シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

隣席は女性の遺体、英BA便の乗客が恐怖体験語る

2007-03-21 18:28:12 | ニュース、時事
隣席は女性の遺体、英BA便の乗客が恐怖体験語る(ロイター) - goo ニュース

サラっと読んで「遺体は別にコワくないと思うけどなあ…」と思ったけど、よく読んだら、なんか、遺体が隣にあんのがコワいっていうより、乱気流で座席から落っこちまくってたことに対して「恐ろしかった」って言ってるような。
それなら分かる。
ちゃんと止めとけよーと言う気もするけど、そんな乱気流なんだったら、客室乗務員もケガ覚悟で作業しないといけないもんね。
CNNによれば、最後にはたくさんの枕を使って席上で動かないようにしていたってことだし、まあ出来る限りのことはしたんだと思う。

とゆーかそんなに揺れるのか、ニューデリー⇔ロンドン。

元客室乗務員が書いたエッセイで、やっぱりフライト中に永眠者が出て、隣の乗客が席を替わってくれって言ったけど空席がなくて、客室乗務員が苦肉の策で軍服着てた将校にお願いしたところ、遺体の隣に座ることを承諾してくれて一件落着ってのがあったよ。
今回は、まだファーストに空きがあってよかったね。
隣ったってエコノミーに比べたらスペースあるもの。
いやよかったとかいう話じゃないんだけども。
ニュー速で「お客様の中にお坊さんはいらっしゃいませんか?」って書き込みがあって、すかさず「牧師だろ」って返されてたw
でもねえ、お医者さんを探すのは人命救助のためだけど、もう亡くなられてんだもんねえ、そう緊急性(!)はないよねえ。
どこかへ行くのか、帰るところだったのかわからないけど、お嬢さんも大変だったね。
ご本人もまさかフライト中に命を落とすなんて思ってもみなかったことだろう。

ちなみに上に挙げた元客室乗務員のエッセイはこちら↓
機上の奇人たち―フライトアテンダント爆笑告白記

文藝春秋

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「地下鉄サリン」から12年

2007-03-20 13:22:38 | ニュース、時事
「地下鉄サリン」から12年、遺族ら犠牲者の冥福祈る(読売新聞) - goo ニュース

もう12年経つんだなあ…早いなあ
あの頃とある大学病院の外来にいたんだけど、待合室のテレビ前でみんな総立ちになって食い入るように画面見てたっけ…
親が通勤で地下鉄使ってるって人(ナース含)が慌てて家に電話かけに行ったりね。
携帯もまだまだごくわずかの人しか持ってなかったし。
非常勤で来てるドクターが一人遭遇したんだよね。
以下ドクターの話。
日比谷線(って言ってたと思う)に乗ってたら小伝馬町(これもウロ覚えなんだけど。築地だったかも)で緊急停車のアナウンスがあってみんな降りてくれってことになって、何だろうと思いながらぞろぞろ移動してたらホームに二人倒れてた。
んでやっぱ職業柄「助けないと!」って思って近寄ろうとしたら、二人とも全くおんなじ感じでケイレン起こしてるのに気づいた。
そんで「これはヤバい!!」と思ってそれ以上寄らずに階段上がって外に出た。
急病で倒れたんならあんなにおんなじ症状なわけないから、これは何かの中毒に違いないと咄嗟に判断した。
外に出たら何かまぶしいし気分が悪いので、タクシーで自分の診療所に行った。
調べたら縮瞳していた。
ニュースを見たり色々問い合わせて、点滴をしたら回復した。
あの時介抱してたら、自分も死んでたかも。

