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ユキちゃん

2013-08-19 13:58:43 | 日記
我が家には4匹の猫がいる。

実は以前5匹いたことがあった。

その子は雌のノラだった。
妻の勤め先のビルにいついているやつだった。

うちの妻は猫だけではなく生き物をこよなく愛する人だ。
生き物を尊重しいつでも変わらぬ愛情をそそぐことができる人だ。
だだし私を含めて人間以外は(笑)。
その時も、そのノラ猫用のごはんを毎日せっせと準備していた。

ある日、その会社の重役がビルの外観を損ねるという理由で、
「えさやり禁止令」がでた。

うちの妻はあろうことか、それに抗議して会社を辞めてしまった。
それだけではない、なんとそのノラを保護すると言い出した。

それにはちょっと私もたじろいだのだが、あまりにクリアな生き方ゆえ、
賛同せざるを得なかった。
当時私は勤め人だったのだが、いったん帰宅した後、夜中に自転車を
押しながら、妻の勤め先までゆき、ノラの捕獲作戦を敢行した。
その時は、そのノラが出現せず、作戦は失敗に終わったのだが、
後日、妻から私の携帯に「無事捕獲完了」の知らせがとどいた。

そのノラの名前は、誰がつけたのかは知らないが、「フクちゃん」という。

もともと社員の人たちからも愛されるような、気のいい猫で、
ノラ特有の警戒心もない。きれいな澄んだ声でなく、毛並みのきれいな、
ぽっちゃり猫だった。年齢は不詳だが、少なくとも10歳くらいといわれて
いた。もう老猫に近かったと思う。

1ヵ月くらいは我が家にいたのかな…。

猫はふだんあられのない姿でよりそい、猫同士仲良くという印象もあるのだが、
実は自分のテリトリーをもち、単独行動する動物だ。
自分の居場所は自分で確保する。複数いる場合も、必ずその関係性の中で、
常に人間との、そして他の猫たちとの距離感を保つものだ。

結局、以前からうちにいた猫たちはフクちゃんを受け入れなかった。

フクちゃんは決して自分から攻撃をしかけるようなことはなく、
いつでも悠々としているおとなしい猫だった。

ある日、我が家のボス猫であるダリアのけたたましい声がなり響いた。

フクちゃんに対してとても警戒心が強く、いつもうなり声をあげ、飛び掛っていたのだが、
フクちゃんはどこ吹く風といった様子で、いつもさらりとそんなダリアの攻撃を
かわしていた。しかし、その日はちがった。

ノラは怒らせると怖い。一撃必殺、ダリアに返り討ちをくらわした。

今ではすっかり治ってしまったが、その時はダリアを病院に連れて行ったり大変だった。

そしてそれで観念した。
やはりフクちゃんはこの家で飼うべきではないのだ。

すぐにもフクちゃんを引き取ってくれる人をさがした。
幸い妻の母の知り合いで猫をほしがっている人がみつかり、その人に引き取ってもらえる
ことになった。

お別れの日は雪がちらちらふっていた。
ふくちゃんはベランダの欄干に上がり、降る雪がせなかに積もることも気にせず、
しずかに空をながめていた。

「フクちゃん、さあ行こう…」

フクちゃんは自分からケージの中に入ってきた。

「さよなら…」

フクちゃんとはそれが最後だった。

フクちゃんを引き取ってくれた人は、すごくフクちゃんを歓迎してくれた。
それこそ、猫かわいがりにかわいがり、溺愛していたらしい。
特にそこのご主人はたいへんなかわいがりようで、いつも一緒、
寝るときもいっしょの布団で寝ていたくらいだった。

フクちゃんも、元ノラにもかかわらず、毎日近所に散歩にでかけるが、
かえってくると、いつも家にいれて、と窓からにょきっと顔をだすくらい
その家になじんでいたそうだ。

先日、そのフクちゃんが亡くなったという知らせをうけた。

その家にひきとってもらってからもう10年くらいは経つので、
20歳くらいか…。もとノラ猫にしてはかなりの長生きだ。

ご主人は悲嘆の涙にくれているという。

今は夏、立秋をすぎたとはいえ、まだまだ残暑が厳しい日が続く。
そんな中、私はフクちゃんと別れた日の雪景色を思い出している。

あの日以来、私の記憶の中ではフクちゃんはフクちゃんでなく、
「ユキちゃん」だ。ずっと心の中でそうよんできた。

手のひらに落ちる雪をみたことがあるだろうか?
夏の線香花火の最後のように、てのひらで一瞬輝き、
はかなく消えてゆく。

今もフクちゃんが家にいたことが私にとって幸せな記憶として
残っている。でもそれはてのひらの雪のようにはかない思い出である。

さよなら、ユキちゃん。


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