平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

2023年春

2023-03-08 | 日記
こんにちは!
相変わらずすっかり放置のblogですが 変わらず元気にしております。
コロナもだいぶ落ち着いて マスク生活からももうすぐ解放されそうですが気は抜けませんね・・。

昨日はとてもきれいな満月で、ようやく春らしい陽気になり春眠暁を覚えず状態です(笑)
沈丁花の香りも辺りに漂い 草木も芽吹き、暖かくなって気持ちもワクワクはずんできました♪
花いっぱいの輝きの季節ももうすぐそこに♪ 昨年から薔薇に目覚めたので 今年の開花が楽しみです!
すっかりblogのお友達ともご無沙汰になってしまいましたが 皆様もどうぞお元気でお過ごしくださいませ

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本当に久しぶりの更新です

2022-05-07 | 日記
皆様 すっかりご無沙汰しております。
本当に久しぶりに 更新してみました。
blogの使い方も忘れてしまいました(;^_^A
もうすっかり忘れられていると思いますが 私は元気です♪ 
近況は Twitter で時々つぶやいております。
もう少ししたら こちらもまた再開したいとは思っておりますが なかなか。。。
その時はまたどうぞよろしくお願いいたします
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blogのお引越し

2014-12-01 | 日記・エッセイ・コラム

早いもので 今日から師走。
カレンダーも最後の一枚となり、今年ももうすぐ終わりです。


ほとんど更新していないblogですが
今までの 「ブログ人」サイトの閉鎖にともない、こちらの 「gooブログ」にお引越しをしました。

引っ越しツールで 今までの記事をまとめて引っ越しさせたままなので
重複している記事もありますし、リンク切れの記事も多々あります。。

また、うまく引っ越しできなかった記事もあるので
そちらについては 自分のおぼえ書きとして 過去ログから追記したいと考えております。


また 過去の記事にせっかくコメントをくださったのに blogを放置していたため
お返事ができなったかったことや、今回の引っ越しで いくつかのコメントが反映されていないこともお詫び申し上げます。

これからも 細々と続けていけたらと思いますので 
懲りずにまたどうぞよろしくお願いいたします♪




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父の日

2013-06-16 | 行事 暦
久々の更新です。

今日は父の日。
娘たちからパパに何かプレゼントがあるかしら。

でも今日はパパが仕事でいないので パパの両親を呼んでお食事会もできないし・・・
これから義父への贈り物を買って届けに行きます。

お父さんいつもありがとう。
これからも元気で長生きしてね♪
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花冷え

2013-03-25 | 日記・エッセイ・コラム

Sakura一気に春がやってきて いっせいに桜が満開になったこの土日。
あちらこちらでお花見の大混雑。
花も美しいけれど 私は桜の流れるような美しい枝ぶりに見とれてしまう。
この枝振りがあってこそ 花の美しさがひきたつように思う。

************

Chidori1 Chidori0

今日は お天気も悪く 花冷え。
桜の花もも雨とともに散ってしまうのでしょう。

忙しくてBlogを放置している間に
すっかり季節が巡り
寒い冬が終わって、木々が芽吹き
大好きな花の季節になる。

さあ また「ガーデニングをはじめよう!

私は変わらず元気です!

この春から 娘たち二人が 東京での一人暮らしを終えて戻ってきました。二人とも東京までの自宅通勤になります。

また4人家族になり 賑やかになりましたが
のんびり生活のリズムを もとに戻すのが ちょっと大変です。

次に娘たちを送り出すのは 結婚の時かしら?(笑)
それを楽しみに またがんばります♪

でも パパもこの春から異動となり、 みんなそれぞれ生活時間や食事時間もバラバラで、朝5時半起きの人や ほとんど終電の人もいて、早くもお疲れモードな私。。。

Sakura1

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落葉樹 ~無数の枝わかれ~

2012-12-30 | 日記・エッセイ・コラム

Tree

落葉した広葉樹を見あげる。
太い幹から 無数の枝が空に向かって 
だんだんと細くなって、枝分かれしている姿は
まるで海の底で息づく サンゴのよう。
人間や生物の神経網や血管のようにも見える。
生きるもののカタチが どこか共通している不思議。

それは地球だけなのかな?
宇宙の生物もそうなのかな?

