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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「今なお日豪にさす太平洋戦争の影」を聞いて

2009年10月18日 | 増田の部屋
 ◆ 「今なお日豪にさす太平洋戦争の影」を聞いて

皆様
 おはようございます。犯罪都教委&2悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCで送っています。重複・長文、ご容赦を。
 10月14日、午後6時から上智大学SJハウスで、モナッシュ大学(メルボルン)の日本研究所客員研究員、足立良子さんとアンドリュー・マカイさんによる「今なお日豪にさす太平洋戦争の影」という講演がありました。(主催:レッツ編集部『日本の戦争責任資料センター ボランティア部』)
 「オーストラリア建国以来、この国を武力侵攻したのは日本だけである」という歴史事実を、現在、どのくらいの日本人が知っているでしょうか? また、オーストラリアの方々が日本に対して本当はどんな気持ちを抱いているか、どのくらいの日本人が知っているでしょうか? 足立さん&マカイさんは、本当に率直で貴重な日豪戦の実態と、オーストラリア人のナマ!? の声を聞かせてくださいました。
 太平洋戦争が始まってすぐ、北部のダーウィンは米海軍の基地があったため、65回もの日本軍による空襲があり、たくさんのオーストラリア人が犠牲になったこと、日本軍は降伏した豪軍の兵士を、一緒にいた従軍看護婦たちを含めて虐殺したこと・・・看護婦さんまで殺していたなんて知りませんでした・・・彼女たちは「海の中に入って進め」と命じられ、腰まで浸かる深さに進んだ時、日本軍による一斉射撃が行われ、死んだふりをしてただ一人だけ生き残った女性がその事実を伝えた、ということです。
 戦争末期の1945年1月の「サンダカン、死の行進」では、最初でも一日100グラムしか与えられなかった米が一日70グラムにまで減らされ、2770人の英豪捕虜がほとんど栄養失調となり、マラリアやコレラにかかっていたこと、それなのに、ラナウまで270キロを歩かせ、最後は立てる捕虜は殺し、立てない捕虜は置き去りにしたこと・・・日本軍の捕虜となった全部で25000名の豪兵のうち、生きて帰れた人は14000人、捕虜の36%が死んでいること。どれほどの非人間的な虐待があったか・・・一方、独伊の捕虜になった人の死亡率は3%・・・
 二人で178人の元捕虜の方のインタビューをした中で、93人の人は「日本との貿易の発展や観光に来る日本人に触れて、今はもう、日本人を赦してもいい」と言われたけれど、51人の方は「絶対に赦せない」と、日本に対して強い悪感情を今も持ち続けていること、残りの34人の方は、複雑な気持ちに揺れ動いていること・・・
 オーストラリアでは毎年4月25日はアンザック・デー(ANZAC、Australia, NZ Army連合の略)といって、第一次大戦以後に戦って亡くなった兵士への追悼式が行われているそうですが、90年代半ばからビクトリア州やいくつかの州で個別に行われていた日豪戦の死者に対する追悼を、去年から9月の第1水曜日に国家行事の「オーストラリアのための戦い」記念日として行うことになったそうです。「太平洋戦争中に日本軍を撃退してオーストラリアを守ったオーストラリアおよび連合軍兵士たちの勇気、犠牲、奉仕に対して感謝と尊敬の念を表する」こと・・・それは、去年の6月にラッド首相が広島を訪問した10日後に決まったことだそうです。
 これは何を意味するでしょうか? 「日本と友好関係を深めていきますが、対日戦争は絶対に忘れませんよ」というメッセージ?・・・元捕虜の人たちには、残虐な日本軍による虐待の困難な中でも生き抜いた勇気ある英雄として大きな敬意が払われているそうです。そして、日本政府が元捕虜に賠償をしないので、オーストラリア政府が一人2万5千豪ドルの補償をした、とか。
 オーストラリアでは一年に2回、国をあげて戦争を忘れず考えていく日があり、そのうちの一日は、特に日本による侵略戦争を対象としたもので、それには日本軍の国際法違反の戦争犯罪が不可欠のものとして語られる・・・
 日本での8月15日は「今日の平和と繁栄を築いたのは戦没者のおかげです」という文言を天皇が読み上げ、首相が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました・・・ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」という談話を発表することになっているですが・・・
 オーストラリアとの戦争は、実質は1942年~1945年の3年間で、それでも、日本軍の非人道的行為、戦争犯罪は64年経った今でもオーストラリアの人々の胸に刻み込まれており、また、現在でさえ傷の癒えない人もいるのです。
 一方、1875年の江華島事件から1910年の強制併合、そして1945年の敗戦まで70年間も、朝鮮半島の人々を日本は踏みにじり続け、1965年の日韓条約では「もはや1910年以前の条約は無効」とだけで、協定により請求権は「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となり、謝罪の言葉は一言もなく、元日本軍性奴隷の方々や元勤労挺身隊・徴用工、日本の軍人軍属として戦った方々には何の補償もなく、北朝鮮とは未だに国交さえない・・・
 これで、日本は「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」ことを真に謝罪し反省していると、「多大の損害と苦痛を与えました」「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々」に見てもらえて、真に和解をしてもらえるものでしょうか?
 足立さん&マカイさんのお話は、本当に興味深く刺激的で、オーストラリアのことだけでなくいろいろな問題を考えさせてくれました。和やかな中にも質問は靖国神社やアボリジニーの人々のことなど多岐にわたり、活発な応答の結果、8時までの予定が終わったのは9時でした。
 急な企画だったため、参加者は15名くらいでしたが「もっと多くの方に聞いてもらいたかったな」と感じました。お二人の著作「Shadows of War」(元豪兵士へのインタビューとアンケートによって集めた代表的な声)「Echoes of War」(178人の元豪兵士の声の収録)は英文なので、日本語版が出版されることが望まれています!(英文でも購入ご希望の方はkusunoki at jca.apc.org までお申し込みください。)

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