蒲田に住む夫の姉から
「水門通りにおいしいお魚を食べさせてくれるお店があるから来ない?」
お誘いがありました。
おいしいお魚、そしておいしいお酒、と聞いたら、なにがあっても飛んで行きますわよ
京浜急行”雑色駅” <ざっしょく>ではなく<ぞうしき>と読みます。
川崎から多摩川を渡って2つ目の駅、ほとんど東京のはずれです。
大田区役所六郷出張所 駅を出て、すぐ隣にあります。
「わあ~昔のままだわ~

」
懐かしいです。 なぜって、ここで二人の子供の母子手帳を交付されました
雑色駅は、横浜に引っ越す前の最寄り駅、品川方面の次の駅は京急蒲田です。
結婚してから約7年、この駅を中心に3か所住み替えました。
こちらが”水門通り商店街”
雑色駅から第一京浜国道を渡り、まっすぐ進むと多摩川の水門にぶつかります。
その間の商店街の名称です。
自転車の前後に乗せたり、ベビーカーを押して駅に向かったり、買い物をした
ほんとに懐かしい商店街
その中央くらいにその店はありました。
【なかむらや】 魚を中心に、旬野菜を使った創作料理の店でした。
グラスまでキンキンに冷えた生ビールでまず、乾杯
注文してないのに出てきたってことは”突き出し”?
『鱧の梅肉あえ』 こんな突き出しならうれしいですね。
これ以外にも鎌倉から仕入れたという”生しらす”が、
「多分腰越ですね」 ちょっと知ったかぶってしまいました
姉が事前にお願いしておいてくれた”初孫酒造”の『夢工房』大吟醸です。
辛口ですがくせがなくて飲みやすい、ごちそうさまです。
<鯛とまこがれい>のお造り
歯ごたえがあっておいしかったあ
<湯葉とマツタケの煮物>
その他にも水なすを使った煮物とか、エビしんじょ等どれもたいへんおいしくいただきました。
姉上、ごちそうさまでした。
急に一人増えて済みませんでした(次女が合流)
姉と別れた後、もっと懐かしい場所を訪ねました。
結婚して3度目の引っ越し先、今は『都市機講』その昔は『日本住宅公団』という名称でした。
全国で初めて公団の”傾斜家賃”が採用された賃貸住宅です。
何度も応募して、十何回目に、何百倍という確率で当たった公団住宅でした。
羽田空港の近くですから、家に居ながら飛行機の発着が見えたくらいです。
すぐ前を多摩川が流れています。
もうかなり下流の河口に近いあたりですが、広い河川敷は子供たちの格好の遊び場でした。
同じくらいの子供がわいわいしていましたから遊び相手に困ることはなく
毎日どこかのお家で子供を中心にランチをし、お互いに子育ての悩みなどを
ぶつけたものです。
実家が遠くても何も困ることはありませんでした。
ずっとここにいるものだと思っていました。
そんな居心地のいい場所から今の家に越したのは32年前、
さびしくて、さびしくて、引っ越し当日、仲良くしてもらていた友達とその子供たち
たくさんの人に見送られて出発したことが昨日のように思い出されました
一緒にいた次女は当時1歳の誕生日を迎えたばかり
夫が「これ覚えているだろう」なんて聞いてましたけど、覚えているわけないじゃありませんか。
第二京浜から、上流には走りましたけど、今度は下流の羽田に向かって走りたいな、と思いました


東京は住む所じゃない、って思ってますけど(東京の方ごめんなさい

)、
ここは多摩川の水があるというだけでとても住みやすく感じます。
もう知っている人はほとんど住んでいませんが、いつまでも故郷であることは変わりません。
あまりに懐かしがってのんびりしていたせいか、家に着いたのは翌日でした。
つまり、今日でした
さあ今日はもう寝ませんと、明日はいよいよ孫の県大会当日です。
T先生と子供たちは万全の用意をしてきているはず
後は、それにどんな結果が付いて来るか、大丈夫、自信を持って精一杯がんばれ