濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

CHI-CHI-CHI LE-LE-LE!

2011-01-09 09:49:25 | Weblog
「治療者は針の穴のような小さい希望でも見逃してはいけません。〈希望〉という薬にはお金もかからず手間もかからないのですよ。」(帚木 蓬生「臓器農場」)
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正月も松の内はあっという間に過ぎてしまった。
まったく先の見えない闇の中から、不意に差し込んでくる弱い光のような希望を見出すとすれば、例のペルーのサンホセ鉱山事故について、作業員たちの証言から、彼らのリーダーといわれていた頑強そうな者が、じつは単に現場監督に過ぎず、本当のリーダーは、目立たず、体調のすぐれない者だったと告げられたことである。

って、なぜ希望なのか?

私も、体力気力知力すべて貧弱に育ち、「覇気のない子だ」という評価に甘んじてきた者で、いわんやリーダーシップなど、まるで期待されてこなかった。
だから、ひょっとして、
「この俺だって、いざとなったら、まんざらでもないよな!」
という気にさせたからだ。
救急搬送にも案外強いし、「心筋梗塞」のプロだったし。。。
リーダーシップのないといわれる日本の首相にも分けてやりたいほどだ。

いやいや、極限状況の中では、人間関係の地勢図も磁気嵐にあったような混乱を生じ、常識的なヒエラルキーも転倒してしまうのかもしれない。

とまあ、ここまでが前座だが、ペルーの事故はある意味で、非常に象徴的な事件だったような気がする。

つまり、地球には有限な資源しか残されていないことがはっきりしてきた現在、「資源の発掘」から「資源の配分」に重心を移さざるを得なくなっているからだ。
その点では、「資源の発掘」に失敗した彼らが、人肉食(カニバリズム)さえ起きても不思議ではない極限状況の中で、リーダーの指示によって「資源の配分」という問題を何とかクリアしたのだ。

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ごく大ざっぱに歴史をふり返るだけでも、理性的で、尊厳性、自由、平等、幸せ追求の権利をもち、しかも自然を超えた人間像とは、共同幻想で強化された「仮構」であることが明白である。
現在解明されつつあるのは、第一に、ヒトは自然を超えた実体的属性をそなえた存在ではなく、自然界に働く多分に未知のダイナミズムに組みこまれた一生物種にすぎず、またその事実を受け入れざるをえないことだ。
脳科学のここ二十年の進歩は、人間の意識も意志も、脳に営まれる神経生理的過程の「生産物」であることを強く示唆する。
理性的「自由意志」の存在は疑わしい。
啓蒙思想とは世界が最終的に西洋的普遍文明に統合されるという信念だとすれば、その経済的表現である「グローバル化された自由市場」では、社会も環境も守ることはできないのである。
したがって、人間活動の規模が近世初期に比べて格段に大きくなった今、完全な閉鎖系地球で生存を続けるとすれば、まず大きな争いを回避すること、全地球的環境維持政策を実施すること、極端な経済格差を是正すること、そして自由・平等・幸せの権利が容認するひたすらな欲望の追求を制限することは、最低の条件となろう。
(大井玄「環境世界と自己の系譜」)
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「自由な個人が無限の可能性を追求する」という大文字の「希望」を見失った私たちに、彼らリーダーたちは、貴重なヒントを与えているような気がする。

Chile mine rescue Remix