総選挙が近づいてきたが、今から8年前、私が倒れ、病院で意識を取り戻したときに真っ先に聞こえてきたのが、安倍晋三氏の首相就任を告げるラジオのニュースだったことは、以前のブログにも書いたことがある。
そして、二度目の入院をした今年、アベノミクスの是非を問う選挙が行われることになって、何かの因縁を感じる。
そこで、この8年間はなんだったのか、少し整理しておきたい。
一言で言ってしまえば、「美しい日本」「アベノミクス」などと政治的キャッチフレーズは派手だが、生活実感としては、あまり変化がないように思われる。
平田オリザはすでに2001年に次のように述べている。
「日本人がいま感じている閉塞感や、将来に対する漠然とした不安の核心はなんだろう。
私は、それは、経済の不安や、政治に対する不信から来るものだけではないと思っている。
この不安の核心を一言で示そうとすれば、それは、「自分の幸せを自分で決めなければならないことに対する不安」とでも言えるだろうか。
こうした自己決定・自己責任の傾向は、2000年あたりから日本人の特に若者の心の底に芽生え、現在も続いているかもしれない。
1度目に入院した2006年以降、国際的な出来事としてはイラク戦争の終結、リーマンショックと世界的金融危機、オバマ大統領の就任、ビンラディンの銃殺などが起き、また、国内的には秋葉原通り魔事件、そして東日本大震災と福島原発事故、民主党から自民党への政権交代などが起きている。
この中で、なんといっても日本人にとってショッキングだったのは、東日本大震災と福島原発事故であろう。
日本学術会議総合工学シンポジウムで「福島第一原子力発電所事故最大の教訓」が発表されている。
• 福島第一事故では放射線被ばくによる急性の死亡は発生しなかった
• また、長期にわたっても被ばくの影響による障害発生確率は極めて低いと評価されている(IAEA,WHO他)
• しかし、強制避難により約15万人の地元住民が個人生活とコミュニティを破壊された
• 自然科学・技術的視点での安全目標では社会的受容が得られないことが明白にされた
ということで、「自然科学・技術的視点」と「社会的受容」との乖離が際立っている。
実質的な危害よりも将来が見えないという恐怖心のほうが現実を動かしているという点では、地震・津波の被害とは対照的で、本格的なリスク社会の出現といわざるをえない。
しかも、原発を廃止するにせよ再稼働するにせよ、それ相当のリスクを覚悟しなければならず、それは過去のようなイデオロギー的な対立というよりは、それぞれ個人が自己決定していくしかないものであるように思われる。
日本人は豊かさを得た代わりに、平田オリザの言葉で言えば「閉塞感や、将来に対する漠然とした不安」をより強く共有することになったのだ。
このことは、私の現在の治療におけるジレンマとも重なっているかもしれない。
自然治癒力を無視して、クスリを飲み続けることは先の見えないリスクを抱えるが、クスリを止めることも、また十分リスキーなことなのだ。
にもかかわらず、中庸的な態度は取れない・・・
そして、二度目の入院をした今年、アベノミクスの是非を問う選挙が行われることになって、何かの因縁を感じる。
そこで、この8年間はなんだったのか、少し整理しておきたい。
一言で言ってしまえば、「美しい日本」「アベノミクス」などと政治的キャッチフレーズは派手だが、生活実感としては、あまり変化がないように思われる。
平田オリザはすでに2001年に次のように述べている。
「日本人がいま感じている閉塞感や、将来に対する漠然とした不安の核心はなんだろう。
私は、それは、経済の不安や、政治に対する不信から来るものだけではないと思っている。
この不安の核心を一言で示そうとすれば、それは、「自分の幸せを自分で決めなければならないことに対する不安」とでも言えるだろうか。
こうした自己決定・自己責任の傾向は、2000年あたりから日本人の特に若者の心の底に芽生え、現在も続いているかもしれない。
1度目に入院した2006年以降、国際的な出来事としてはイラク戦争の終結、リーマンショックと世界的金融危機、オバマ大統領の就任、ビンラディンの銃殺などが起き、また、国内的には秋葉原通り魔事件、そして東日本大震災と福島原発事故、民主党から自民党への政権交代などが起きている。
この中で、なんといっても日本人にとってショッキングだったのは、東日本大震災と福島原発事故であろう。
日本学術会議総合工学シンポジウムで「福島第一原子力発電所事故最大の教訓」が発表されている。
• 福島第一事故では放射線被ばくによる急性の死亡は発生しなかった
• また、長期にわたっても被ばくの影響による障害発生確率は極めて低いと評価されている(IAEA,WHO他)
• しかし、強制避難により約15万人の地元住民が個人生活とコミュニティを破壊された
• 自然科学・技術的視点での安全目標では社会的受容が得られないことが明白にされた
ということで、「自然科学・技術的視点」と「社会的受容」との乖離が際立っている。
実質的な危害よりも将来が見えないという恐怖心のほうが現実を動かしているという点では、地震・津波の被害とは対照的で、本格的なリスク社会の出現といわざるをえない。
しかも、原発を廃止するにせよ再稼働するにせよ、それ相当のリスクを覚悟しなければならず、それは過去のようなイデオロギー的な対立というよりは、それぞれ個人が自己決定していくしかないものであるように思われる。
日本人は豊かさを得た代わりに、平田オリザの言葉で言えば「閉塞感や、将来に対する漠然とした不安」をより強く共有することになったのだ。
このことは、私の現在の治療におけるジレンマとも重なっているかもしれない。
自然治癒力を無視して、クスリを飲み続けることは先の見えないリスクを抱えるが、クスリを止めることも、また十分リスキーなことなのだ。
にもかかわらず、中庸的な態度は取れない・・・