パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

日記5/12~5/15

2005年05月26日 | 藤田の部屋
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2005年5月12日(木曜日)     栄光
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 本日、法廷にて教員撮影の板橋高校卒業式ビデオ上映。
 一時間余、じっと被告席に座って見ているのが拷問、映像では卒業生、皆姿勢ほとんど崩さずにいる。恐れ入った。
 司会、「国歌斉唱」の発声、直後、さっと270名の卒業生のほとんどが着席、一部「座れ」との煽りの声かかるもその必要性もなし。
 校長、「立ちなさい、立って歌いなさい」、と何度も叫んでいる。虚しき響き。
 都議、土屋、「日本人なら立って歌いなさい、恥ずかしくないのか」、なる趣旨の発声、相手にされず。相当、頭に来たと思われる。
 起立していた数少ない卒業生のうちの一人が、「思想信条の自由はどうなんだ」と発言。
 答えて教頭、「ほんとに信条のあるもの以外は立ちなさい」、と言う。妙なる答えである。少数の起立している卒業生への侮辱ともなる。常に少数派が正しいとすれば、この状況では起立を貫いた数少ない諸君の勇気を讃うべきか。
 式、最後、「旅立ちの日に」の合唱、見事であった。強制された歌との対比が鮮やか。全盲の少女、Iちゃんのピアノ伴奏の音が、永遠のこだまの如く式場に流れていった。
 若き諸君に栄光あれ。

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2005年5月13日(金曜日)     愚か
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 来賓一名は、卒業生の入場前の待ち時間に保護者席に語りかけて「退場処分」、「家宅捜索」、「起訴」され裁判所より召喚状が来る。
 来賓一名は、式の最中に己の政治的発言をなして卒業生を威嚇し、かつ国歌斉唱中に携帯にて写真撮影し何事もなく今都議選で走り回っている。
 なんたる落差よ。都議の政治的発言を許容したのであるから、来年の卒業式は左右の都議が式最中にお互いの信条を喚きあう場となるのであろう。
 彼は心中、落選の恐怖でノイローゼ状態であろうと推量する。猿は落ちても猿であるが、議員は落ちたらゴキブリだ。
 板橋選挙区は民主党がもう一名出たから、前回最下位の彼は精神的にきついだろう。
 民主党という政党も変な政党だ。菅がいて西村慎吾がいる。一体、どうなっているのだ。都議会民主党なんていうのは、右翼の溜まり場なのか。
 給料の他に政策立案のためとか称して月、60万円ほども手中にする。何に使おうと野放しだ。日本の社会はこれらの特権的議員と高級官僚とが食い潰してしまった。こんな議員を選ぶ日本の民衆も愚かといえば愚かである。

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2005年5月14日(土曜日)     占有
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 憲法38条3項には次のように書かれている。「何人も自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」と。他人の自白である場合はどうなるのか。証人が「あいつがやった」と言えば有罪となりうるのか。どうもなりうるらしい。
 こりゃあ何ともおっかない。自分の罪を逃れたり軽くする為に共犯者の一人に罪をなすりつけることが起きるのではないか。人間の言の葉こそいい加減なものはない。有史以前より数限りない冤罪がある。裏切りがある。でっち上げ、なすりつけがある。
 容疑者、被告には黙秘権がある。証人には黙秘権がない。言わねばならない。となると殆んどの人間が自分の罪を軽くしようと思うであろう。共犯者の証言はこれを採用しないということにすべきであろう。そうでなければ冤罪の温床となる。
 組織の命により偽証する者がいる。偽証の多くは検察が見抜いていると思われる。検察は起訴した以上、有罪にとって有利となれば偽証を咎めない。これは組織犯罪である。検察の起訴占有は再考すべきではないか。

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2005年5月15日(日曜日)     愛国心
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 三島由紀夫が、「愛国心という言葉は嫌いだ」(「創」、鈴木邦男)と言っていたという。
 「愛する」という言葉は昔からあったようだが、どうも口から出にくい。相手に「愛してるよ」などと言った昔の人間はいるのだろうか。「好きだ」とか「お前に惚れた」ぐらいではないのだろうか。
 戦後に生まれた連中については知らない。
 「愛」は愛らしいという使い方が似合っている。「愛国心」という言葉は明治以来の粗製品ではなかろうか。
 愛・・心、という言葉はいくつあるのか。愛郷心しか思いつかない。「愛郷塾」の橘孝三郎は、血盟団、五・一五事件に関与し無期懲役になった。水戸という風土は何故に過激な志を生むのか。1940年には出獄しているから、八年ほどしか獄にいない。呆れた無期懲役だ。治安維持法に引っ掛かった連中はあまた獄死したというのに。法の下の不平等だ。
 安保の時、市民のデモの隊列を右翼が襲撃した。棒の先に釘をつけて。凄惨であった。弱きを挫くとは。多数で襲撃するとは。
 以来左右を問わず暴力行為には嫌悪感を覚える。自分が殴り合いの喧嘩をしたことがないからでもあろう。


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