川は 下流にいくほど太くなるから まるで反対。

でも重力に向かって太くなるから同じになるのかな?・・・

宇宙には この神経網のようなカタチをしたものがあるのかな?
もし 宇宙が神様の体の中だとしたら
私たちの地球は その体を作る細胞のひとつに例えられるかしら?
もしそうだったら・・
ニューロンのシナプスのように
ひとつひとつの星が 他の星に 何かを伝達していけるかな?
でも 宇宙の中で この神経網のようなカタチをしたものを
私は 知らない。

冬が終わり 春が来て
この無数の枝に 新しい緑が生まれるように
どこかのだれかの 破壊されてしまった神経も新しく再生されたらいいのにな。
歩けなかった人が 歩けるように。
見えない人が 見えるように。
聞こえない人が 聞こえるように。
こころが壊れてしまった人に笑顔が戻るように。

そして
この地球のあふれるほどの美しさも 宇宙の星々に伝達されたらステキだな。

************

数年前 上野の国立博物館で開催された ダヴィンチ展で「受胎告知」を鑑賞した時
絵画より ダヴィンチの天才というより狂気とも思える様々な手稿を見て改めて驚愕した。
また その中で 流体力学やパイプモデルの記述に目が留まった。
私が毎年 冬に落葉した木の枝を見上げるたびに思うことだったから。。。

Leonardo

 レオナルドは幾何学的形態に関する探究を重ね、
「形態は法則性をもって均衡する。」
という結論に達した。
その成果を 流体力学や自然界の法則性へと広げていった。
レオナルドによれば、木の幹から伸びる枝の直径を足すと、元の幹の直径に等しく、
その枝からさらに伸びる枝についても同じ結果になるという。
このことは、自然界では分岐のあらゆる段階で厳密な比例が働くことを示している。
レオナルドは、川の本流と支流の水量の関係や、心臓や気管支の血管の分岐にもこの法則をあてはめている。
  

(レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像  図録より抜粋 )



<<樹液が妨げられずに流れるためには、二つの枝の断面積の和は幹の断面積に等しくなければならない。
このモデルは、川にも当てはまる。二つの川が合流すると水量も合わさる>>

つまり すべての枝の体積(樹液の容量)?を合わせると幹のそれになる?
川も 支流の水量を合わせたものが本流の水量になる?
血管にも適用できる・・。


二進法・・・木の枝分かれの法則・・・
二進木のパイプモデル・・・
フィボナッチ木のパイプモデル・・・
ピタゴラスパズル・・・

まるで 生命を維持させるためのエネルギーのバランス?みたい!!
ちょっと勉強してみようかな。。。
でも私には難しすぎ。。。○×▽●△◎▲・・・・???


何故か 冬のせいかどうか 美しい形の雪の結晶が頭の中を舞っている(笑)←夏は 沖縄のサンゴのカタチを思うのだけど。。。


自然界のものは五角形のものが多いけど
何故 雪の結晶は六角形で、しかも様々な美しい形になるのか 情けなくもきちんと説明ができないけど
分子の科学的結合とか 気温 重力などちゃんとした法則があるからなのでしょう。

