥先生が、「他人の意見に耳を貸さず、相手を論破する」というような態度をとるような人では決してないことは、私を含めた当時の生徒たちが知っていることです。
最後に、今回の裁判を通して感じたことを一つだけ申し述べます。裁判所は事実を追求して判断を下すところだと思います。そして、三権分立が定められているのは、それが立憲主義の基本だからであり、権力の暴走を防ぐことによって人々の権利を守ることが重要だからではないでしょうか。裁判所が権力から国民の自由を守る存在であることは、わが国では中学・高校、いや、小学校から学ぶことです。その裁判所の判断に今回は正直疑問も感じました。土肥先生のどこを見て、何を判断材料にしているのだろうか、事実はどこに行ってしまうのだろうか、という点です。今後の社会を担っていく私たちは、将来不当に権利が制限されていると感じたとき、何を信じれば、何によって立てばよいのだろうかと思うと不安にならざるをえません。どうか最高裁判所におかれましてはあくまでも真実を追求され、公正な判断をして頂けるようお願いして、私の要請といたします。
以上
◆ジャーナリストIさんの要請書
私は元新聞記者で、現在はフリージャーナリストのIと申します。教育・司法・メディアなどの問題を取材して、新聞や雑誌に記事を執筆しているほか、大学でジャーナリズム論や文章講座などの講義を担当しています。
昨年4月に東京高等裁判所第7民事部に提出した陳述書にも書きましたが、土肥信雄さんとは、土肥さんが都立神津高校の校長だった2004年からの付き合いで、取材を通じて学校現場の課題について何回も話をうかがってきました。土肥さんが一貫して訴えているのは、教育現場は自由で民主主義が尊重される場所でなければならないということでした。土肥さんの話はいつも論旨明快で、教育者として生徒のことを常に一番に考え、公平公正な姿勢は一貫していると感じています。
つい最近、都立高校などの日本史教科書の採択問題を取材しました。学校現場が希望する実教出版の日本史教科書を、教育委員会が一方的に「希望するな」と引っくり返したという問題です。東京都教育委員会は、国旗国歌について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」との記述は不適切だから、この教科書を使うなと言うのです。しかし、実際に東京都教育委員会は、卒業式や入学式などで、都立高校の教職員に起立・斉唱を義務付ける通達を出し、職務命令に従わない教職員を懲戒処分にしています。文部科学省教科書課の担当者にも確認しましたが、教科書に書かれている「強制」の表現は事実であって誤りではないと、私の取材にはっきりと答えました。
東京都教育委員会は昨年、実教出版の教科書を希望する都立高校17校の校長に対し、ほかの教科書を選ぶように何度も電話をかけて希望を撤回させ、さらに今年は「実教出版の教科書の使用は適切ではない」との通知を出して、最初から希望させないようにしました。
土肥さんが現役校長の時からずっと訴え続けてきた問題が、さらに深刻になったと感じました。教育委員会が校長の職務権限に介入して、職員会議での挙手採決を禁止したのと同じです。そればかりか、教科書検定を通った教科書や現場の判断にまで教育行政が口を出すのは、教育内容そのものへの介入と言わざるを得ないだけに、問題はさらに切実です。
こうした現状をおかしいと思っている校長も大勢いるはずですが、黙って従わざるを得ないとか、ますます何も言えない状況が広がっているといった声を、教育現場を取材して数多く聞きました。土肥さんが警鐘を鳴らし続ける東京都教育委員会の問題点は、よりいっそう深刻になっているように思います。
東京地裁、東京高裁の判決は、著しく事実に反しています。最高裁判所の裁判官は、教育現場の現実と事実を踏まえて、日本国憲法と良心に基づいた公正な判断をされるように切望します。
◆ 都立神津高校時代の初任者Nさんの要請書
私は、平成16年度に、東京都の非常勤講師として、約1年間神津高校で勤務しました。その前年から、私は私立高校で講師をしていましたが、都立高校では初任者であり、当時、神津高校の校長であった土肥先生には色々とご指導を頂きました。
神津高校に赴任して間もなく、土肥先生との面談がありました。その面談は土肥先生の「新しい学校に、しかも神津島に赴任してきて、今どのように感じていますか?」との質問から始まったことを覚えています。私は「すぐに授業も始まるので色々準備をしなければならないが、新しい事だらけで具体的にどうしていったら良いかまだ分からない」といった内容を伝えました。土肥先生は、新しい環境にきて不安を感じている私の心情を受け止めるように話を聞いて下さり、「授業を大切にしてください」とおっしゃいました。
