シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

十字架叩拝の主日

2007-03-11 23:59:20 | 正教会及び宗教全般
今回、研修にあわせて仙台からセラフィム主教座下がお越しになった。
上武佐での主教祈祷の聖体礼儀は実に会堂成聖以来30年ぶりなんだそうだ。
金、土とたいへん天気がよかったのに、日曜日は画像のごとく雪の入堂式と相成り、地面がびしゃびしゃなので、近所の信者さんが急遽4トントラックに積んでこられた木材を敷いて通路を作った。
これが武佐の機動力ですよ武佐の。
キャンプの時だって屋外に洗面やら炊事用に使えるように広い流しが出来てるし、雨模様だなとなったら重機がやってきてちゃっちゃと屋根組んでタープ張ってあっという間に濡れずにすむ食堂が出来上がっちゃうし、ほんとすごいんだ。

そんなわけであいにくの天気だったけど、主教座下は自分も雪の多いところの出身だから何ともないよ、と笑っていらした。

2年生の子が二人いて、初めて見る主教品に興味津々だったので、時課の時に主教さんとは誰ぞやというお話をする。
「あの黒い帽子はねー、一生結婚しないで神様のためにがんばります、っていうしるしなんだよ」
「えー、じゃあ、神父さんは結婚してるからラクなの?」
「(苦笑)神様のためにがんばるがんばり方っていっぱいあってねえ、(以下略)」
記念写真では二人して座下の足元に座ってゴキゲンだった。

研修の感想は後日。
以下は「大斎の意味」より。

大斎第三主日の十字架叩拝は、間もなく受難週においてたどっていく主の十字架の記憶のために、我々を準備させるものである。
そして、同時にそれは、大斎全体が、我々がハリストスと共に十字架につけられる時であることを思い起こさせる。
この主日の主要な特徴は、前の二つの主日と同じように、喜びと勝利のそれである。
ハリストスの死と復活は分離されない。
主の十字架は勝利の象徴として見なされ、ゴルゴタの丘は、空っぽの墓の光の中で見られる。