昨日、土曜日のことです。
夫の姉、K子さんの70歳、古稀のお祝いの会が開かれました。
古稀=「人生七十古来稀なり」・・七十年生きる人は古くから稀である
人生50年と言われたころの話でしょうか。
場所はJR蒲田駅東口、徒歩3分くらいのところにある《オートクチュール アキラ》フランス料理の店です。
失礼な話ですが、あの蒲田にこんなしゃれた店ができたなんて、正直驚きです。
下町、町工場、労働者、居酒屋等、一般的にはこんな印象があるような
そう、まもなく終わってしまいますが、NHKの朝ドラ『梅ちゃん先生』の舞台でもあり
日本中から注目されてた街でもあります。
そんな蒲田の街の一角にそれほど目立たない構えではありますが、1歩中に入るとまるで別世界
出席者は、姉の家族と我が家の家族、合計13人で、これだけ揃うとうるさくなるのは必至で
開始前、姉の長女、姪のえっちゃんが、後ろの席の3人組に前もって断りを入れてました。
店の口コミにもあるように、シェフが一人きりで作っているので、予約にもかかわらず
料理がなかなか出てきません。
飲み物のオーダーをして、それが来てから30分後くらいにようやく最初の料理が来ました。
それでも人数が多い分、おしゃべりに時間の過ぎるのを忘れてしまったくらい。
その後、順番に運ばれた料理は、あっさりした味で満足でした。

口コミも信じすぎてはいけないことはわかっていますけど、その通りだったとしたら
それは不運だったのでしょう。
おいしいワインも何杯いただいたでしょうか

43歳で夫と死別し、3カ月後に母親も亡くし、その後、大切な一人息子まで病気で亡くすという不幸を乗り越え
今日という日を迎えた義姉
想像を越えた深い悲しみの中、本当によくぞ頑張って生きてくれたと、夫と共に喜びでいっぱいになりました。
頑固なところは亡き義母にそっくりだし、心なしかその風貌まで義母に似てきたみたい
K子さんおめでとう
この27年間、辛いこともたくさんあったけど、今こうして家族に囲まれて幸せですね
私の母も42歳で未亡人になり、その倍以上93歳まで長生きしました。
これからも健康に気をつけて、ますます充実した幸せな人生を送ってくださいね。
次は喜寿のお祝い、その後の傘寿に米寿、そして卒寿に白寿、そして100歳の誕生日まで・・
あら?うちの娘たちならいざ知らず、たった6歳しか違わない私たち夫婦がどこまで
祝うことができるのでしょう。
でも、そんなことを考えるだけで楽しくなってきますね。
お祝い事はどんなことでも嬉しいものです。
そうだ、義姉の喜寿の前には家の夫婦の古稀祝いがあるはずです。はず・・明日のことはわからない
私たちの還暦も姉家族に祝ってもらいました。
これからも兄弟仲良く、楽しいことをいっぱい見つけてお祝いしましょうね。
お招きありがとうございました。
夫の姉、K子さんの70歳、古稀のお祝いの会が開かれました。
古稀=「人生七十古来稀なり」・・七十年生きる人は古くから稀である
人生50年と言われたころの話でしょうか。
場所はJR蒲田駅東口、徒歩3分くらいのところにある《オートクチュール アキラ》フランス料理の店です。
失礼な話ですが、あの蒲田にこんなしゃれた店ができたなんて、正直驚きです。
下町、町工場、労働者、居酒屋等、一般的にはこんな印象があるような
そう、まもなく終わってしまいますが、NHKの朝ドラ『梅ちゃん先生』の舞台でもあり
日本中から注目されてた街でもあります。
そんな蒲田の街の一角にそれほど目立たない構えではありますが、1歩中に入るとまるで別世界

出席者は、姉の家族と我が家の家族、合計13人で、これだけ揃うとうるさくなるのは必至で
開始前、姉の長女、姪のえっちゃんが、後ろの席の3人組に前もって断りを入れてました。
店の口コミにもあるように、シェフが一人きりで作っているので、予約にもかかわらず
料理がなかなか出てきません。
飲み物のオーダーをして、それが来てから30分後くらいにようやく最初の料理が来ました。
それでも人数が多い分、おしゃべりに時間の過ぎるのを忘れてしまったくらい。
その後、順番に運ばれた料理は、あっさりした味で満足でした。

