
青空に悠々とそびえる富士山


製紙工場の煙が画面に入ってます。
今日、17日は、阪神・淡路大震災から15年、本当に月日の経つ早さに驚かされます。
TVでは朝から追悼シーンが何度も流れています。
家族や大切な人を失った悲しみや無念さは、たとえ15年の歳月が流れても
決して癒されるものではなく、それでも生きている自分たちは
亡くなった人のためにも、その悲しみを乗り越えて生きていかなくては、と
思っていることでしょう

そして、この私も、いや、私たちもこの3年、1日たりとも彼女のことを
忘れることなく、今年もまた、間もなく(1月20日)3度目のこの日を
迎えます。
「これからは毎年この時期になったら、お墓参りを兼ねて皆で集まろうね」と
約束してからこうして揃ってお墓参り、そして仲間の結束はますます強くなっていきました。
去年は、彼女の家にもお参りさせてもらいました。
ところが、今年はそれができません。
だって、誰もいなくなってしまったから
実は、心配が現実になってしまったのです。
奥さんを亡くしてから、ひどく落ち込んで、入退院を繰り返し、
昨年私たちが訪ねた時も、まるで廃人になってしまったように
ろくに口もきけなかったご主人、ずいぶん心配したのですが
私たちが会った、およそ1ヶ月後、3回忌を待つかのように亡くなってしまったのです。
心ない私たちは「やっと夫から離れてやれやれって思ってたのに、<ええ~っもう来たの

ってきっとぼやいてるね」などと勝手なことを言ってしまいましたが
それほど奥さんのことが恋しかったのか、でももう少し頑張ってほしかったな
子供たちも遠く離れていることもあって、悲しみ半分、ホッとしたのが半分と
聞きました。
親が死んでしまったのにそれはないよ、と思いましたが、お母さんが亡くなって
ずっと落ち込んで、無気力から病気になってしまった父親をみて
どうにもやりきれない気持ちになってしまったのでしょう。
それでも亡くなってほぼ1年、今では、両親揃って、またたく間に
いなくなってしまったこと、きっと断腸の思いでいるのではないかと
心が痛みます。
そんなことで、今年はあまりに仲が良すぎた二人の墓参りということになりました。
<D子 ご主人にはもう会えた?もう来たの?って言ったでしょ
でも、やっぱり寂しくなくなったね>手を合わせながら、心の中でつぶやきました。
<来年もまた、こちらの皆が全員揃って会いに来れるよう見守ってね>とも