アネッティワールド

日常の体験から・・・

100回以上の火災を乗り越えた「興福寺」

2017年01月18日 00時03分25秒 | 奈良県

興福寺の前身の名前は色々あったようですが

平城京710年に藤原不比等(ふひと)によって名付けられたのが興福寺です。

教科書で藤原不比等の名前は覚えていますが興福寺と関係があったことは全く覚えていません。不比等は藤原(中臣)鎌足の次男なんですね。

興福寺南側にある池が 猿沢池です。

摂関家藤原氏の全盛の時代に建てられた興福寺。

中金堂(ちゅうこんどう) 平成再建工事が行われているところです。

平成30年ですから来年ですね。

1300年以上の歴史のある所の再建ですが中金堂だけで7回の焼失したようですね。

 

その度に明るく綺麗になるので 1300年の重みは感じるのでしょうかねぇ。

 

近くで見ると五重塔の大きさに圧倒されます。

50.8メートルもあるんですって。

木造としては京都東寺に次ぐ2番目だそうです。

 

100回以上の火災にもかかわらず

再建し続けられたのは、当時の実力者の力・努力の大きさがうかがえますね。

 

軽く食事がしたくなり興福寺を南へ下っていきます

面白い町屋がありました。

元興寺をワンブロック東にある民家プラス共同住宅をリノベーションしたところです。

正面の門をくぐった「フレンチ・オモヤ」は予約で満席でした。(なおさら行きたくなる~

雑貨店や喫茶店が1Fに数軒2Fにも数軒営業しています。

感じのいい店が多かったのですが

この建物の中には軽食に合うところが無かったので

もう少し周辺を散策することにしました。

 

湿度の高い真夏に比べると

風さえなければ冬のほうがこういうところを散歩するのには

ふさわしいかも知れませんね。

若い頃はヒートテックやダウンジャケットなんて

無かったですから冬も随分過ごしやすくなったと思います。

 

それと意外に嬉しかったのが

奈良町には公衆トイレが至る所にあるので

トイレが近くなったわたくしにはとっても有りがたかったです。