◆ あるものを無視し、ないものを付け足すのはなぜ?
原告7人の戒告処分取消等の訴えに対し、3月26日の内藤判決(大阪地裁)も納得できるものではなかった。裁判所の信用瓦解はまた進んだ。裁判長による信用失墜行為だろう。
判決は原告の主張を無視したままであると同時に、原告が言ってないことを原告の主張のように述べて論を展開し、被告の主張以上に原告を貶めている。
私は「信教の自由」に関するところの違和感をここで述べる。
争点2の「処分が思想及び良心の自由(憲法19条)に反するか」の裁判所の判断を述べる箇所で、「原告らの有する歴史観、世界観、宗教観、人生観、主義、主張それ自体を否定することはできない。」等と、「歴史観、世界観」以外にいっぱいくっ付けてある。そして約2頁にわたり何回も出てくる。
訴状では「歴史観ないし世界観それ自体を否定するもの」という訴え方をしている。「歴史観、世界観」以外の単語について裁判官がどういう定義で使っているか不明。
特に信教の自由(憲法20条)の侵害を訴えている私は、「自分の宗教観が否定されている」ということは、訴えていない! この裁判で、訴状以外の準備書面にも「宗教観」などというものは無いはずである。
争点3の「職務命令が信教の自由(憲法20条)に反するか」の裁判所の判断は「上記2のとおり、このような信教の自由に関する間接的制約は許容されるのであって」とあるが、「上記2」は憲法19条について述べてあり、「信教の自由」という言葉は一回も出てこない(「宗教観」という私にとっては意味不明の言葉が出てくるが)。
この判決は無効だと思う。
◆ 内藤裁判長、教えて下さい
戒告共同訴訟に加わるときに、東京の最高裁判決をもう一度読んでみましたが、やっぱりよくわかりません。
特に「間接的制約」 どこが間接的?こんなことは「君が代」裁判に関わる者としてわかっていて当然なんでしようね。
これを裁判の過程できちんと理解しようと思っていたのですが、裁判の中での議論(書面のやりとり)は弁護士の皆さんにお任せになってしまって、よくわからないままに判決が出てしまいました。
一度ていねいにそこんとこ説明してほしかったんですが、もう無理ですね。残念です。
内藤裁判長の判決にも、最高裁判決を引き写している部分はかなり出てくるけれど、そんなことはどうでもいいんですね。
「…自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものである…」と、結局、あなたの価値観に反する行動は問答無用でアウトということですかね。
法律論等にていねい答えてくれないのは、この一言で結論が導けるからですか。
あなたの言葉を素直に読めば、職務命令が教育上の信念をねじ曲げることになり、それこそ、職務命令が直接的に思想良心の自由を侵していることをなると思うんだけれど、違いますか?
基本的人権は他の人の自由や権利を侵害しない限りは全面的に保障されるものだと学びました。
私たちの行動はあなたの気分を損ねるのかもしれないけれど、決して、あなたに考えをねじ曲げさせるようなことはしません。
カの強い者、声の大きい者に弱者が従わなければならないのなら、憲法なんて意味がない。国家や権力者の横暴から弱者を守ってくれるのが憲法でしよう。
どうすれば、憲法が私たちを守ってくれるのか教えて下さい内藤裁判長!
(「戒告処分取消共同訴訟」原告の声 続)
戒告処分取消共同訴訟原告 奥野泰孝
原告7人の戒告処分取消等の訴えに対し、3月26日の内藤判決(大阪地裁)も納得できるものではなかった。裁判所の信用瓦解はまた進んだ。裁判長による信用失墜行為だろう。
判決は原告の主張を無視したままであると同時に、原告が言ってないことを原告の主張のように述べて論を展開し、被告の主張以上に原告を貶めている。
私は「信教の自由」に関するところの違和感をここで述べる。
争点2の「処分が思想及び良心の自由(憲法19条)に反するか」の裁判所の判断を述べる箇所で、「原告らの有する歴史観、世界観、宗教観、人生観、主義、主張それ自体を否定することはできない。」等と、「歴史観、世界観」以外にいっぱいくっ付けてある。そして約2頁にわたり何回も出てくる。
訴状では「歴史観ないし世界観それ自体を否定するもの」という訴え方をしている。「歴史観、世界観」以外の単語について裁判官がどういう定義で使っているか不明。
特に信教の自由(憲法20条)の侵害を訴えている私は、「自分の宗教観が否定されている」ということは、訴えていない! この裁判で、訴状以外の準備書面にも「宗教観」などというものは無いはずである。
争点3の「職務命令が信教の自由(憲法20条)に反するか」の裁判所の判断は「上記2のとおり、このような信教の自由に関する間接的制約は許容されるのであって」とあるが、「上記2」は憲法19条について述べてあり、「信教の自由」という言葉は一回も出てこない(「宗教観」という私にとっては意味不明の言葉が出てくるが)。
この判決は無効だと思う。
◆ 内藤裁判長、教えて下さい
戒告処分取消共同訴訟原告 梅原 聡
戒告共同訴訟に加わるときに、東京の最高裁判決をもう一度読んでみましたが、やっぱりよくわかりません。
特に「間接的制約」 どこが間接的?こんなことは「君が代」裁判に関わる者としてわかっていて当然なんでしようね。
これを裁判の過程できちんと理解しようと思っていたのですが、裁判の中での議論(書面のやりとり)は弁護士の皆さんにお任せになってしまって、よくわからないままに判決が出てしまいました。
一度ていねいにそこんとこ説明してほしかったんですが、もう無理ですね。残念です。
内藤裁判長の判決にも、最高裁判決を引き写している部分はかなり出てくるけれど、そんなことはどうでもいいんですね。
「…自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものである…」と、結局、あなたの価値観に反する行動は問答無用でアウトということですかね。
法律論等にていねい答えてくれないのは、この一言で結論が導けるからですか。
あなたの言葉を素直に読めば、職務命令が教育上の信念をねじ曲げることになり、それこそ、職務命令が直接的に思想良心の自由を侵していることをなると思うんだけれど、違いますか?
基本的人権は他の人の自由や権利を侵害しない限りは全面的に保障されるものだと学びました。
私たちの行動はあなたの気分を損ねるのかもしれないけれど、決して、あなたに考えをねじ曲げさせるようなことはしません。
カの強い者、声の大きい者に弱者が従わなければならないのなら、憲法なんて意味がない。国家や権力者の横暴から弱者を守ってくれるのが憲法でしよう。
どうすれば、憲法が私たちを守ってくれるのか教えて下さい内藤裁判長!
(「戒告処分取消共同訴訟」原告の声 続)
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