高校生活の中心はやはり授業であること、学校で働くと授業以外の部分も多くあるが、教師として大切な事は授業実践である、といった内容を話されました。「他に何かありますか?」との先生の促しに対して、私は「新しい学校に赴任し生徒との関係をしっかり築いていけるか不安がある」といった内容を口にした事を覚えています。生徒との関係作りについて、先生からのアドバイスで印象に残っているのは、「指導の面で言えば、進路については特に丁寧な指導が大切」、とのお話でした。
私は3年生の現代文も担当する事になっており、小論文指導という形で具体的に進路に関わる立場だったため、土肥先生はこのお話をされたのだろうと思います。実際に3年生の小論文指導では、生徒が自らの思いを伝えるためにどう表現すれば良いのか、また、何かを論じるためには生徒がどういった知識を持つ必要があるのかを考え、私自身が生徒の力になれるよう必死で勉強しました。そして、熱心に関わったことで、生徒たちとも関係性を築いていくことができたと考えています。また、1年生、2年生の授業でも、一人ひとりの生徒が、どう成長していくのかを思い描くことが本当に大切との実感から、彼らの未来像を考えた授業の組み立てを、より一層心がけるようになりました。その意味で、このアドバイスは折に触れて思い出されるものでした。
その他に、先生はご自身の教育理念として「体罰は絶対に許さない」とのお話をされました。「実際に教育現場では体罰が起こっている。僕は体罰は絶対に許さない」と話されました。面談が始まる時は、穏やかな表情で私に語りかけた先生が、このときは真剣な表情になられていました。私はお話を伺いながら、土肥先生は人に対してまっすぐに接する方なのだ、との印象を受けました。
以上のように、当時初任者だった私に対しての土肥先生の指導法は、まず相手に聞き、相手の話の内容や気持ちを受け止めた上で、具体的なアドバイスを伝え、さらに、そこから発展して教員としてあるべき姿も示して下さる、といったものでした。また、ご自身の教育理念をしっかりと持ちながらも、それを他者に押し付けるのではなく、相手の意見にも必ず耳を傾け、その上でご自身の考えを述べられるといったスタイルでした。
したがって、第二審の判決文にある、「面接官増田証人が虚偽の供述をしているとはにわかに認めがたい」という文言を読んだときには本当に驚きました。もし初任者の指導についての質問があったとしても、神津高校での私の経験を考えれば土肥校長先生が「初任者を論破する」と答えることは有り得ないことだからです。
以上
◆都立三鷹高校時代の教え子H君の要請書
三鷹高校を2008年3月に卒業しました、Hと申します。土肥信雄先生の下で高校3年間を過ごした者です。
今回の高裁判決では、定年後の非常勤教員採用面接時に「面接官が『控訴人と意見の違う初任者に対してどのように指導しますか』」と質問したのに対し、土肥先生が「『意見が違えば論理的に論破する』と答えた」としています。
土肥先生は、こうした質問自体がなかったとおっしゃっており、食い違っています。これは「言った」「言っていない」の水掛け論であり、録音等以外での立証は難しいことと思います。しかし裁判所は一方の都教委側の証言を採用し、判決に結びつけています。土肥先生に直接教わった私には、到底信じられることではありません。そこで私からは、土肥先生が意見を独善的に押しつける人などではなく、「意見が違えば論理的に論破する」などと答えるはずがないということをお話したいと思います。
土肥先生は、自分の考えは、はっきりと伝える人です。しかし一方でとても親しみ易く、いつもこちらが戸惑ってしまうほどフレンドリーな方でした。だからこそ、土肥先生の前では、僕ら生徒も思ったことを自由に話せたことを覚えています。
実例としてこのような出来事がありました。私は在学中、校内の代議員会というものに所属し、幹部を務めていました。代議員会では当時、三鷹高校の中高一貫校化について議論していました。その一環で、土肥先生とお話しする機会がありました。
母校が変わってしまうことへの危惧から、私はその場で、中高一貫校化に批判的な発言をしました。普通の大人であれば、ましてや「校長」であれば、高校1年生の私の発言など、まともにとりあってくれないことが「普通」だろうと思っていました。しかしそのときの先生の態度は違いました。私の意見を真正面から受け止めてくれたのです。そのうえで、中高一貫校になることが決まっている三鷹高校の校長として、土肥先生が考える中高一貫校のメリットなど、私の批判に対する答えや説明をしてくれました。つまり、土肥先生は、年下であろうと生徒であろうと相手の声を真正面から受け止めつつ、回答や説明をしてくれたのです。そしてその際、「校長」という教育委員会の下に位置する者としての役割もわきまえつつ発言されていたのです。