口コミも信じすぎてはいけないことはわかっていますけど、その通りだったとしたら
それは不運だったのでしょう。
おいしいワインも何杯いただいたでしょうか


43歳で夫と死別し、3カ月後に母親も亡くし、その後、大切な一人息子まで病気で亡くすという不幸を乗り越え
今日という日を迎えた義姉
想像を越えた深い悲しみの中、本当によくぞ頑張って生きてくれたと、夫と共に喜びでいっぱいになりました。
頑固なところは亡き義母にそっくりだし、心なしかその風貌まで義母に似てきたみたい

K子さんおめでとう

この27年間、辛いこともたくさんあったけど、今こうして家族に囲まれて幸せですね

私の母も42歳で未亡人になり、その倍以上93歳まで長生きしました。
これからも健康に気をつけて、ますます充実した幸せな人生を送ってくださいね。
次は喜寿のお祝い、その後の傘寿に米寿、そして卒寿に白寿、そして100歳の誕生日まで・・
あら?うちの娘たちならいざ知らず、たった6歳しか違わない私たち夫婦がどこまで
祝うことができるのでしょう。
でも、そんなことを考えるだけで楽しくなってきますね。
お祝い事はどんなことでも嬉しいものです。
そうだ、義姉の喜寿の前には家の夫婦の古稀祝いがあるはずです。はず・・明日のことはわからない

私たちの還暦も姉家族に祝ってもらいました。
これからも兄弟仲良く、楽しいことをいっぱい見つけてお祝いしましょうね。
お招きありがとうございました。
本当に、いろんなお別れを経験されたんですね。
これからも、お元気で過ごされるといいですね。
我が旦那も、あと4日で還暦のお祝い
どよよよよ~~ん(何もお祝いはありませんが)
あと4日ですか・・・
ご苦労様でした、ですね。
十分にねぎらってあげてくださいね。
愛する人を次々に亡くすということは
同じ経験をした人じゃないとそのを心の奥底まで
理解することは難しいと思いますが
これからはその分もっと幸せになってもらいたいと思ってます。
hanaさんもご主人と第二の人生?エンジョイしてくださいね
身近にいたんですね。
自分もかなり辛かった人生だと思ってた私の思い上がり
を痛感しました。
K子さんに
どうぞ、どうぞ残りの人生を楽しんで欲しいと伝えて
下さい。
さくらえびさんのご家族も親戚の方達も仲良くしてる
様子が伝わります。良いですね~
なかなか大変になってくる世の中ですが、
節目のお祝いをみんなで集まってできることが
どんなに素晴らしいことかと思っています。
還暦のときとは違った思いの古稀だったと
振り返って思いだしています。
こんなお祝いの会が長く続いて
いかれるとよいですね。
そうなんです。
義姉は若くして結婚、出産しましたので
子供たちは成長していたのですが
亡くなった義兄が会社をやっていたので
その始末がそれはたいへんでした。
そんな中、義母が他界、精神的にどうなるのか
普通の人なら気が狂ってしまうよ、と弁護士から聞かされたほどでした。
良く頑張ってくれました。
今は娘夫婦と孫たちに囲まれて、時々文句を言いながらも
幸せそうです。
夫の兄弟とも、私の方の兄弟ともなんとかうまくやれてます。
わがままな末っ子に期待が薄いのが功を奏しているのでしょうか(笑)
6歳しか違わないのですが、ずっと年上のように感じます。
人生経験の差かもしれません。
これからもなにかと集い合いたいと思ってます
どうしても、和食やお寿司なんかになりそうですが。。
その上13名なんて、素晴らしい事です。
これからもたくさんのお祝いごとがあると良いですね。
義姉のところのイベントは、だいたい近所の料理屋さんだったのですが
(うなぎが絶品)
今回はめずらしくフランス料理
まさか、あの蒲田でフランス料理が食べられるなんて
世の中何が起こるかわかりません(笑)
人情的にはとても住みよい街なんですけど
とにかく空気が・・・だめです
羽田から車で5分?10分はかからないところです。
次回は私たち夫婦の古稀ですね。
そのあと、姪夫婦の還暦祝い・・子供たちの成人式も
ありますね・・楽しいなあ
家は黒い服の時ばかりです。
お祝い事に呼ぶのはかえって迷惑をかけてしまう・・・と
つい遠慮してしまうのです。
こういうのって寂しいな・・・
おかげさまで無駄足を踏まずに済みました。
また後日改めて・・・
そうですね
兄弟が多いので全員が集まるのはやはり
黒服の時かも
お祝い事はどうしても気の置けない同志が集まることになります。
静岡の義姉も、蒲田の義姉も、末っ子夫婦を可愛がってくれてます。
その子供も、孫も・・
ありがたいことです。