◆ 公立中学授の教師の負担は
想像を絶するような忙しさである
今号では、昨日の交渉でも当然話題になった「学校の多忙問題」の周辺について、書こうと思っている。
この『通信』の10/28号で、『朝日10/25号』の「声」欄に載った投書「定時に帰宅できる学校職場に」を紹介した。その投書に対する返信が、11/5(土)の同欄に掲載された。下欄に載せるので、読んでほしい。
11/3(木)の『朝日』オピニオン面下段のコラム「異論のススメ」で、「保守」派の佐伯啓思が、「中等教育の再生/『脱ゆとり』で解決するのか」という文章を書いている(下欄参照)。ぼく、佐伯のこと、そんなに好きじゃないけど、この文章は「いい」と思う。
例えば、「しかも、誠実でカをもった本来の教師らしい教師の負担がますます高まる。こうして優秀な教師もつぶされてゆく」という指摘は、「鋭い」と思う。
「保守」派の書くことでも、いいものはいい一ということで、「異論のススメ」ならぬ「い~(良い)論のススメ」をする次第である。(16/11/08未明)
=朝日「声」(16/11/05)=
◆ 夫は教頭、クタクタの日々
主婦 遠藤さゆり(静岡県55)
「定時に帰宅できる学校職場に」(10月25日)に共感します。夫は公立中学校の教頭。授業も持ち、朝7時から夜8時頃まで学校にいます。毎日4時間以上の時間外勤務でも残業手当は出ません。
PTAの会議やトラブル対応で午後10時過ぎに帰宅したり、持ち帰った仕事を夜中までしたり。睡眠不足のままクタクタ状態で出勤するのは、56歳のおじさんにはしんどいのです。
残業が月100時間を超えると過労死の危険性が高まるとか。夫はそれに近い状態です。現に昨年も今年も、めまいなどで寝込んで1週間ほど休みました。
土日も学校や部活の応援に行きます。年休は消化できず、繰り越しも限度があって捨てています。夏休みの調整も他の教師の希望を優先し、自分は後回しです。
教頭のなり手がいないのは、大変な仕事とみんなが知っているからでしょう。夫は息子たちに「教師にはならないほうがいい」と言っています。
定時退勤が難しいなら、せめて残業の翌目は遅刻や早退を認めるのはどうでしょうか。このまま仕事が減らなければ、夫が過労で倒れてしまわないか心配です。
=朝日「オピニオン面/異論のススメ」(16/11/03)=
◆ 中等教育の再生/「脱ゆとり」で解決するのか
佐伯啓思(京都大学名誉教授)
(略)
フィンランドの教育改革は、2003年のOECDのPISA(学習到達度調査)でいきなりトップに躍り出たことでよく知られている。
その理由を教育大臣にインタビューすると、宿題を廃止して、放課後は外で遊ぶように指令を出した、すると学力が上がった、という。いつも勉強ばかりしていては頭もはたらかなくなるでしょう、というわけだ。
かたや日本では、国際的な学力順位が低下したといい、教科書を分厚くして、授業時間を増やし、英語は小学校から始めるという話になっている。学力低下の原因は、授業がまだ足りないからだ、というのだ。
(略)
子供たちには大きなストレスがかかっているようにみえる。
その上に、PISAのランクを上げるため「もっと授業を」ということになっている。
こうなると、学力的にできる生徒とできない生徒の差はいっそう開き、できない生徒はますます学校が面自くなくなるであろう。学校間でも格差ができるだろう。
とすると、学力向上の方針が、いじめや校内暴力をいっそう激化する結果につながりかねない。
(略)
ある調査によると、フィンランドの教師の学校滞在時間が1日あたり7時間なのに対して、日本は平均11時間半におよぶ、という。そこへもってきて、日本では土曜、日曜も部活のために出なければならない。部活にとられる時間とエネルギーは相当なもので、部外者からすれば、いったいどうして部活のウェートがかくも大きいのか不思議なのだが、おかげで教師も生徒もほとんど休日がなくなっている。
OECDの調査によると、加盟国の週平均勤務時間が約38時間で、日本は54時間にもなっている。多い教師はこれをはるかに超えるだろう。こうなると、教師も疲労困態するのは当然だろう。
(略)
しかし、本当に深刻なのは、学力的にいえば「中」から「下」へかけた生徒の中等教育だと思う。
おそらく日本において学力レベルでトップクラスの子供たちは世界水準でもトップレベルであろう。彼らは多くの機会にめぐまれその多くは充実した学校生活を送っているのかもしれない。
しかし、平均から下へかけては、学校自体が面白くなくなってしまう。しかも、いじめや校内暴力、不登校の場合、子供からすれば、家庭がうまくいかず居場所がなくなっているケースが多い。これは、学校だけの問題ではなく社会問題でもあるのだ。
フィンランド方式は、10年ほど前に日本でも話題になった。もちろん、人口550万人ほどの国と日本の比較はあまり意味はないし、フィンランド方式を日本に持ち込むのは無理であろう。
しかし、フィンランド方式とは、一種のゆとり教育であり、平均以下の子供の底上げを狙って個々の子供に合わせた学習を採用するものであった。
日本は逆に「脱ゆとり」で、ますます子供にも教師にも負担を強いる方向へ向かっている。
思春期にはいる不安定な子供の中等教育はきわめて大事なものであり、一度、どこに問題があるのか、現場の教師の見解も含めて大規模な調査と議論を行うべきときであろう。
『勝手に支部教研ニュース第864号(1675)』2016年11月8日
〒272・0013 市川市高谷1509市川南高校内千葉高教組市川支部
「ひょうたん島研究会」(編集=T.T.)