土肥先生は生徒に対しても自分の考えを押しつけるようなことをしませんでした。この一つの事例からしても、初任者のような弱い立場にある人に対しても「論破する」というようなことを言うはずがないと思います。それに、教育委員会の指示や意向を、はなから無視して好き勝手な行動をするような方でないことも3年間を通して先生を見てきた私の実感です。
土肥先生が、「他人の意見に耳を貸さず、相手を論破する」というような態度をとるような人では決してないことは、私を含めた当時の生徒たちが知っていることです。
最後に、今回の裁判を通して感じたことを一つだけ申し述べます。裁判所は事実を追求して判断を下すところだと思います。そして、三権分立が定められているのは、それが立憲主義の基本だからであり、権力の暴走を防ぐことによって人々の権利を守ることが重要だからではないでしょうか。裁判所が権力から国民の自由を守る存在であることは、わが国では中学・高校、いや、小学校から学ぶことです。その裁判所の判断に今回は正直疑問も感じました。土肥先生のどこを見て、何を判断材料にしているのだろうか、事実はどこに行ってしまうのだろうか、という点です。今後の社会を担っていく私たちは、将来不当に権利が制限されていると感じたとき、何を信じれば、何によって立てばよいのだろうかと思うと不安にならざるをえません。どうか最高裁判所におかれましてはあくまでも真実を追求され、公正な判断をして頂けるようお願いして、私の要請といたします。
以上
◆ジャーナリストIさんの要請書
私は元新聞記者で、現在はフリージャーナリストのIと申します。教育・司法・メディアなどの問題を取材して、新聞や雑誌に記事を執筆しているほか、大学でジャーナリズム論や文章講座などの講義を担当しています。
昨年4月に東京高等裁判所第7民事部に提出した陳述書にも書きましたが、土肥信雄さんとは、土肥さんが都立神津高校の校長だった2004年からの付き合いで、取材を通じて学校現場の課題について何回も話をうかがってきました。土肥さんが一貫して訴えているのは、教育現場は自由で民主主義が尊重される場所でなければならないということでした。土肥さんの話はいつも論旨明快で、教育者として生徒のことを常に一番に考え、公平公正な姿勢は一貫していると感じています。
つい最近、都立高校などの日本史教科書の採択問題を取材しました。学校現場が希望する実教出版の日本史教科書を、教育委員会が一方的に「希望するな」と引っくり返したという問題です。東京都教育委員会は、国旗国歌について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」との記述は不適切だから、この教科書を使うなと言うのです。しかし、実際に東京都教育委員会は、卒業式や入学式などで、都立高校の教職員に起立・斉唱を義務付ける通達を出し、職務命令に従わない教職員を懲戒処分にしています。文部科学省教科書課の担当者にも確認しましたが、教科書に書かれている「強制」の表現は事実であって誤りではないと、私の取材にはっきりと答えました。
東京都教育委員会は昨年、実教出版の教科書を希望する都立高校17校の校長に対し、ほかの教科書を選ぶように何度も電話をかけて希望を撤回させ、さらに今年は「実教出版の教科書の使用は適切ではない」との通知を出して、最初から希望させないようにしました。
土肥さんが現役校長の時からずっと訴え続けてきた問題が、さらに深刻になったと感じました。教育委員会が校長の職務権限に介入して、職員会議での挙手採決を禁止したのと同じです。そればかりか、教科書検定を通った教科書や現場の判断にまで教育行政が口を出すのは、教育内容そのものへの介入と言わざるを得ないだけに、問題はさらに切実です。
こうした現状をおかしいと思っている校長も大勢いるはずですが、黙って従わざるを得ないとか、ますます何も言えない状況が広がっているといった声を、教育現場を取材して数多く聞きました。土肥さんが警鐘を鳴らし続ける東京都教育委員会の問題点は、よりいっそう深刻になっているように思います。
東京地裁、東京高裁の判決は、著しく事実に反しています。最高裁判所の裁判官は、教育現場の現実と事実を踏まえて、日本国憲法と良心に基づいた公正な判断をされるように切望します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます