日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(274)「象は(が・も)動物である。」の「述語論理」と「強調形」。

2019-06-23 11:15:33 | 象は鼻が長い、述語論理。

(01)
① 象は動物である=象は動物である。
② 象動物である=象は動物であり、 象以外に動物はゐない
③ 象も動物である=象は動物であるが、象以外にも動物はゐる。
従って、
(01)により、
(02)
① 象は動物である=∀x(象x→動物x)。
② 象が動物である=∀x(象x→動物x)&~∃x(~象x&動物x)
③ 象も動物である=∀x(象x→動物x)& ∃x(~象x&動物x)
従って、
(03)
① 象は動物である=すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物である。
② 象が動物である=すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物であって、あるxが象ではなくて、動物である。といふことはない。
③ 象も動物である=すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物であって、あるxは象ではなくて、動物である。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1(1)~∃x(~象x&動物x) A
1(2)∀x~(~象x&動物x) 1量化子の関係
1(3)  ~(~象b&動物b) 2UE
1(4)  ~~象b∨~動物b  3ド・モルガンの法則
1(5)    象b∨~動物b  4DN
1(6)    ~動物b∨象b  5交換法則
1(7)     動物b→象b  6含意の定義
1(8)  ∀x(動物x→象x) 7UI
(ⅲ)
1(1)  ∀x(動物x→象x) A
1(2)     動物b→象b  1UE
1(3)    ~動物b∨象b  2含意の定義
1(4)    象a∨~動物a  3交換法則
1(5)  ~(~象a&動物a) 4ド・モルガンの法則
1(6)∀x~(~象x&動物x) 5UI
1(7)~∃x(~象x&動物x) 6量化子の関係
従って、
(04)により、
(05)
② ~∃x(~象x&動物x)
③   ∀x(動物x→  象x)
に於いて、
②=③ である。
従って、
(02)(05)により、
(06)
② 象が動物である=∀x(象x→動物x)&~∃x(~象x&動物x)
③ 象が動物である=∀x(象x→動物x)& ∀x(動物x→  象x)
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(07)
(ⅲ)
1(1)∀x(象x→動物x)&∀x(動物x→象x) A
1(2)∀x(象x→動物x)            1&E
1(3)   象a→動物a             2UE
1(4)           ∀x(動物x→象x) 1&E
1(5)              動物a→象a  4UE
1(6)   象a→動物a&動物a→象a      35&I
1(7)∀x(象x→動物x&動物x→象x)     6UI
(ⅳ)
1(1)∀x(象x→動物x&動物x→象x)     A
1(2)   象a→動物a&動物a→象a      1UE
1(3)   象a→動物a             2&E
1(4)∀x(象x→動物x)            3UI
1(5)          動物a→象a      2&E
1(6)           ∀x(動物x→象x) 5UI
1(7)∀x(象x→動物x)&∀x(動物x→象x) 46&I
従って、
(07)により、
(08)
③ ∀x(象x→動物x)&∀x(動物x→象x) 
④ ∀x(象x→動物x&動物x→象x)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(06)(08)により、
(09)
② 象動物である=∀x(象x→動物x)&~∃x(~象x&動物x)
③ 象動物である=∀x(象x→動物x)& ∀x(動物x→  象x)
④ 象動物である=∀x(象x→動物x&動物x→象x)
に於いて、
②=③=④ である。
従って、
(02)(09)により、
(10)
① 象は動物である=∀x(象x→動物x)。
② 象動物である=∀x(象x→動物x&動物x→象x)
③ 象も動物である=∀x(象x→動物x)&∃x(~象x&動物x)
従って、
(02)(03)(10)により、
(11)
① 象は動物である=すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物である。
② 象動物である=すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物であり、xが動物であるならば、xは象である。
③ 象も動物である=すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物であって、あるxは象ではなくて、動物である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
② 象動物である=∀x(象x→動物x&動物x→象x)
② 象動物である=すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物であって、xが動物であるならば、xは象である。
② 象動物である=象ならば動物であり、動物ならば象である。
② 象動物である=象は動物であり、動物は象である。
従って、
(12)により、
(13)
② 象動物である=象は動物であり、動物は象である。
といふ「等式」が、成立し、それ故、
② 私理事長です=私は理事長であり、理事長は私です。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(14)
理事長は私です。
といふのであれば、
② 私以外に理事長はゐない
従って、
(13)(14)により、
(15)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私です。
③ 私は理事長であり、私以外に理事長はゐない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(16)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念館は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
ただ単に、
① 私は理事長です。
といふのではなく、
③ 私は理事長であり、私以外に理事長はゐない
といふ風に、言ひたい場合は、
③ I am the 理事長.
に於いて、
I
は、「強く発音される」はずである。
然るに、
(18)
「怪獣ゴジラ(Godzilla)」であれば、「迫力」が有るのに、
「怪獣コシラ(kosilla)」 では、「きわめて、弱々しい」ことからも、明らかな通り、
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私です。
③ 私は理事長であり、私以外に理事長はゐない
に於いて、
①=②=③ である。
ところの「理由」は、「濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられている」からである。
すなはち、
(20)
「私音)」は、「私は(清音)」に対する「強調形」であり、それ故、
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私です。
③ 私は理事長であり、私以外に理事長はゐない
に於いて、
①=②=③ である。
といふ、ことになる。