瀬戸内海に面した徳山から 日本海側にある萩の町へ移動します。
道がいいですね。 ナビ設定時刻より70%短縮で行けます。
その萩の玄関口に松陰記念館がありました。
(移動中偶然に通ったので立ち寄ったところです)
今回の旅の目的でもある
『山口県にどうしてたくさんの総理大臣が生まれたのか』
萩という中央から離れた地に
なぜ幕末~維新にかけて影響を及ぼした人材が多く輩出できたのか?
それを知るために回ってみたかったのです。
小さくて見づらいですが
面白い年表です。
こうみると松陰は短い命だったんですね。
97歳の人も居たんですね(天野)
毎日こんな感じで攘夷を語っていたんでしょうね。
萩城下の玄関口に
松下村塾の門下生10人が銅像で迎えてくれています。
右から久坂玄瑞・吉田松陰・高杉晋作 です。
右から伊藤博文・木戸孝允・山縣有朋
そうそう足るメンバーですね。
今も現役のポストです。
萩を知る上でいいところに立ち寄れたとラッキーな気持ちで
資料館を見学していたのです。
冒頭のことを質問しようと係員さんに近寄ると
いすに座って気持ちよさそうに居眠りしているので
声をかけるのを遠慮しました。
維新に長州が多く関わったのは言うまでもありませんが
この地に松陰が生まれてなかったら
日本にも植民地の時代があったかもしれませんね。
では萩の町へ突入です
私はそういう旅を
したことがありません。
いい旅をする人は
人生が豊かでしょうね。
松下村塾で人材が育ったのでしょう。
教育の重要性を想いますが、
今の政府は何を大切に思っているのでしょうか~
人材こそ大きな財産だと思いますが・・・
10数年前に友達と行ったとき見た松下村塾あとは、とっても素朴だったのですが、昨年夫と旅して訪れたときは、
立派なハコモノができていて吃驚!
大河ドラマの影響なのですね。
ブログをすることで
ライフスタイルが変わりました。
玉木氏(奥田瑛二役)の存在もおおきかったようすね。
萩に行った5月、天候が好ましくなかったせいもあり
こちらへは足を運んでおりませず、興味を持って拝見しました
薩長の立場もまた運ではないか、と思っております
棚田を眺めるのと同じで、幕末に浪漫を感じますが
人の命が軽視されていたように思えてなりません
国の成熟度は比例しているように思えます。