レオナルドの手稿に雪についてのものが見当たらなかったのは(多分・・)
イタリアのビンチ村には雪が降らないからなのかなぁ。。。とも思ったりした。


本日のBGM

My Little Lover 

Now And Then~失われた時を求めて~

作詞 作曲:小林武史

空の中で夢見た 無数の枝わかれと
自分の未来を 見たような気がして 目が覚めた

僕はここで生きてる 僕はここで想ってる
自分の明日に つながりを求めない oh

心がにじんだ 夢のほとり
かけがえのない 日々のほとり

僕は生まれゆく 時の中で 悲しさの仕草など
忘れてゆく 忘れてしまうから

地球儀をまわしたら いくつもの街角で
いくつもの君と 出会える予感がした oh

<a href="http://www.3131.info/My+Little+Lover/NOW+AND+THEN%E3%80%9C%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%99%82%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6%E3%80%9C/">NOW AND THEN~失われた時を求めて~ 歌詞<a> - <a href="http://www.3131.info">J-POP 歌詞<a>

あの時 あの声 あの場面で
二人は別れを選んでた

時は戻らずに 強がるから
凛(りん)とした魂も 泣き笑いで 涙があふれてる

自分らしく 生きる事など
何の意味もないような 朝焼け

誰もいない 朝の街に立ち 構えてみる
短距離走者のように スタートライン心で描いてた

そして 僕は生まれゆく 時の中で
悲しさの仕草など 忘れてしまうのだろう

風を切るような スピードの中で

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落葉樹 ~無数の枝わかれ~

2012-12-14 | 日記


落葉した広葉樹を見あげる。
太い幹から 無数の枝が空に向かって 
だんだんと細くなって、枝分かれしている姿は
まるで海の底で息づく サンゴのよう。
人間や生物の神経網や血管のようにも見える。
生きるもののカタチが どこか共通している不思議。

それは地球だけなのかな?
宇宙の生物もそうなのかな?

川は 下流にいくほど太くなるから まるで反対。

でも重力に向かって太くなるから同じになるのかな?・・・

宇宙には この神経網のようなカタチをしたものがあるのかな?
もし 宇宙が神様の体の中だとしたら
私たちの地球は その体を作る細胞のひとつに例えられるかしら?
もしそうだったら・・
ニューロンのシナプスのように
ひとつひとつの星が 他の星に 何かを伝達していけるかな?
でも 宇宙の中で この神経網のようなカタチをしたものを
私は 知らない。

冬が終わり 春が来て
この無数の枝に 新しい緑が生まれるように
どこかのだれかの 破壊されてしまった神経も新しく再生されたらいいのにな。
歩けなかった人が 歩けるように。
見えない人が 見えるように。
聞こえない人が 聞こえるように。
こころが壊れてしまった人に笑顔が戻るように。

そして
この地球のあふれるほどの美しさも 宇宙の星々に伝達されたらステキだな。

************

数年前 上野の国立博物館で開催された ダヴィンチ展で「受胎告知」を鑑賞した時
絵画より ダヴィンチの天才というより狂気とも思える様々な手稿を見て改めて驚愕した。
また その中で 流体力学やパイプモデルの記述に目が留まった。
私が毎年 冬に落葉した木の枝を見上げるたびに思うことだったから。。。



*レオナルドは幾何学的形態に関する探究を重ね、
「形態は法則性をもって均衡する。」
という結論に達した。
その成果を 流体力学や自然界の法則性へと広げていった。
レオナルドによれば、木の幹から伸びる枝の直径を足すと、元の幹の直径に等しく、
その枝からさらに伸びる枝についても同じ結果になるという。
このことは、自然界では分岐のあらゆる段階で厳密な比例が働くことを示している。
レオナルドは、川の本流と支流の水量の関係や、心臓や気管支の血管の分岐にもこの法則をあてはめている。*
  (レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像  図録より抜粋 )



<<樹液が妨げられずに流れるためには、二つの枝の断面積の和は幹の断面積に等しくなければならない。
このモデルは、川にも当てはまる。二つの川が合流すると水量も合わさる>>

つまり すべての枝の体積(樹液の容量)?を合わせると幹のそれになる?
川も 支流の水量を合わせたものが本流の水量になる?
血管にも適用できる・・。


二進法・・・木の枝分かれの法則・・・
二進木のパイプモデル・・・
フィボナッチ木のパイプモデル・・・
ピタゴラスパズル・・・

まるで 生命を維持させるためのエネルギーのバランス?みたい!!
ちょっと勉強してみようかな。。。
でも私には難しすぎ。。。○×▽●△◎▲・・・・???