もう聞いてた全員(((( ;゜Д゜)))ガクブルですよ。

名前を変えたり、新団体設立したり、色々やってるみたいだけども。

人が死んでんねんで。

まだいる人たちはそこらをちゃんと心得るように。

犠牲になられた方々の永遠の安息をお祈り申し上げます。
未だ後遺症に苦しむ方々が少しでも回復されますように。
被害にあった方々のご家族の苦しみが癒されますように。

階梯者イオアンの主日

2007-03-18 23:59:59 | 正教会及び宗教全般
福音箇所はマルコ9:17~31、汚れた霊にとりつかれた子をいやすところ。
あの不朽の言葉w「信じます。不信仰な私をお助けください」が出てくるところだ。
「信じる」って「信じられる」のとは違うと思うんだよね。
単に知識を積み重ねただけでは「信じられる」とこまでいかない。
「信じよう」って、エイって決断する瞬間が必要なんじゃないかって。
いやまあ別に信仰するものなんぞなくとも生活に何の不便もあるじゃなしいいんだけど(ここでは来世の話はおいとくね)、いみじくもいとうせいこうが言ったように、自分なんかが理解できないほどの対象があることで、自分を開くことが出来る。つまり固定化した自分の価値を揺るがすことが可能なわけで。
それって結構面白い体験なのね。
面白いとか言ったら不謹慎だとか張っ倒されそうだけども。
なんか話がズレてきたような気がしないでもないが、この言葉は、エイって飛び込もうとする人に対しては心強い応援メッセージだし、ともすれば神に依り頼む気持ちを忘れがちなあてくしを原点に引っ張り戻してくれるありがたい言葉なのだ。

ところで「大斎の意味」には階梯者イオアンの主日について
「この主日の早課の第一のカノンは、善きサマリヤ人の譬えを基礎としている(ルカ10:30-35)。
すなわち、悔い改めるクリスチャンは襲われた人に似ている。」
とあって、普通、親切なサマリヤ人の話を読むときは自分を祭司やレビ人に重ねたりするもんだけどふーん、襲われた人に重ねるのか、面白い読み方だな、と思っていた。
というか、それで流してた。
でも土曜日に早課誦んでて
「救世主ハリストスよ、諸欲は我よりなんじのいましめを剥ぎて、我逸楽に傷つけられたり。祈る、我に慈憐をそそぎたまえ」
とか、
「我は盗賊たる我が思いによりて諸罪の傷をもって我が生命を損なえり。ゆえになんじ仁愛なる神の神聖なる像を剥がれたり。祈る、我を憐れみたまえ」
とか、
「主宰よ、我無智にしてなんじのいましめを守らず、逸楽の諸欲に陥りて、恩寵を剥がれ、傷つけられて、裸体にして捨てられたり。ゆえになんじに祈る、救世主よ、我を救いたまえ」
なんて誦みすすめるうちに、ひとつの聖句が頭の中で形になった。
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。
砕かれた、悔いた心。
神よ、あなたは、それをさげすまれません。」
(詩篇51:17)
罪に砕かれて、ボロボロになって横たわっている時、ハリストスが優しく手を伸ばして助け起こしてくれるイメージ。
なるほどこういうことだったのか。
ちょっとだけ三歌斎経の意図するところがわかったような気がした。

あの世でも贔屓のチームを応援できます

2007-03-17 11:04:37 | ニュース、時事
エキサイトニュースより。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081173942314.html
棺桶・骨壺メーカーのイターナル・イメージ社は今年9月から贔屓のチームの名前で装飾した骨壺を販売する。選べるのはカブス、ニューヨーク・ヤンキース、フィラデルフィア・フィリーズなど8チームで、骨壺はホームベースの形をした台に置かれ、上には野球のボールをのせることができる。(以下略)

なんだ骨壷か。
なんだってこたぁないか。
あたしゃまた永代供養ならぬ永代指定席のチケットでも売り出されたのかと思ったよ。
大斎のカノンは、月曜と火曜は悔い改め、水曜と金曜は十字架、木曜日は聖使徒、土曜日は致命者と死者がテーマになってる(今年は釧路ではやらないけど、土曜日は死者のための祈祷<パラスタス>が行われる)から、まあそれつながりの話ってことで(何


