ベネズエラ大統領ウゴ・チャベス氏が死去しました。報道によると数万人の人々がその死を悼んだということです。テレビでも葬儀の様子を放送していましたが、貧困層とみられる人が熱く語っていました。
多くの国民から支持されたウゴ・チャベスという人はどんな人だったのか、調べてみました。
ウゴ・チャベス氏は1998年に初めて大統領に当選して以来、4回の大統領選挙を含む国政選挙と国民投票で12回にわたり国民の審判を受けました。そのうち11回勝利しています。毎回、米国が国内の反政府勢力を露骨に支援し、「暗殺」の脅しまで使った内政干渉にうちかって国民の圧倒的な支持を受けたそうです。
ウゴ・チャベス氏によるベネズエラの変革の特徴は、国民の直接選挙、投票による信託を受けて進める民主的な改革であることです。一つ一つの問題について投票による信任を得ながら進むという手法をとったということです。ベネズエラ以前の改革が、たとえばキューバのように、軍事的な方法であったのに対し、ベネズエラの変革の著しい特徴と言ってよさそうです。
チャベス政権は特に貧困層からの支持が厚いようです。どのような政策で支持を集めたのでしょうか。
チャベス政権が実行してきたのは、世界第五位の石油輸出国として自国資源への主権をとりもどし、これらの資源を最大限に活用しながら、国民の福利を向上させてきたさまざまな施策です。
政府発表によると、1998年には国民の21%もあった極貧困世帯は、2006年には10.6%に半減しました。失業率は同じ時期に、11.3%から9.6%に低減しています。
最低賃金はこの10年間に5.6倍(米ドル換算)になりました。インフレ率は、2002~03年をピークに大きく下降してきました。
貧困層対策だけではありません。国の経済規模も拡大しました。一人当たりGDP(米ドル換算)は1998年の3,928米ドルから2012年には11,131米ドルになり2.8倍に増えました。。
この間には、2002年から2004年にかけて、米国の直接介入を受けた反政府勢力のストライキ、クーデターなどのがあり、国民とともに打ち破っていく過程がありました。この困難な時期を突破し、経済、社会改革が着実に進むようになったなかで、国民の暮らしは顕著に改善されたそうです。
経済だけでなく、教育の普及、医療の普及など、広い範囲の福祉政策にも力を入れました。
ベネズエラはかつて、石油などの資源を米国などと結びついた一部資本に握られ、1990年代には貧困層が8割に達した国です。国民の暮らしの改善は、なによりチャベス政権が進めてきた大胆できめ細かい施策がもたらしたものです。それは、零細農家への土地分配と協同組合への組織化、就学を促す教育改革、貧困層のための低価格店の全国展開、無料診療所開設、「女性の発展のための銀行」、職業訓練などの失業対策、貧困層向け・都市開発の「住宅建設計画」に及びます。
チャベス政権の功績は外交政策にもあります。南米共同体でも、エネルギー協力など各分野でイニシアチブを発揮し、自主的な地域協力を積極的に前進させています。
ベネズエラから始まったこの地域の変革の波は、南米に広がり、中米にも及びました。今年の選挙で、米ドルを通貨にしてきた南米エクアドルの国民は、米国から自立した南米統合を支持し、米国との自由貿易協定を拒否し、米軍基地撤去を公約するコレア新大統領を選出しました。中米ニカラグアでは、国際通貨基金の「構造調整」政策を見直すと訴えたオルテガ氏が、十六年ぶりに大統領に返り咲きました。
中南米に広がる大きな変化は、外国支配を許さず、自立と民主化を求める変革にこそ、この地域と世界の未来があることを示しています。
このように調べてみると、新聞が言っている「反米の旗手」という言葉にも疑問がわいてきました。かつては「アメリカの裏庭」と呼ばれた中南米で、アメリカの大資本の支配から脱し、自主的な国づくりをしていこうとする自主的な動きだということも明らかになってきました。