★ 1月14日(木) 「学校に言論の自由を」土肥裁判 第4回口頭弁論(10:00~東京地裁606)
◎ 「都立三鷹高校元校長、都教委提訴」に思う
在職中「職員会議の採決禁止」(06年4月都教委通知)に異議を唱え、定年後の非常勤教員を不合格にされた都立三鷹高校元校長土肥信雄氏は損害賠償訴訟を起こし、7月23日には第1回口頭弁論が行なわれた。「元校長が都教委を提訴」という事態を招来した背景にあるものを概観してみたい。
教育委員会は、戦前・戦中の反省のなかから生まれたと言っていい。憲法・教育基本法の理念の下、「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべき」ことを目的とした48年施行の教育委員会法には、地方分権、行政からの独立、公選制という3原則があった。しかし56年、地方教育行政法により首長による任命制が導入され、99年には教育長として教育庁トップが組み込まれた。
現在、委員長木村孟氏以外は教育界とは無縁の委員で構成される都教育委員会(都教委)の定例委員会は月2回開催され、都教委事務局(次長、7人の部長、参事)提案の原案がろくに議論もされずにそのまま決定される。マスコミも我々も慣例的に、都教委事務局(都庁職員)を都教委と呼称し、「虎(都教委)の威を借る狐(教育庁)」にしてしまっている。
都は98年職員会議を校長の補助機関とし、00年には校長による教員の業績評価が始まった。02年に研修日と長期休業制度全廃、03年度全国に先駆けて主幹を新設するも6年を経た今、必要数の6割しか配置されていないという体たらくだ。03年10月23日、「卒業式での君が代・日の丸の強制」(10.23通達)を発し、08年度には主幹職を補佐し教諭の指導役たる主任教諭を創設した。安倍内閣が改悪した教育基本法に続く教育職員免許法の改悪により、09年度からは現職教員に教員免許更新制が導入された。まさに教育が「不当な支配」に服し、崩壊している。
既に職員会議が補助機関化されたなかで、06年「職員会議の採決禁止通知」は無用の長物であった。中堅役人がこれを進言したと思われる。上役の覚えを良くし、出世の足掛かりと考えたのだろうか。所詮、腐敗した組織の構造とはそんなものである。誰が考えてもおかしな通知であることは明白であり、調子に乗り過ぎた勇み足だが、官僚(権力)とはひとたび走り出すと決して後戻り出来ないものである。それは、敗戦前の軍隊でも同様であった。
政治家は落選すればタダの人、根無し草だ。ところがひとたび当選するや権力(国家)として立ち表れる。今回の民主党政権も然りである。政権をとれば財政を握り、タダの人が国家をハイジャックできるのである。官僚もまた根無し草であることは政治家と大差ない。
石原都政下、東京の教育も教育庁役人にハイジャックされてしまった。採用、人事、勤務条件等が教育庁に握られ、700人程の教育庁職員(平の職員、直属事業所の学校経営支援センター・図書館を含め)が、6万2000人の教員を支配するという構造がある。人事権が教育庁にあるから校長といえども逆らえないのである。700人全体が上司なのではなく、実際には教育庁内の7名の部長が諸問題の決定権を握っている。私達が教育庁を訪ねても彼らは決して姿を見せない。姿を見せる中間管理職は上の指示を守るに汲汲とし、自らの信念も意見も持たない実に哀れな存在である。腐敗の極みの構造である。03年「10.23通達」以降決定的に崩壊する東京の教育現場の状況は、皆さんのご存知の通りである。
従来地方公務員給与は人事委員会勧告により決定されていた。東京では人事考課制度導入後、業績評価が給与に反映するようになった。しかも都職員全体では悪い評価C・Dは5%であるのに対し、教員には20%付けるよう校長に求めている。これは教育庁による人事委員会勧告のハイジャックである。10名前後の役人による教育破壊そのものである。彼らは「教育」に良いことは、何一つやっていない。教育庁が教育という自身の足を食い尽くしているのである。
ことは教育庁だけではない。週3、4日しか登庁しない石原知事により牛耳られた都庁全体に及ぶ事態である。彼の思いつきの五輪誘致にNOと言えない状況ひとつを見ても、現場の都職員の閉塞感は想像に難くない。8年前、私の退職当時の都立高校ではまだ職員会議で自由闊達な議論ができた。それは生徒の自主性育成にも影響を与えていた。今、それを保障されない教育現場の閉塞感たるや想像を絶するものがある。そのなかで、校長たちも教育庁下っ端中間管理職に過ぎなくなっている。教育現場での校長のありようは「無恥の無知」と言うべきである。
