じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

遠い思い出

2011年08月10日 | 日々のこと

高校時代には登山部でした、とどこかに書いていて蘇ってきた。

昭和35、6年当時のことである。

まーぁ、今では想像もつかない装備だったものですなあ。

リュックサック(ザック)は勿論 巾着型のキャンバス地のもので、防水も不十分

テントもキャンバス生地に防水加工したものでしたよ。

雨に濡れたりしようものなら大変なことになりました。

塩ビのカッパはあったでしょうか・・ポリエチとかプラスチックスの普及する以前でしたもの。

飯盒と大きなアルミ鍋、無煙ガソリンを燃料にしたホエーブスというコンロ。

極めつけは寝袋である。

米軍の払い下げか譲り受けたという、草色の重たい毛布地の代物でしたね。

登山靴さえも当初は自前ではなくて足を靴に合わせるという具合でした。

好き好んで登山部に入ったわけではない

顧問教師に引っ張り込まれただけである。

にわか部員5人、

20kg超の荷物を担いて学校近くの小山や寺の階段で訓練したものでした。

ひたすら強力のような苦役としか思えませんでしたよ。

 

揃いのシャツは白いカッターシャツを染色科にいた奴に黒に染めさせて間に合わせた。

ぶっつけ本番で望んだ総体は皿が峰、夜中に雨風でテントが飛んだ。

悲惨なものでした。

でもその後、先生はあちこちの山に連れて行ってくれて山の良さを知りました。

   

就職してもあの当時は週末のバスが満員になるほど登山が盛んでしたよ。

マイカーのない時代でしたから、

帰りのバスが雪で来られなくなり、市内まで数時間を歩いて帰ったこともあったっけ。

あの頃、今思えば無謀とも思える単独登山もよく行ったものでしたなぁ・・・。

    

蒸し暑かったがそれでも33度、散歩は日がすっかり沈んでからにしています。

夕焼け・・・暑さはまだ続くのでしょうか。

1人食事だったので夏野菜とベーコンのオリーブ炒め

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5 コメント

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キャンパス地のテント!? (はる)
2011-08-11 11:39:08
初めて聞きました(笑
ottchさんの登山の話は、何かの修行みたいに思えますが
やはり本当の山好きは、ちゃんと鍛えて練習して行くのですね。
アタクシのは登山じゃないです(爆

夕飯、野菜だらけですね。
炭水化物は?
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Unknown (ミラノ)
2011-08-11 16:11:29
ottchさんもご存知でしょうか?この歌です。
♪娘さんよく聞けよ~山男に惚れるなよ~♪
高校時代にクラスメイト達とよく唄っていました。
それから”夏の思い出”という歌は尾瀬の思い出と重なります。
キャンプファイヤーも楽しかった。
あの頃、山に行くのは若者ばかりだった気がします。
私が最後に登った山は富士山。今から18年前です。
今では山登りのパワーはすっかり影をひそめ、インドアの生活をしておりますよ。

夕焼けの写真は、まるで絵画のようですね。素晴らしい!


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>はるさん、 (ottch)
2011-08-11 16:32:13
まあ、キャンパス地に近いような重いテントでしたよ。
それに必要もないピッケルなどもってね・・・
今の道具、装備は至れり尽くせりですね。

野菜だけなのに太るんです、炭水化物は麦?


>ミラノさん、
そうでした、「坊がづる賛歌」とかもね。
あの時代の若者が、今熟年登山に向いているのですね。
私は富士山はおろかそちらの方の山は行ったことがないのです。
今ではもう・・・夢見るだけです。
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そうでしたか、登山を。 (かすみそう)
2011-08-11 17:23:38
私も学生時代に登山をしていました。
ちゃんと練習はしていました。
でも3000メートル級の山を1週間近く縦走していたなんて、今の知人は誰も信じてくれません。(^^;)
テントは怖いので山小屋でした。
当時、女性は少なかったです。今は山ガールが盛んですね。
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そうでしたか、 (ottch)
2011-08-12 11:02:56
かすみそうさんも、オールド山ガールでしたか。
それもかなり本格派だったようですね。
今も年配の女性登山愛好家、多いようですね。
行っておられますか?
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