僕はそのとき都内のビルの8階にいたのですが、大変な恐怖を感じました。僕自身かつて阪神大震災を身近に経験しているのですが、その記憶と共に今や大変な事態が生じつつあるということだけはその瞬間理解出来た気がします。本震がやっとおさまって脳裏をよぎったのは横浜の別の場所で働いている彼女の安否についてでした。
しばらくその場で待機していた後、帰路につくことになったのですが、かなりの長距離を徒歩で移動し、途中かろうじて運行していたバスを幸運にして利用出来たこともあり、漸くのことで自宅のある街に帰り着くことが出来ました(彼女とは当日その後合流出来ました)。
地震発生から時間が経つにつれ、報道を通して東北太平洋岸を中心とした被災地のあまりに深刻な状況を断片的ながらも知り、自分自身が大変な目にあったなどと感じていたことなど当然吹き飛び、恥ずかしくさえ思います。
仙台出身のある知人の家族(御祖父母)の住む家屋が甚大な被害を受けたことを聞きました。そのご家族の命に別状はなかったものの、既に判明しているだけで多くの人命が失われ、被災地の人々の家屋が、財産が一瞬にして失われている現実。被害を受けた多くの方が粛然と避難場所に集合し、なかには凛として報道関係者の取材に応じている姿。また、報道カメラに映らないところで家族や全ての家財を失ったおびただしい数の人々が放心状態で、あるいは家族の安否を思いながら、その悲惨な現実のなかに今も置かれていることを思うとやりきれません。
このようなところに書き込んでもなんの意味もないのですが、現在救助活動に当っている消防、警察、自衛隊、その他自治体、医療関係者、東京電力原発職員等あげればきりのないほど多くの力を尽くして下さっている全ての皆さんに一国民として心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
なにより大きな喪失のなかで今後どうか少しでも多くの方の苦しみが取り除かれ、少しでも多くの方の生命が救われることを願います。
自身このような離れた場所に安穏としていながら、本当に辛く思います。
このような自分がやみくもに感傷的になっていても仕方ないのかもしれませんがブログの更新は当面滞ることになると思います。
本格化しつつある義援金への応募寄付をはじめ、たとえ遠くに在っても出来る形でなにかしなければならないと考えています。