勿論この事態は都庁内に限ったことではない。麻生を首相に選んだ自民党と一部民主党・政治家、自治体首長、不祥事を起こした経営責任者、裁判官等は皆金太郎飴の顔である。裁判官のでたらめさは、「通信」前号で金子潔氏が指摘した通りである。
そこに反旗を上げたのが土肥氏である。彼と私には、若干の見解の相違があることは事実だ。それは次の2点である。ひとつは、教育庁から書面による職務命令発出の指示を受けた彼は、職場との信頼関係(教員は卒業式において通達に従うという)があるからそれを拒否し、書面よる命令を出さなかったと言う。だが口頭の職務命令は発した。口頭であれ、職務命令には違いないというのが私の見解だ。次に、事態の根底にある「日の丸・君が代」について彼は、「強制には反対だが、日の丸・君が代自体には基本的には反対しない。この問題では戦えない」と言う。確かに、強制が問題という側面があるとは思うが、私は「日の丸・君が代」問題が肝心の要であると思っている。
とはいえ、彼は270名もいる校長の中で唯一反旗を翻した校長である。これは奇跡に近い大変な快挙であると思う。
大学紛争を傍らに見ながら東大を卒業した彼は、就職した三菱商事で談合の実態に直面した。上司に訴えると「利潤追求のためなら仕方がない。みんなやっていること」と黙殺された。「言いたいことが言えて筋が通る職場にいたい。ここは自分の居揚所ではない」と考えた彼は2年で退職。その後教員免許取得し、小学校勤務を経て高校の教壇に立った。それが、彼の人間としての原点だと思う。彼は言う。「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」と。
同僚だった時期に彼とは大いに議論を戦わせた。今、たった一人で都教委を相手に異議申し立てをした彼の闘いを元同僚としても、支援していきたいと思う。
※土肥元校長の裁判を支援する会
http://dohisaibansien.blogspot.com/
※学校に言論の自由を求めて
http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi
『藤田先生を応援する会 通信』第36号(2009/8/31)
◎ 「都立三鷹高校元校長、都教委提訴」に思う
都立高校元同僚 西川隨一
在職中「職員会議の採決禁止」(06年4月都教委通知)に異議を唱え、定年後の非常勤教員を不合格にされた都立三鷹高校元校長土肥信雄氏は損害賠償訴訟を起こし、7月23日には第1回口頭弁論が行なわれた。「元校長が都教委を提訴」という事態を招来した背景にあるものを概観してみたい。
教育委員会は、戦前・戦中の反省のなかから生まれたと言っていい。憲法・教育基本法の理念の下、「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべき」ことを目的とした48年施行の教育委員会法には、地方分権、行政からの独立、公選制という3原則があった。しかし56年、地方教育行政法により首長による任命制が導入され、99年には教育長として教育庁トップが組み込まれた。
現在、委員長木村孟氏以外は教育界とは無縁の委員で構成される都教育委員会(都教委)の定例委員会は月2回開催され、都教委事務局(次長、7人の部長、参事)提案の原案がろくに議論もされずにそのまま決定される。マスコミも我々も慣例的に、都教委事務局(都庁職員)を都教委と呼称し、「虎(都教委)の威を借る狐(教育庁)」にしてしまっている。
都は98年職員会議を校長の補助機関とし、00年には校長による教員の業績評価が始まった。02年に研修日と長期休業制度全廃、03年度全国に先駆けて主幹を新設するも6年を経た今、必要数の6割しか配置されていないという体たらくだ。03年10月23日、「卒業式での君が代・日の丸の強制」(10.23通達)を発し、08年度には主幹職を補佐し教諭の指導役たる主任教諭を創設した。安倍内閣が改悪した教育基本法に続く教育職員免許法の改悪により、09年度からは現職教員に教員免許更新制が導入された。まさに教育が「不当な支配」に服し、崩壊している。
既に職員会議が補助機関化されたなかで、06年「職員会議の採決禁止通知」は無用の長物であった。中堅役人がこれを進言したと思われる。上役の覚えを良くし、出世の足掛かりと考えたのだろうか。所詮、腐敗した組織の構造とはそんなものである。誰が考えてもおかしな通知であることは明白であり、調子に乗り過ぎた勇み足だが、官僚(権力)とはひとたび走り出すと決して後戻り出来ないものである。それは、敗戦前の軍隊でも同様であった。
政治家は落選すればタダの人、根無し草だ。ところがひとたび当選するや権力(国家)として立ち表れる。今回の民主党政権も然りである。政権をとれば財政を握り、タダの人が国家をハイジャックできるのである。官僚もまた根無し草であることは政治家と大差ない。
石原都政下、東京の教育も教育庁役人にハイジャックされてしまった。採用、人事、勤務条件等が教育庁に握られ、700人程の教育庁職員(平の職員、直属事業所の学校経営支援センター・図書館を含め)が、6万2000人の教員を支配するという構造がある。人事権が教育庁にあるから校長といえども逆らえないのである。700人全体が上司なのではなく、実際には教育庁内の7名の部長が諸問題の決定権を握っている。私達が教育庁を訪ねても彼らは決して姿を見せない。姿を見せる中間管理職は上の指示を守るに汲汲とし、自らの信念も意見も持たない実に哀れな存在である。腐敗の極みの構造である。03年「10.23通達」以降決定的に崩壊する東京の教育現場の状況は、皆さんのご存知の通りである。
従来地方公務員給与は人事委員会勧告により決定されていた。東京では人事考課制度導入後、業績評価が給与に反映するようになった。しかも都職員全体では悪い評価C・Dは5%であるのに対し、教員には20%付けるよう校長に求めている。これは教育庁による人事委員会勧告のハイジャックである。10名前後の役人による教育破壊そのものである。彼らは「教育」に良いことは、何一つやっていない。教育庁が教育という自身の足を食い尽くしているのである。
ことは教育庁だけではない。週3、4日しか登庁しない石原知事により牛耳られた都庁全体に及ぶ事態である。彼の思いつきの五輪誘致にNOと言えない状況ひとつを見ても、現場の都職員の閉塞感は想像に難くない。8年前、私の退職当時の都立高校ではまだ職員会議で自由闊達な議論ができた。それは生徒の自主性育成にも影響を与えていた。今、それを保障されない教育現場の閉塞感たるや想像を絶するものがある。そのなかで、校長たちも教育庁下っ端中間管理職に過ぎなくなっている。教育現場での校長のありようは「無恥の無知」と言うべきである。
勿論この事態は都庁内に限ったことではない。麻生を首相に選んだ自民党と一部民主党・政治家、自治体首長、不祥事を起こした経営責任者、裁判官等は皆金太郎飴の顔である。裁判官のでたらめさは、「通信」前号で金子潔氏が指摘した通りである。
そこに反旗を上げたのが土肥氏である。彼と私には、若干の見解の相違があることは事実だ。それは次の2点である。ひとつは、教育庁から書面による職務命令発出の指示を受けた彼は、職場との信頼関係(教員は卒業式において通達に従うという)があるからそれを拒否し、書面よる命令を出さなかったと言う。だが口頭の職務命令は発した。口頭であれ、職務命令には違いないというのが私の見解だ。次に、事態の根底にある「日の丸・君が代」について彼は、「強制には反対だが、日の丸・君が代自体には基本的には反対しない。この問題では戦えない」と言う。確かに、強制が問題という側面があるとは思うが、私は「日の丸・君が代」問題が肝心の要であると思っている。
とはいえ、彼は270名もいる校長の中で唯一反旗を翻した校長である。これは奇跡に近い大変な快挙であると思う。
大学紛争を傍らに見ながら東大を卒業した彼は、就職した三菱商事で談合の実態に直面した。上司に訴えると「利潤追求のためなら仕方がない。みんなやっていること」と黙殺された。「言いたいことが言えて筋が通る職場にいたい。ここは自分の居揚所ではない」と考えた彼は2年で退職。その後教員免許取得し、小学校勤務を経て高校の教壇に立った。それが、彼の人間としての原点だと思う。彼は言う。「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」と。
同僚だった時期に彼とは大いに議論を戦わせた。今、たった一人で都教委を相手に異議申し立てをした彼の闘いを元同僚としても、支援していきたいと思う。
※土肥元校長の裁判を支援する会
http://dohisaibansien.blogspot.com/
※学校に言論の自由を求めて
http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi
『藤田先生を応援する会 通信』第36号(2009/8/31)
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