「CYRIL'S PAGE イコンの在る世界」の制作者キリル井上直生兄が永眠されたのが昨年3月9日(´・ω・`)早いよね。
考えてみればこのブログ開設したのって、なんか兄がやってきたことをちょっとでも引き継げないかなと思ったからでもあったんだった。
インターネットのはじまりの頃、宗教系のいろんなコミュニティで兄は様々な教派、様々な宗教の方々と積極的に交流されていて、正教徒としてのしっかりしたスタンスと他宗教や教派に対する知識、そして何より包容力のあるそのお人柄が、正教の知名度と好感度を引き上げることに貢献していた。
兄のようにはとうていなれないけど、教会暦のサイクルで動く生活について書くことで、ちょっとでも正教の世界に触れてもらえればと思って、このブログをはじめた。
自分の場合、どっちかというと「こーいう人でも信者なんだから」と敷居を低くする役目なんだと思うけど(苦笑
キリル兄に永遠の記憶。

みみっくVOW16

2007-03-16 11:30:19 | みみっくVOW
「れんとって何!?
斎(ものいみ)に飲めってかい!?」


とおどろいて見てみたら、当たり前だけど違ってたw
Lento(レント)は音楽の速度記号で「ゆるやかに」。
四旬節は英語でlent(レント)。
ちなみに正教会で今の時期は「大」がついて大斎(great lent)。

なんで音楽用語が使われているかというと、貯蔵タンクに一定の音響振動を加えて熟成を促しているからなんだそうな。
常に揺るやかな振動を与え分子を小さくすることによって飲み口がまろやかになる、と宣伝文にある。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー(古
いっぺん味見してみよう。
レントが明けたらw

焼酎って面白いネーミング多いよね。
八丈島の「島流し」とか…
そんなんつけていいんかい!って思わずラベルにツッコミ入れたぞ。

今回の聖歌研修は

2007-03-15 12:13:48 | 正教会及び宗教全般
単音聖歌にテーマをしぼったことで充実したものになったという感想があちこちから聞かれた。隔年、もしくは何回か続けてこういうスタイルの研修をやってほしい、という声もあった。それはいいかも。ある年は単音、ある年は混声四部という具合に。混声四部も好きだからそれはそれでガッツリ勉強したい。特に主日や祭日はメジャーで晴れがましくいきたいしね。単音でも上下つければいくらでもゴジャースになるけど。
道内はたいてい司祭の常駐する教会は混声四部、巡回教会は単音での祈祷を行っていて、これまで研修の折には単音と四部をミックスした形で練習していたのだが、まあ普段歌っていないものにチャレンジ出来るという楽しみはあるものの、あれもこれもと的を絞りきれない感は確かにあった。それが今回、単音聖歌をじっくりやることで、さらに神品の動きや声との連動がスムーズになり、一体感をもった奉神礼となって、その調和こそ参祷する人々の心をより深い祈りに導いてゆけるのだ、ということを参加者ひとりひとりが実感出来たように思う。
個人的にはポロキメン(聖詠からとられた句で、聖書の読みの前に歌われる)の歌い方について、主日には誦経者が聖堂の真ん中に立って誦むものだし威厳をこめて、特に最後の半分は少し重みを持たせる、という説明が心に残った。
司祭の所作に合わせて歌うところはともかく、どうもあてくしの指揮は全般的にサッサカ早いんだよね。カノンなんかはそれでいいんだろうけど、もうちょっと(いや、だいぶ、だ)奉神礼について理解を深めて、自分のテンポじゃなくてあるべきテンポになっていかないといかんな、と。
最後に上武佐の皆さん、準備や手配お疲れ様でした、ありがとうございました。
揚げいも等々(゜д゜)ウママママーでしたです。

画像は聖歌をたくさん作った聖人、聖歌者聖ロマン。
持っているのは楽譜だけど、ケイロノミック・ネウマっていうの?
線のないネウマ。記号だけ。
こういうの見ると、祈祷文があって、それを誦み下すのが誦経で、それにフシがついたのが聖歌なんだなあ、ってしみじみ思う。

大斎第四週間水曜日

2007-03-14 22:54:24 | 正教会及び宗教全般
いやー三歌斎経にも「見よ、救いの舟は十字架の帆に進められて斎の半ばを過ぎたり」だとか「人を愛する主よ、我らは節制の海の半ばを通りて…」なんて言葉がちりばめられて、大斎も折り返し点を過ぎたというか、往路の山登りをスペシャリストの今井とはいかないまでも何とかブレーキにならずに走れて復路につなぐことができたというか、えーと譬えが若干妙ではあるが、そんなようなことを誦経しつつしみじみ実感。まあ毎年ここの箇所見るたびにそれは感じてることでもあるんだけど、今年はそれに加えて何というか、初代教会から信仰を守り伝えてきた諸先輩方に「あと半分だガンガレ超ガンガレ」って励まされてるようなイメージがわわっと湧いてきてなんかすごく嬉しかった(*´∀`*)