何故か 冬のせいかどうか 美しい形の雪の結晶が頭の中を舞っている(笑)←夏は 沖縄のサンゴのカタチを思うのだけど。。。


自然界のものは五角形のものが多いけど
何故 雪の結晶は六角形で、しかも様々な美しい形になるのか 情けなくもきちんと説明ができないけど
分子の科学的結合とか 気温 重力などちゃんとした法則があるからなのでしょう。

レオナルドの手稿に雪についてのものが見当たらなかったのは(多分・・)
イタリアのダ・ビンチ村には雪が降らないからなのかなぁ。。。とも思ったりした。

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神無月

2012-10-08 | 旅行記

出雲の国は神在月♪



出雲の国の勾玉(まがたま)を知っている?
ふたつの勾玉をそっと振ってみると
玉と玉が触れ合う
かすかな玉響(たまゆら)の音(ね)は
遠い遠い 
いにしえから聞こえる
幸せが蘇る音・・・。

縁結びの神様には 
4回拍手であなたの分も 
幸せ(四合わせ)祈願 


神様たちが 目に見えない大切なご縁を結んでくださいます。


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残暑お見舞い申し上げます。

2012-08-20 | 日記


残暑お見舞い申し上げます

オリンピックも終わり お盆や終戦の日を迎え 8月も早くも半ばを過ぎました。
こちらのblogを更新していなかったので またまたテンプレートが表示されなくなってしまったので 
もう一つのblog記事を こちらにUPします。


楽しい夏休みの8月ですが、
8月は やはり 原爆や戦争について考える月でもあります。
今年は67回目の原爆、そして終戦の日でした。
戦争を経験した方々が少なくなってきましたので
これからの未来を生きる子供たちのためにも 私たちが語り継いで
二度と同じ悲劇を繰り返さないようにしなければならないと思います。


☆ 8月6日 広島 原爆の日に思う

☆ 8月9日 長崎原爆忌に思う


☆ カサブランカとフェルメールとツタンカーメンとマリア様とラピスラズリ
    ~天然ウルトラマリンブルー~
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67年目の長崎原爆忌に思う。

2012-08-10 | 旅行記

Oouratennsyudou_2

9日は 67年目の長崎原爆忌でした。   黙とう

(写真は 2009年初秋、大浦天主堂。 長崎、五島列島巡礼の旅の時のもの)

核兵器だけでなく 核廃絶、脱原発への願いをこめて、今もなお終わることのないこの悲劇を また新たに始まってしまった悲劇とともに しっかりと受け止め省みて きちんと勉強し 同じ悲劇が二度と繰り返されぬよう Nagasaki2私たちの子孫の明るい未来へと繋げていかなければ 本当の平和の鐘は鳴り響きません・・・。

ノーモア ナガサキ!

ノーモア ヒロシマ!

ノーモア フクシマ!

終戦の日も近いので 私は ノーモア オキナワも叫び 平和を祈りたい。

<< 敗戦(終戦)の日などを「記念日」というのは昔からなんとなく抵抗があるのですが、(「祈念日」なら理解できますが・・・。) 最近 広島や長崎の原爆記念日(あるいは原爆忌)も、メディアでは「原爆の日」と表記されるようになったように思います。また「被ばく」と表記されるのは「被曝」であって、「被爆」との違いをきちんと認識し、言葉の重みを考えなければならないと思います。>>

**************

1987年8月9日 長崎原爆忌の日に85歳で亡くなった 米国の記録映像作家、フォトジャーナリスト及び写真家の ジョー・オダネル氏をご存じですか?