想像を絶するような忙しさである
(TT)(千葉高教組市川支部「ひょうたん島研究会」)
今号では、昨日の交渉でも当然話題になった「学校の多忙問題」の周辺について、書こうと思っている。
この『通信』の10/28号で、『朝日10/25号』の「声」欄に載った投書「定時に帰宅できる学校職場に」を紹介した。その投書に対する返信が、11/5(土)の同欄に掲載された。下欄に載せるので、読んでほしい。
11/3(木)の『朝日』オピニオン面下段のコラム「異論のススメ」で、「保守」派の佐伯啓思が、「中等教育の再生/『脱ゆとり』で解決するのか」という文章を書いている(下欄参照)。ぼく、佐伯のこと、そんなに好きじゃないけど、この文章は「いい」と思う。
例えば、「しかも、誠実でカをもった本来の教師らしい教師の負担がますます高まる。こうして優秀な教師もつぶされてゆく」という指摘は、「鋭い」と思う。
「保守」派の書くことでも、いいものはいい一ということで、「異論のススメ」ならぬ「い~(良い)論のススメ」をする次第である。(16/11/08未明)
=朝日「声」(16/11/05)=
◆ 夫は教頭、クタクタの日々
主婦 遠藤さゆり(静岡県55)
「定時に帰宅できる学校職場に」(10月25日)に共感します。夫は公立中学校の教頭。授業も持ち、朝7時から夜8時頃まで学校にいます。毎日4時間以上の時間外勤務でも残業手当は出ません。
PTAの会議やトラブル対応で午後10時過ぎに帰宅したり、持ち帰った仕事を夜中までしたり。睡眠不足のままクタクタ状態で出勤するのは、56歳のおじさんにはしんどいのです。
残業が月100時間を超えると過労死の危険性が高まるとか。夫はそれに近い状態です。現に昨年も今年も、めまいなどで寝込んで1週間ほど休みました。
土日も学校や部活の応援に行きます。年休は消化できず、繰り越しも限度があって捨てています。夏休みの調整も他の教師の希望を優先し、自分は後回しです。
教頭のなり手がいないのは、大変な仕事とみんなが知っているからでしょう。夫は息子たちに「教師にはならないほうがいい」と言っています。
定時退勤が難しいなら、せめて残業の翌目は遅刻や早退を認めるのはどうでしょうか。このまま仕事が減らなければ、夫が過労で倒れてしまわないか心配です。
=朝日「オピニオン面/異論のススメ」(16/11/03)=
◆ 中等教育の再生/「脱ゆとり」で解決するのか
佐伯啓思(京都大学名誉教授)
(略)
フィンランドの教育改革は、2003年のOECDのPISA(学習到達度調査)でいきなりトップに躍り出たことでよく知られている。
その理由を教育大臣にインタビューすると、宿題を廃止して、放課後は外で遊ぶように指令を出した、すると学力が上がった、という。いつも勉強ばかりしていては頭もはたらかなくなるでしょう、というわけだ。
かたや日本では、国際的な学力順位が低下したといい、教科書を分厚くして、授業時間を増やし、英語は小学校から始めるという話になっている。学力低下の原因は、授業がまだ足りないからだ、というのだ。
(略)
子供たちには大きなストレスがかかっているようにみえる。
その上に、PISAのランクを上げるため「もっと授業を」ということになっている。
こうなると、学力的にできる生徒とできない生徒の差はいっそう開き、できない生徒はますます学校が面自くなくなるであろう。学校間でも格差ができるだろう。
とすると、学力向上の方針が、いじめや校内暴力をいっそう激化する結果につながりかねない。
(略)
ある調査によると、フィンランドの教師の学校滞在時間が1日あたり7時間なのに対して、日本は平均11時間半におよぶ、という。そこへもってきて、日本では土曜、日曜も部活のために出なければならない。部活にとられる時間とエネルギーは相当なもので、部外者からすれば、いったいどうして部活のウェートがかくも大きいのか不思議なのだが、おかげで教師も生徒もほとんど休日がなくなっている。
OECDの調査によると、加盟国の週平均勤務時間が約38時間で、日本は54時間にもなっている。多い教師はこれをはるかに超えるだろう。こうなると、教師も疲労困態するのは当然だろう。
(略)
しかし、本当に深刻なのは、学力的にいえば「中」から「下」へかけた生徒の中等教育だと思う。
おそらく日本において学力レベルでトップクラスの子供たちは世界水準でもトップレベルであろう。彼らは多くの機会にめぐまれその多くは充実した学校生活を送っているのかもしれない。
しかし、平均から下へかけては、学校自体が面白くなくなってしまう。しかも、いじめや校内暴力、不登校の場合、子供からすれば、家庭がうまくいかず居場所がなくなっているケースが多い。これは、学校だけの問題ではなく社会問題でもあるのだ。
フィンランド方式は、10年ほど前に日本でも話題になった。もちろん、人口550万人ほどの国と日本の比較はあまり意味はないし、フィンランド方式を日本に持ち込むのは無理であろう。
しかし、フィンランド方式とは、一種のゆとり教育であり、平均以下の子供の底上げを狙って個々の子供に合わせた学習を採用するものであった。
日本は逆に「脱ゆとり」で、ますます子供にも教師にも負担を強いる方向へ向かっている。
思春期にはいる不安定な子供の中等教育はきわめて大事なものであり、一度、どこに問題があるのか、現場の教師の見解も含めて大規模な調査と議論を行うべきときであろう。
『勝手に支部教研ニュース第864号(1675)』2016年11月8日
〒272・0013 市川市高谷1509市川南高校内千葉高教組市川支部
「ひょうたん島研究会」(編集=T.T.)
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