水・金は通常早課・時課・晩課に続いて先備聖体礼儀があるが、教会によってはどちらかしか行わない場合もあるし、日曜日に巡回だったりすると先備に用いるご聖体をつくらないところもある。
どうしてかというと、ご聖体を巡回先から移動するのには細心の注意を必要とするから。
知らない人からしたら単なるパンとぶどう酒だけど、あてくしたちにとっては聖変化したキリストの血と体なわけで。
例えば帰りがけに信徒宅を訪問したいと思っても、車にご聖体置き去りにして行くわけにもいかないしねえ。
釧路でも、移動距離が長いし、やっぱり顔出したいおうちとかあるし…ということで今年から巡回のあった週は先備聖体礼儀を行わないことになった。
先備については去年ちょっと書いたのでご参考までに

http://blog.goo.ne.jp/olym2/e/e153f405088910c70a4a0e4c542584e8

春は別れの季節…でもある

2007-03-13 22:45:04 | 正教会及び宗教全般
今日は釧根地域で引退されるルーテルの古財先生と転任される兄弟団の石井先生の送別会が行われた。
こちらに来た時は比較的ベテランの先生方が多くて沢山学ばせて頂いていたのだけど、そのうち世代交代というのか30代~40代の方が増えて、なんだか楽しそ…いや活気があってとてもいいですぞ。しかもなかなか皆さんイケメソだったりうわなにをするやめろ(ry
正教会には釧路の神父と同年代の神父っていなくて上か下になってしまうので、いやそれでもいろいろ分かち合ったりはするけれど、教派こそ違えど同じ世代の教職の方々と情報交換したり語り合ったりできることは本当に有難いことだと思う。
古財・石井両先生のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

十字架叩拝の主日

2007-03-11 23:59:20 | 正教会及び宗教全般
今回、研修にあわせて仙台からセラフィム主教座下がお越しになった。
上武佐での主教祈祷の聖体礼儀は実に会堂成聖以来30年ぶりなんだそうだ。
金、土とたいへん天気がよかったのに、日曜日は画像のごとく雪の入堂式と相成り、地面がびしゃびしゃなので、近所の信者さんが急遽4トントラックに積んでこられた木材を敷いて通路を作った。
これが武佐の機動力ですよ武佐の。
キャンプの時だって屋外に洗面やら炊事用に使えるように広い流しが出来てるし、雨模様だなとなったら重機がやってきてちゃっちゃと屋根組んでタープ張ってあっという間に濡れずにすむ食堂が出来上がっちゃうし、ほんとすごいんだ。

そんなわけであいにくの天気だったけど、主教座下は自分も雪の多いところの出身だから何ともないよ、と笑っていらした。

2年生の子が二人いて、初めて見る主教品に興味津々だったので、時課の時に主教さんとは誰ぞやというお話をする。
「あの黒い帽子はねー、一生結婚しないで神様のためにがんばります、っていうしるしなんだよ」
「えー、じゃあ、神父さんは結婚してるからラクなの?」
「(苦笑)神様のためにがんばるがんばり方っていっぱいあってねえ、(以下略)」
記念写真では二人して座下の足元に座ってゴキゲンだった。

研修の感想は後日。
以下は「大斎の意味」より。

大斎第三主日の十字架叩拝は、間もなく受難週においてたどっていく主の十字架の記憶のために、我々を準備させるものである。
そして、同時にそれは、大斎全体が、我々がハリストスと共に十字架につけられる時であることを思い起こさせる。
この主日の主要な特徴は、前の二つの主日と同じように、喜びと勝利のそれである。
ハリストスの死と復活は分離されない。
主の十字架は勝利の象徴として見なされ、ゴルゴタの丘は、空っぽの墓の光の中で見られる。