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【湘南の風 古都の波】「映画」が帰ってくる

2009-03-25 12:59:14 | 映画 話題等
【湘南の風 古都の波】「映画」が帰ってくる

 ■シーン1
 数々の名作を残した小津安二郎(おづ・やすじろう)監督の自宅は北鎌倉の浄智寺(じょうちじ)の近くにあった。女優の田中絹代(きぬよ)さんも鎌倉に住み、由比(ゆい)ガ浜通りのうなぎ屋さんで食事をするのが楽しみだった。
 記憶に新しいところでは寅さんの『男はつらいよ』シリーズなども作られた松竹大船(おおふな)撮影所があったことから、古都・鎌倉は「映画の町」とも言われた。こう書くと「えっ、大船撮影所って大船市じゃなく鎌倉にあったの」と聞かれることがある。大船駅の知名度もあって誤解されやすいが、大船市は存在しない。
 JR大船駅の所在地は鎌倉市大船一丁目。撮影所は1936(昭和11)年に東京の蒲田から大船に移り、2000(平成12)年に閉鎖された。跡地は鎌倉女子大のキャンパスである。
 その「映画の町」には現在、常設の映画館が1軒もない。かつては5軒もあったそうだが、次々に姿を消し、最後に残った鎌倉駅西口のテアトル鎌倉も1988(昭和63)年に閉館した。跡地にはマンションが建っている。
 これも時代の波というものなのだろうが、最近は新しい動きも見られる。


2. 【20世紀のきょう】レノンとヨーコが“平和のベッド・イン”


 ■1969・3・25
 ジョン・レノンとオノ・ヨーコはハネムーン先のアムステルダムのヒルトンホテルで、この日「ベッド・イン」を始めた。記者会見し、こんな2人の様子が世界に流された。レノン28歳、ヨーコ36歳。当時、ベトナム戦争の最中で、平和をアピールするパフォーマンスとして行ったのだが、過激な内容を予想していたマスコミはがっかりしたという。




【次代への名言】3月24日・島崎藤村

 ■「どうか丑松(うしまつ)が帰って来たら、忘れるな、と一言(ひとこと)そう言っておくれ」(島崎藤村(とうそん)『破戒(はかい)』)
 

 「丑松」とは『破戒』の主人公の青年教師、瀬川丑松。冒頭のことばの主は彼の父親である。では、「忘れるな」とは? 被差別出身という素性を隠すこと。丑松の父はこうもかきくどいている。「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人とめぐりあおうと決してそれとはうちあけるな、いったんの憤怒(いかり)悲哀(かなしみ)にこの戒めを忘れたら、その時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思え」
 明治39(1906)年のきょう、『破戒』は世に問われた。島崎藤村はすでに詩人として名高く、大手から「出版はうちで」と声をかけられたが、彼は借金による自費出版という難路を選択した。孤高の文学者、藤村らしい選択だった。
 深奥な問題と父の戒めを破る(破戒)までの丑松という人間の苦悩、彼をとりまく小社会を平易な文章でつづったこの作品は、出版初日から大反響を呼んだ。また、賛否さまざまな評論が文壇を埋めたが、その真価は、文豪、夏目漱石の次の一文を引用すれば十分だと思う。
 「金色夜叉(こんじきやしゃ)(尾崎紅葉(こうよう)作)の如(ごと)きは二三十年の後は忘れられて然るべきものなり。破戒は然(しか)らず。僕多く小説を読まず。然(しか)し明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思ふ」

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