1945年と1946年に日本の長崎と広島における原爆投下直後の状況を撮影した記録写真が有名で 特に「50年間隠され続けたトランクの中の少年」の「焼き場に立つ少年」(昭和20年8月29日 撮影)に 以前衝撃を受けました。

Yakibanitatusyounen
10歳にもならないような少年が、原爆で亡くなった まだ赤ちゃんの弟を背負って焼き場で荼毘にふすために直立不動で順番を待って立っている姿の写真です。直立した少年の姿に 原爆のひどさや悲しさ、そして当時の”日本男児”の強さなど一枚の写真がすべてをものがったっているようで、涙なしに見ることができませんでした。

<<オダネル氏のコメントを紹介します>>

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。
しかも彼は裸足です。
少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それから眩いほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵(きびす)を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。」


「ネガにうつった日本人に笑顔はなかった。 

     幸せなんてどこにもなかった」   

            (ジョー・オダネル)

オダネル氏は、生前、この少年を見つけ出したいと、何度も来日したそうですが見つからなかったそうです・・・。
原爆直後の長崎の地で被曝をしたであろうオダネル氏の命日が 長崎原爆忌の8月9日というのも不思議な ”何か”を感じます・・。

Sasebo1 Sasebo

(長崎 佐世保にて)

参考 HP 

 TBS「原爆の夏 遠い日の少年」 

 NHKスペシャル 解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI
 

*  にんげんをかえせ 

 トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録 

*************

東日本大震災から1年半・・。

オリンピックのアスリートたちの 熱い戦いは 本当に私たちを励ましてくれて 選手たちのさまざまな思いにも時に涙しながら応援しています。

後半は日本のメダルの獲得数も素晴らしいですが 苦しい試練を乗り越え ひたむきに頑張る選手たち全員を メダル以上に讃えたいです。

先ほどもレスリングの吉田選手の勝利で 決勝進出が決まって ガッツポーズに思わず拍手!

いよいよ 今日未明は なでしこジャパンの決勝戦で寝不足がとまりません。

特に最近のオリンピックの選手たちを見ていて思うことは 彼らのご両親や親御さんが指導者で 小さなころから英才教育を受けて その才能を開花させている選手が多いと感じました。 

ご両親の指導のもと 遺伝子や夢が受け継がれ 家族の思いがひとつになって 精神的な支えも満たされているのではと思います。

ロンドンの心理学者も 五輪金メダリストに共通する要素として 家族やコーチによるサポートが重要で、鍵になるのは家族で 両親だけでなく兄弟姉妹も同様だ。と述べています。

親によるサポートは、結果や勝利だけを求めず、結果を出すためのプロセスについて話し合う傾向があることでも共通しているそう。 

家族の絆 無条件の親の愛情が選手の心の支えとなり それが結果的に勝利に導いているということでしょう。そして家族の絆があってこそ チームワークの絆 社会の絆が生まれるのだと思います。

この夏 オリンピックで 「」の大切さを 再確認した気がします。家族だけではなく 社会の一員として、人間として「絆」を築いていきたい・・・。

  I am with you ! 私はあなたとともに・・・

***********

そして改めて「焼き場に立つ少年」の写真を見ながら思うのです。 

こんなにも悲しくつらい思いを 何が 誰がさせたのか 答えは誰にでもわかること・・・。いつの時代もすべての人々が求めているのは平和で あたたかな家庭や家族の愛情がある幸せです・・・。 そして 食べ物があり 夜、あたたかいお布団で眠ることができる幸せ・・・。

(にんげんをかえせ)   峠 三吉

ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ

Tenkaihou

       ***

Kujyukusima1

        ***

Kujyukusima2
長崎 九十九島。 展海峰より (映画「ラスト<wbr></wbr>サムライ」冒頭の島々の風景

展海峰の展望台下の園地の秋は、コスモスが咲き乱れ、赤とんぼが飛び交います。

Tenkaihou1

遠藤周作「沈黙」の舞台となった かくれキリシタンの里、長崎、外海の夕日と遠藤周作文学館

Sotome

   *人間がこんなに哀しいのに 

 主よ 海があまりに碧いのです*

 遠藤周作


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