(01)
① コンニャクは太らない。
② ∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx&~太y)}。
③ すべてのxについて、xが蒟蒻であるならば、あるyは人間であり、yはxを食べ、yは太らない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(02)
(ⅰ)
1 (1)∀x{蒟蒻x→ ∃y(人間y&食yx&~太y)} A
1 (2) 蒟蒻a→ ∃y(人間y&食ya&~太y) 1UE
3 (3) ~∃y(人間y&食ya&~太y) A
13 (4) ~蒟蒻a 23MTT
1 (5) ~∃y(人間y&食ya&~太y)→~蒟蒻a 34CP
6 (6) ∃y(人間y&食ya→ 太y) A
7(7) 人間b&食ba→ 太b A
7(8) ~(人間b&食ba)∨太b 7含意の定義
7(9) ~人間b∨~食ba ∨太b 8ド・モルガンの法則
7(ア) ~(人間b&食ba&~太b) 9ド・モルガンの法則
6 (イ) ~(人間b&食ba&~太b) 67アEE
6 (ウ) ∀y~(人間y&食ya&~太y) イUI
6 (エ) ~∃y(人間y&食ya&~太y) ウ量化子の関係
1 6 (オ) ~蒟蒻a 5エMPP
1 (カ) ∃y(人間y&食ya→ 太y)→~蒟蒻a 6オCP
1 (キ)∀x{∃y(人間y&食yx→ 太y)→~蒟蒻x} 1UI
(ⅱ)
1 (1)∀x{∃y(人間y&食yx→ 太y)→~蒟蒻x} A
1 (2) ∃y(人間y&食ya→ 太y)→~蒟蒻a 1UE
3 (3) 蒟蒻a A
3 (4) ~~蒟蒻a 3DN
13 (5) ~∃y(人間y&食ya→ 太y) 23MPP
13 (6) ∀y~(人間y&食ya→ 太y) 5量化子の関係
13 (7) ~(人間b&食ba→ 太b) 6UE
13 (8) ~[~(人間b&食ba)∨太b] 7含意の定義
13 (9) ~~(人間b&食ba)&~太b 8ド・モルガンの法則
13 (ア) (人間b&食ba)&~太b 9DN
13 (イ) 人間b&食ba &~太b ア結合法則
13 (ウ) ∃y(人間y&食ya &~太b) イEI
1 (エ) 蒟蒻a→∃y(人間y&食ya &~太y) 3ウCP
1 (オ)∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx &~太y)} エUI
従って、
(02)により、
(03)
① ∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx&~太y)}
② ∀x{∃y(人間y&食yx→太y)→~蒟蒻x}
に於いて、両者は「対偶」であって、それ故、
①=② である。
従って、
(03)により、
(04)
① すべてのxについて、xが蒟蒻であるならば、あるyは人間であって、yはxを食べ、yは太らない。
② すべてのxについて、あるyは人間であり、yがxを食べたとして、yが太るのであれば、xは蒟蒻ではない。
に於いて、両者は「対偶」であって、それ故、
①=② である。
従って、
(04)により、
(05)
① コンニャクは、それを食べても、人間は太らない。
② それを食べた人間が、太るのであれば、コンニャクではない。
に於いて、両者は「対偶」であって、それ故、
①=② である。
従って、
(05)により、
(06)
① コンニャクは 太らない。
といふ「日本語」は、
① コンニャクは(、それを食べても、人間は)太らない。
といふ、「意味」である。
(07)
② コンニャク(に限って、それを食べても、人間は)太らない。
であれば、
② コンニャクが太らない。
であって、「述語論理式」は、
② ∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx&~太y)&∃y(人間y&食yx&~太y)→蒟蒻x}
である。
(08)
③ コンニャク(に限らず、それを食べても、人間は)太らない。
であれば、
③ コンニャクも太らない。
であって、「述語論理式」は、
③ ∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx&~太y)&~[∃y(人間y&食yx&~太y)→蒟蒻x]}
である。
従って、
(01)(07)(08)により、
(09)
① コンニャクは太らない。
② コンニャクが太らない。
③ コンニャクも太らない。
の「論理式」は、順番に、
① ∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx&~太y)}
② ∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx&~太y)& ∃y(人間y&食yx&~太y)→蒟蒻x}
③ ∀x{蒟蒻x→∃y(人間y&食yx&~太y)&~[∃y(人間y&食yx&~太y)→蒟蒻x]}
である。
(01)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念館は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(01)により、
(02)
① 私が理事長です。
② 理事長は、私です。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
②「私」は「1人しかゐない」。
従って、
(03)により、
(04)
② 理事長は、私(1人)です。
と言ふのであれば、
③ 私以外は理事長ではない。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① 私が理事長です。
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(06)
① 私が理事長です。
と言ふのであれば、
② 私は理事長である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 私が理事長です。
② 理事長は、私です。
③ 私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(01)(07)により、
(08)
① タゴール記念館は、私が理事長です。
② タゴール記念館は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
① タゴール記念館は、私が理事長です。
② タゴール記念館は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
タゴール記念館=象
私=鼻
理事長=長い
といふ「代入(replacement)」を行ふと、
① 象は、鼻が長いです。
② 象は、鼻は長いであり、鼻以外は長いではない。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻は長く、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(01)~(10)により、
(11)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
といふ風に、「言ひ換へ」ることが、出来る。
といふことを、認めるのであれば、
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻は長く、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=② である。
といふことを、認めざるを得ない。
従って、
(11)により、
(12)
三上章先生は、
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻は長く、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=② である。
といふことを、認めざるを得ない。
然るに、
(13)
学校文法は単純な英語文法からの輸入で、主語・述語関係を単純に当てはめたものだ。そのため、「象は、鼻が長い」という単純な文でさえ、どれが主語だか指摘できず、複数主語だとか、主語の入れ子だとか、奇矯な技を使う。これに対して三上は、日本語には主語はない、とする。「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)。また、「鼻が」は主格の補語にすぎなく、数ある補語と同じ格であるとする。基本文は述語である「長い」だけだ(三上文法! : wrong, rogue and log)。
従って、
(14)
② 象は、鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふ「文」は、
(ⅰ)象は
(ⅱ)鼻は
(ⅲ)鼻以外は
といふ、「3つの主題」を、含んでゐる。
然るに、
(15)
「1つの文」に、「3つの主題」が有る。といふことは、おそらくは、ヲカシイ。
然るに、
(16)
③ バラは棘が鋭い≒Rosae(属格)spina(主格)acuta(主格)est(動詞・三人称単数).
であれば、
③ spina(主格) は、
③ acuta(主格) の「主語」であって、
③ acuta(主格) は、
③ spina(主格) の「補語」である。
従って、
(17)
① 象は、鼻が長い。
であれば、
① 鼻が(主格) は、
① 長い(主格) の「主語」であり、
① 長い(主格) は、
① 鼻が(主格) の「補語」である。
従って、
(13)(17)により
(18)
① 象は、鼻が長い。
に於ける、
①「鼻が」は主格の「補語」にすぎなく、
ではなく、
①「鼻が」は主格の「主語」である。
と、すべきである。