じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

まさか (2008.3.20記)

2008年03月22日 | 急性骨髄性白血病

これまであまり疲れを見せなかったかみさんが、最近少しのことで疲れやすくなっていた。0803231

毎週行っていたテニスも途中息切れがするといって今月に入りとうとう止めた。軽い散歩の途中でもしゃがみこんだり吐き気をもよおしたりし、そういえば口内炎がひどいということも聞いていた。ラヴに体当たりされただけで大腿部に内出血が出来ていたこともあった。思い起こせば前兆はあったのだ。

元気だけがとり得、いや元気だけは誰にも負けなかったかみさんが・・・まさか

地元で検診を受けたところひどい貧血で特に白血球が極端に減少していた。聞きなれない病名を告げられ、必死にNetで調べた。調べるほどに厳しい内容ばかりであった。

3月11日、大学病院で骨髄検査をし、血液腫瘍専門の教授の診察を受けた。

「確定診断は骨髄検査結果の出る2週間先にしますが、末梢血検査からみて骨髄異形成症候群だと思われます。ショックが2回は厳しいので詳しくは次回ご説明します」

すでにこの病気のいかなるものかは知っていたので、やはりそうかとその場では割と落ち着いて聞けたが、次第に深刻さが増していった。

帰途、かみさんは意外と冷静で気丈であった。努めてそう装っているのかもしれない。

涙も見せず、お父さんこんなことになってごめんね、出来れば子供達にはまだ知らせないで欲しいと言った。

私は自分のことよりも増して狼狽して、帰りの車でも言葉がなかった。涙で視界がぼやけ、逆にかみさんにたしなめられる始末だった。

自分の前立腺がんは転移しているとはいえ、治療が効を奏してまだまだ健康体、あと何年かは大丈夫と思っていた。よりによって何故・・・

その夜、せめて美味しいものでも食べに行こうと、お気に入りの店に予約を入れた。

美味しいはずのヒレ酒がほろ苦かった。

夜遅く、かみさんは遠くに居る姉に電話しながら初めて泣いていた。

あれから一週間が経った。

人に対してはいつでも明るく笑顔を絶やさないかみさんが、ときおり沈み込んでいる。お父さんのことが心配で・・という。そうしながらもせっせと毎日のように、衣服や好きで集めていたアンティークの片付けを始めた。出来るうちは、といって仕事にも行っている。

頑張らなくていい、無理をしないでほしい、そのことだけである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする