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太陽の神殿

2019-03-23 22:36:26 | ゲーム


 なぜいきなり『太陽の神殿』なのかといえば、イースIVで「金の台座」や「太陽の神殿」が出てきたからなのでした。だいぶ以前に購入していたけど、この機会にクリアしようと。

 本作は例によってもともと8bit PC時代のゲームで、アドベンチャーゲーム『アステカ』の続編であり、尋常でない難易度で有名でした。そんな本作を作ったスタッフはその後、「今、RPGは優しさの時代へ。」とぶちあげたイースを作ったのだから、何かしらやりすぎた感があったのかもしれません。

 とにかくPC版はクリア不可能なハマリ状態に陥ることが多く、それなのに自分がハマっていることを知るすべがなかったのです。何かが起きてしまった後に、この状況をどうやって解決するか、などと考えているようでは永遠にクリアできません。その状況にならないように前もって対策をしていなければならないのです。

 そんな高難度だったもので、自力で解いた人は極めて少なかったのではないでしょうか。私も当時友人に借りてプレイしましたが全く歯が立たず、攻略本の走りである「チャレンジ!! パソコンアドベンチャーゲーム&ロールプレイングゲーム 2」を参照しっぱなしで無理やりクリアした覚えがあります。

 したがって具体的な謎の解き方なんか全く記憶にありません。それをいいことに、せっかくだからファミコン版は攻略情報なしでクリアしましょう!



 ファミコン版はストーリー仕立てになっています。ゲームの目的は伝説の「太陽の鍵」を手に入れることのようです。舞台となるチチェン・イツァーの遺跡は実在し、ゲーム中でも配置などがそれとなく再現されているようです。

 ところで本作は「アステカII」ではありますが、マヤ文明とアステカ文明は別物です。以前にも書きましたが。



 原作では一人旅でノーヒントだったのが、ファミコン版では幼馴染の女の子と現地ガイドの3人パーティーで、随所で仲間やシステムや神様からヒントがもらえるようになっています。



 チチェン・イツァーのマップ移動画面。PC版でも同様の雰囲気でした。なんとなくイースとの関連性を感じます。

 各建造物は斜め視点による描写になっていて、なかなか美しい描き込みになっています。この建物は尼僧院。ゲームスタート後に最初に来る必要があります。



 建物の中に入ると、コマンド選択画面になります。通常のゲームだとコマンド総当たりによって謎を解くことが可能ですが、前述のような罠が多数仕掛けられているのでよほど慎重にコマンドを選ばないとハマってしまうのです。

 上の写真はカスティーリョ(スペイン語のcastillo、英語ではcastle)と呼ばれる建物の財宝室。その中についに「金の台座」を見つけることができました! PC版では早めに金の台座を取ってしまうと、その後に泉で落としてしまってクリア不可能になってしまうという罠がありましたが、ファミコン版ではどうやっても金の台座を泉に落とすことはできませんでした。そうか、だからファミコン版のイースでは金の台座を泉で拾うイベントがカットされたのか!(多分違う)

 こちらでの金の台座はもちろん謎解きに使うアイテムで、とある場所でのアイテムを使う時に、台座がある場合とない場合で結果が異なるという謎が用意されています。このことはゲーム内の神様が「きんのだいざが あると ないとで おいしさ 2ばい。」とヒントを教えてくれます。



 こちらはゲーム内のチチェン・イツァーの中でも最大級の建物、戦士の神殿と千柱の間。ここにはゲーム内で最も厄介な罠があるところなのです。



 戦士の神殿でめぼしいものを取ろうとすると、像だったジャガーさんが突然動き出し襲いかかってきそうになります。ここですかさずアイテムを使ってジャガーさんを像に戻してしまうと、その後必要なアイテムが取れなくなってしまうのです。うまいことジャガーさんがいないタイミングを見計らって、とあるアイテムをゲットせねばなりません。しかもその時に使うアイテムがありまして、それをうっかり別のアイテムと組み合わせてしまっていたらもうクリア不可能です。私もこれでやり直しをさせられました。まあ知っていればここまでのプレイ時間は10分程度ですが。

 ファミコン版はセーブ方法がパスワードなので、途中段階のパスワードを幾つも控えておけば最初からやり直す必要もありません。パスワード方式のメリットですね。



 ゲーム中盤以降はこの球戯場に何度も足を運ぶことになりますが、ここの謎解きの手順がなかなか込み入っており、プレイしていて心配になる場面が多いのです。上の写真はうっかり閉じ込められた状況で、親切にもハマリであることを教えてくれています。ハマった場合に必ず教えてくれるわけではありません。



 なんとか多くの罠を避けてついに太陽の鍵を発見! ここではオカルト的なアイテムの効果で鍵を手に入れます。日本ファルコムの初期のゲームはオカルトっぽい雰囲気のものがあり、それがメーカーのイメージとして私には残っていました。デーモンズリング、アステカ、ドラゴンスレイヤー、ザナドゥあたりですね(前者2作はプレイしていませんが)。この路線の最後の作品が本作であるといってよいでしょう。



 PC版では太陽の鍵を手に入れたらクリアだったような気がしますが、ファミコン版ではなんと大魔王との決戦があります。勝敗はほぼ運であり、負けてもその場からやり直せるので、特に気合いを入れる必要はありません。

 ファミコン版では各建物に入った時に怪物が出てきます。怪物を倒せる順に建物を周れ、ということです。怪物を倒すことができるかどうかは、まず怪物を見ることで見分けがつきます。「かてそうにない」と出たら後回しにしましょう。



 大魔王を倒して幼馴染を目覚めさせるとエンディングで、魔王の神殿が崩壊していきます。そして生還した二人には意外な展開が待っていました。そこはプレイしてのお楽しみ(誰もプレイしないか)。



 エンディングの二人はなかなかいい顔しています。とても高校生には見えません。ちなみにここでコントローラをいじると目や口が開閉します。

 ところで下のキーワード、一文字飛ばしで読むと……、ってコレか!

 というわけで攻略情報なしで3日でクリア。さすがにファミコンユーザー向けにアレンジされていてクリアはある程度簡単でした。怪物との戦闘要素は蛇足的ではありましたが、展開にちょっとした変化がついたのはよかった気がします。ただ、よくわからない国籍不明の怪物を出すのではなくて、せっかくマヤ文明なんだからケツアルコアトルとか出せばいいのにとは感じました。

 全体的にちょっとヒントが多いようで、個人的にはもっと少なくしてもいいかなと。その代わりハマり状態の時にはゲームオーバーになってくれれば納得感もあるのではないでしょうか。まあ今時こういうアドベンチャーゲームってないですけどね。そんなレトロな形態の作品を久しぶりに楽しむことができました。



 おまけで、プレイ開始時に作った手書き白地図を掲載。左上の広場みたいなのが球戯場。ネットには綺麗なカラーのマップ画像もありますが、自分でマップを作ればゲームに対する思い入れは3倍増し。



 どうでもいい話ですが、私が最初にマヤ文明のチチェン・イツァーを認識したのは、幼少期に手塚治虫の『三つ目がとおる』を読んだ時です。上の写真の場面がそのままチチェン・イツァーというわけではないのですが、球戯場やいけにえの泉などを思わせるシーンがありまして、本作をプレイしている時にどこか知っている土地を歩いているような気になったのでした。『三つ目がとおる』は私のバイブルです。

イースIV MASK OF THE SUN

2019-03-11 23:04:23 | ゲーム


 私がリアルタイムにプレイしたイースはIIIまでで、IV以降は今回初めての挑戦です。イースIVに関しては、プレイ環境の都合でスーパーファミコン版となりましたが、このバージョンはイースIIIを移植したトンキンハウスによるもの。そもそもイースIVというのは、話によるとファルコムの原案をもとに2社が競作して別々のハードに発売したようです。したがって当時はファルコム純正のIVは無く、その後に原案に近い本作SFC版『MASK OF THE SUN』が正史となったらしいです。

 そんなイースIVをハードオフで400円(税別)で購入! イースIIIをクリアしてすぐの挑戦です。



 IIIでおかしかったアドルの顔が治った! というか本作はIIの直後でIIIの前の話。本来の「イース」にまつわる話(I&II)とその後のアドルの冒険(IIIおよびV以降)をつなぐ重要な作品となりました。



 画面はIIIの雰囲気を強く残しています。町を出た最初の地形は曲線的な山道で、特に初代イースを意識した作りです。また、ゲーム機の性能を活かして遠景と近景の二重スクロールになっています。

 ゲームシステムもIIまでとほぼ同様で体当たりによる戦闘。ただし敵がきっちり軸を合わせて来るため、半キャラずらしがやりにくくなっており乱戦になることが多かったです。敵の移動方向に対して横から攻撃する方がやりやすいかも。

 魔法は武器に付属の能力になっていて、アイテムでパワーアップが可能。この時点での魔法システムは荒削りであまり使いどころもなかったのですが、以降のシリーズではこれを発展させたシステムを採用しているようですね。

 武器の種類も従来の5種類から増えていて、強くなった感を何度も得られるのは良いところ。最終決戦では最強武器より一つ弱い装備が必要になるのは従来ファンもニヤリ。



 ここは峠を越えてたどり着くセルセタの樹海。一見複雑そうなマップに見えますが、実際はそうでもありませんでした。基本的に一本道で、分岐があってもすぐ行き止まりになる上に、アイテムがマップの分岐先にあることがほぼありません。行き止まりでなかったらそれは正解ルートで、アイテムやイベントの取りこぼしは(ほぼ)無いということです。そのために私のようにマップの全てを把握したい欲が旺盛なゲーマーにはプレイしやすいですが、一方で若干の物足りなさもありました。



 本編と関係無いですが、なぜかスクリーンセーバー機能も搭載されています。その名も(おそらく)フライングイースIV! 昔のMacintoshのスクリーンセーバーにあったフライングトースターのパロディでしょう。



 ゲームの中盤ではIとIIの舞台であったエステリアに戻ることになります。見知った村や草原を久しぶりに(私はそうでもないけど)駆け回るのはなかなかアツイ展開であったことでしょう。しかもここでフィーチャーされるのはあのリリア! 敵に狙われる立場でありながら、そんなことお構いなしにアドルを追っかけ、敵地の中心であるセルセタの樹海に勝手に突っ込んでいくという無謀の極致! リリアすごい見せ場っすなあ。

 過去作との関連性を持たせるために懐かしのキャラや村を出すのはなかなか効果的であって、ファンが作ったイースの続編という印象。これは素人くさいという意味ではなく、こういう展開があったら旧来のファンは納得するだろうというサービス精神と言えましょう。これがファルコム原案にあったものか、センス・オブ・トンキンなのかはわかりませんが、燃える展開なのは間違いありません。



 そんなリリアが敵ボスに見つかって人質として連れて行かれます。言わんこっちゃない! 敵ボスは古代に高度な文明を築いた有翼人の生き残り、エルディール。これら古代文明と有翼人の設定がこの後のシリーズの基幹となったようです。

 ちなみにこのちょっと後、リリアと引き換えに宝玉を渡せと言われるイベントがありまして、その時に「渡さない」という選択肢を選ぶと即時にゲームオーバーになります。イースではこれまでイベントの選択肢でゲームオーバーになることはありませんでした。



 リリアを助けるために、古代に有翼人と戦った英雄の霊に力を貸してもらいます。ここであの金の台座がフォーカスされるという意外な展開! 金の台座といえば、初代イースでアドルが泉で拾ってそれを換金したり(ファミコン版ではばっさりカットされたイベント)、古くは同社のアドベンチャーゲーム『太陽の神殿』でうっかり泉に落とされたりしたアイテム! それを買い戻すためにまたエステリアに行かなければならないのは面倒くさくてかなわん、と心で思っていてもなぜか顔はニンマリ。なかなかにイースファンをくすぐってきます。あれ、私はイースファンだったのか!



 前述の即死イベントで宝玉を敵に渡したら、なんとリリアは殺されてしまいます。その後のリリア復活の儀式が上の写真。これらの展開の際に、リリアを抱きかかえて移動したり、二人で走ったりなどのちょっとした例外処理による新しい要素がいろいろ入っています。もうリリアがゲームシステムやプログラムの中にまで干渉していると言えましょう。



 そしてエルディールとの最終決戦、ここでも珍しくイベント待ちのための避けに徹するプレイが必要になってきます。しかも2回も。正味の戦いはとにかく被ダメージが大きいのできっちり敵の攻撃を避けることが必須。

 ボス戦といえば、通常のボス戦とは異なり、アドル対多数の中ボスというシチュエーションも幾つかありました。これもイースとしては新しい要素です。



 ボスを倒すとエンディング。こちらは古代人のエルディールと唯一心を通わせたリーザさん。本作のヒロインの一人で、アドルがセルセタの樹海に赴くきっかけを作った人物です。悪に染まりかけたエルディールが倒れて傷心のようですが、頑張って生きてほしいものです。

 もう一人、カーナというヒロインもいるのですが、一枚絵なども無いため特に印象に残らないもよう。ちなみに武闘派。



 というわけでイースIVクリア。レベルはそこそこ上がりやすいですが、さほど頑張らなくても強い装備で先に進めるため、あまりレベル上げをさぼっているとボス戦で苦労するかもしれません。弱い敵を倒しても経験値が1しか入りませんが、ちょっと進むとすぐにちょっと強い敵が現れるので、常に経験値稼ぎができるようなバランスになっています。私のようにレベルをできる限り上げたい欲が旺盛なゲーマーには楽しいかもしれません。

 全体的に、とにかく従来のイースファンに楽しんでもらおうという姿勢で一貫した作品でした。その結果として、IIまでのイースの国とIII以降の世界との関連を示すことができたようです。エステリアに戻った時に、IとIIの村が地続きになっているのを見て思わずコーフンしてしまいましたよ私としたことが。懐かしのキャラ達も相変わらずで何よりでした。

 リリアがアドルの追っかけとして少々病んでいるような気はしましたが。

 次はファルコム純正のイースVに挑戦です。

イースIII ワンダラーズ フロム イース

2019-02-24 23:17:57 | ゲーム


 イースIIIに関しては、X68000版を発売当初にクリアしたのですが、内容をほとんど覚えていませんでした。ハードオフでスーパーファミコン版が300円(税別)で売っていたのを見たとき、イースIIIってどんな展開だっけかと疑問に思ったこともあってつい買ってしまい、いっそのことシリーズを初代にまでさかのぼってもいいかと思ってプレイし始めてしまいました。もちろんIIもプレイ済み。

 スーファミ版はトンキンハウスによる移植。ファミコンで『太陽の神殿』や『ロマンシア』を移植した付き合いです。オープニングに紙芝居風のプロローグが追加されていましたが……。



 アドルの顔がなんかヘン! ちょっと健康状態を疑ってしまいます。ドギはまあこんな雰囲気でしょうけど。

 なんでも占いによるとドギの生まれ故郷に異変があるらしいとのことで、二人で向かうことにしました。その道中……。



 にゃー!

 ヤマネコもヘンになっています。遠近感も体のつくりもヘンです。アドルの顔といい、異変はドギの故郷にとどまらず、ゲーム製作現場にまで広がっている様子。



 こちらが本来のタイトル画面。町に着くやいなやドギの幼馴染のエレナに出会い、色々あって封印が解けた魔王ガルバランを倒すことになりました。

 改めてスーパーファミコン版をプレイしてみると、印象に残らなかった理由がいくつか考えられました。そのことは後述するとして、聞きかじったところによるとこのイースIII、開発段階ではイースとは関係のないアクションゲームだったけど、会社の方針でやむなくイースの名を冠することとなったとのこと。

 確かに従来のイースとは大きく異なるゲームで、サイドビューで剣を振り回すジャンプアクションRPGになっています。舞台設定もイースという国とは無関係で、過去作から連続しているのは相棒のドギのみ。詳しくは知りませんが、後に整備された設定ではイース発祥にも関連する古代人がらみの話ということになったらしいですが。



 街を出るとワールドマップに切り替わり、行き先を指定します。するとアドルが目的地に到着する直前からスタートします。上の画像は最初の地点である鉱山へ向かうアドル。当時のファルコムはこういう大胆な雲の表現を得意としていました。



 鉱山の中では岩肌に組まれた足場と階段をアドルが駆け回る画面構成。背景には地下の滝などがあり、多重スクロールを駆使した空間的な演出になっています。

 さてこのイースIII、1989年発売当時も前作ほどの盛り上がりはなかったような気がします。どちらかというと多重スクロールが話題の中心だったかもしれません。当時は8bit PC時代の末期であり、16bit機による高度な処理が可能になったゲームが増えてきていたからではないかと考えています。イースIIIのオリジナルは例によってPC-8801mkII(SR以降)ですが、ビジュアル的にあのハチハチで多重スクロールを高速に処理しているという技術は驚異的ではあったけれど、16bit機にしてみれば「まあこれくらいはできるよね」というものだったし、ゲームとしては枝葉の部分だったのです。サイドビューで剣を振り回すARPGには『トリトーン』などの前例もありましたので(スクロールではなく画面切り替え方式ですが)、システムが斬新ということもありませんでした。



 鉱山をさくっとクリアすると、次の行き先は火山の麓。あれこれとイベントがあって溶岩が泡立つ地下に落とされてしまいました。ここはボスを倒さないと閉じ込められたままの場所ですが、無限に薬草を拾うことができるので格好のレベルアップポイント。まだ序盤なのに私はここで最高レベルまで上げてしまいました。

 もちろんここの背景も多重スクロールです。8bit PCでの多重スクロールの重ね合わせ処理のやり方としては、近景やキャラごとにマスク用の「型」を別途用意しておいて、bit演算によって遠景を型でくり抜いた後に近景やキャラのパターンを順次足し合わせて表示しています。そんな手間のかかる処理をハチハチが画面の広範囲に対してリアルタイムに行っていた、というのが本作最大のみどころだったような気がします。逆に言えば、私がプレイしたX68000版では普通のゲームだった印象。時代の変わり目に限定された賞味期限付きの味わいだったのかもしれません。



 その後は雪山をちゃちゃっとクリアして、ガルバランを復活させようとする領主がいる城へ。時計台(?)の中では歯車を足場にしてルートを探ります。

 プレイしていてここらへんで感じたのは、「なんか単調だなあ」ということです。サイドビューですから基本的に左右移動が主体になります。それに上下移動を加えようとすると、どうしても舞台は地下の洞窟とか建物の中ばかりになってしまうのです。それに経験値制を導入しているということは、戦闘がひっきりなしに行われるということで、高度なアルゴリズムを持つ敵なんかと戦うのはしんどいために動きが極めて単純になっているのです。その割には剣を振るアクションをするためにボタンを押さねばならず、単調でありながら面倒くさいという印象になってしまっています。従来のトップビューだったら上下左右自在に動き回れ、体当たりだけで戦闘できたのに、と感じてしまいます。



 城をクリアすると次は舞台はもうガルバランの島でした。行き先は計5箇所ということで非常に短く、これまた印象に残らなかった理由の一つでしょう。

 ここでの画面効果は斬新で、アドルの位置にかかわらずサーチライトのように画面の一部が照らされるというものです。まあここにはその効果の特性を活かした謎解き(通路探し)がありますが……。

 もう一つ印象に残らない理由として、ワールドマップの存在そのものが挙げられるでしょう。従来のイースではステージが全て繋がっていて、アドルが自分の足で冒険したという実感がありました。ワールドマップで行き先指定すると、どうも目的地までタクシーですっ飛ばしたような感覚になってしまい、冒険したという印象が薄いものとなってしまっているのです。もちろんアドルの足跡を全てゲームとしろというのは無意味でしょうが、前述した単調さや短さを補うことはできたかもしれません。



 そしてまた色々あって最終ボスのガルバランとの戦い。スーパーファミコン版のこいつはどえらく強かったですね。ガルバランが弱点を露出したときにジャンプして剣を振ってダメージを与える手順なのですが、地面が上下動をしているためにジャンプ最高高度が安定しないのが難しさの原因。地面が上に動いたときにフルにジャンプするとガルバランに突っ込んで大ダメージ、それを恐れてジャンプを抑えてしまうと地面が下に動いたときには空振りして長期戦、そのうちにダメージ蓄積と集中力切れで負け続けでした。弱点露出の時間が短いのに対し、ガルバランの攻撃を避け続ける時間が非常に長いのもしんどさの要因。

 私の場合は使えるアイテムを全部使い、攻撃可能な瞬間を狙ってパワーリング(攻撃力を高める指輪)を装備するという短期決戦でなんとか勝つことができました。いちいちリングを付けたり外したりするのが面倒ではありましたが。そしてエンディングを迎えますが……。



 あいかわらずアドルがグロッキー状態! ドギの方が男前です。ゲーム中にかなり活躍したエレナが追いかけてきました。



 旅立つ二人を見送るエレナ。このグラフィックはなかなか良いですね!



 え? 誰? ていうか何? エレナの絵柄にも異変が出始めたようです。

 というわけで無事イースIIIもクリア。文中では批判的に書いてしまいましたが、実際には結構本気でプレイしており、十分に楽しむことはできました。イースシリーズはV以降で剣を振るアクションが中心になったらしいですね。また、イースという国との関連も問われなくなったようで、これらの意味で本作はイースを拡張するために必要な実証試験であったのかもしれません。

 次はスーパーファミコンのイースIVに挑戦です(本記事を書いている現在、最終ボス手前でセーブ)。

イースⅡ

2019-02-11 21:56:45 | ゲーム


 私はイースIIが好きではありませんでした。(またこのパターンか?)

 とは言っても、もうこのシリーズはアドル・クリスティンのものであると諦めはつきましたし、前作イースの半端なエンディングの続きも気になっていましたし、何よりPCショップのデモが革命的なクォリティだったため、X1turbo版のイースIIを発売直後に購入したのでした。

 そしてプレイを始めると、どうにも地下迷宮みたいな狭くてゴチャゴチャしたマップが多いのです。そんな雰囲気をしんどいなあと感じていると、終盤になってサルモンの神殿+地下水路という複雑&広大なマップにうんざりしてしまったのです。もちろんその後クリアして素晴らしいエンディングも味わいましたが、なんか再プレイする気が起きずに1回クリアしただけでお腹いっぱいになってしまい、それっきりプレイすることはありませんでした。

 そして先日、ファミコン版の前作イースをクリアしたので、その勢いでイースIIももう一度クリアしようじゃないかと考えた次第であります。



 ファミコン版の前作はチープなアレンジが目について、オリジナルのPC版を見直すきっかけになりましたが、ファミコン版の本作はなかなか忠実に移植されています。アニメーションを多用したオープニングも、尺は短くなっていますが頑張って再現されています。リリアも上の写真の通りの描き込み。



 おそらくマップは可能な限り原作に忠実であると思われます。もちろんバランスが整えられていたり画面の表示の都合で変更した部分もあるでしょうが、余計なアレンジや大胆なカットもないようです。前作に批判があった影響かもしれませんが、それはもう意地になって移植したのであろうと想像します。ところが、その意地によってアレンジの多い前作と矛盾する部分もできてしまったりしたのですが……。



 イースIIで私が一番問題視したマップの複雑さですが、序盤から廃墟や廃坑などの狭くて複雑なレイアウトで始まり、中盤の氷壁も隠し通路があったりでやっぱり難解です。前作では最初に草原で自由に走れたこともあり、それがイースのイメージともなっていたのに、どうにも狭っ苦しい地形ばかりです。その後の溶岩地帯は比較的広々と走れますが、地下空間であろう設定なので今ひとつ開放感がありません。そして終盤のサルモンの神殿と地下水路で複雑さはピークに達すると覚悟していましたが、ファミコン版ではやや楽になっていたような気がします。その理由まではよくわかりませんでしたが。

 神殿も地下水路も多層構造になっていて、2次元で描かれていながら3次元的に正確なつながりとなっており、よくもまあこんなマップを作ることができたと今になって感心しました。30年前も、正確な構造を把握しないと気が済まない私としては同じところを納得するまで何度も通ったりしたため、非常にプレイに時間がかかっていたのでした。ファミコン版にはある程度の省略や変更があったのかもしれません。だとしたらそういう調整は大歓迎です。

 蛇足ですが、PC版のプレイ中にこの地下水路で流れる音楽をあまりに聴きすぎてトラウマレベルになりました。ところが改めて聴いてみると、同社のソーサリアンの「呪われたクイーンマリー号」の船内BGMと構成がそっくりなことに気づきました。この曲は私がソーサリアンでベスト3に入るほど好きな曲なので、ゲーム音楽の好き嫌いにはプレイのシチュエーションも大きな影響を与えるんだなあと強く認識したのでした。

 イースII独自のゲーム性としては魔法が使えることが挙げられます。とくに戦闘に関してファイヤーの魔法は強力で、魔力消費量が少なく、アイテム装備によっては敵に向かって誘導するようになります。ボスもファイヤーで倒すことが前提となっているようです。まあ私はあまり使わず、終始「半キャラずらし」が主力でしたが。イースのゲームとしての面白さはテクニカルなボス戦だと考えていますが、ファイヤー使用を前提とした本作のボス戦はほとんど印象に残らず、ちょっと残念。

 謎解き要素は多いですが、何かありそうな場所で使えそうなものを使うのが基本パターンです。もう一つのパターンは、モンスターに変身できる魔法を入手したら敵と会話をすることができるようになり、そこで情報を得るというものです。この時の装備の付け替えが意外と面倒くさかったので避けていたら、幾つかの場所でいつまでもフラグが立たなかったということもありました。過去のプレイも覚えていなかったし。こういうのは総当たりするのは大変なので、ゲーマーとしての勘が必要なところですね。私もまだまだ未熟です。



 イースIIのキャッチコピーは「優しさから、感動へ。」であったと記憶しています。本作の「感動」の具体的な部分は、終盤の鐘つき堂イベントの盛り上がりとか、最終ボス直前にみんなが応援して送り出してくれることとか、エンディングでみんなが褒めてくれるとか、使命を帯びた女神との別れなどのことでありましょう。身も蓋もない言い方ですが。それでも「自分よく頑張った!」と言えるゲームは良いゲームなのです。

 ちなみに上の写真の鐘つき堂はゲーム中でイースが天空に浮いていることを示す唯一の場面ですが、もっと随所で天空感を出して欲しかった気がします。地下深くに潜っていったら急に視界が開けて雲が見え、はるか眼下に地表が広がっているとか、イースの根っこ部分に架けられた吊り橋や梯子を渡っていくとか。最終ボス直前もいつの間にかイースが地上に降りていることになっていて唐突感があります。イースが地上に降りた瞬間が(あとになって)わかるような効果やイベントあったらよかったのに。

 最終ボス直前のイベントでアドルが銀のハーモニカを渡されるというのがありますが、ファミコン版の前作では銀のハーモニカ関連のイベントが丸ごとカットされていて、ファミコン版しか知らないと「何の話?」となってしまうのでした。返す返すも前作で変なアレンジをしないで欲しかった……。



 最終ボスとの戦いは、持てるものを全て使い切るようなものになります。PC版では背景に巨大な炎のアニメーションがあって、ものすごい迫力でした。



 そしてエンディング。2人の女神、6人の神官の子孫たち、ついでにリリアが大集合。神官の子孫のうち2人は前作に登場しており、イースが地上に戻ったためにやっと6人揃うことができたという設定。神官の子孫だったという説明がない人物もいるようですけど。女神であるヒロインのフィーナとはお別れになりますが、ここでも前作での「フィーナの影が非常に薄い」というアレンジによって「なんでこんなに大層なお別れなんだ?」と思うことでしょう。



 そして地上へ。アドルの最初の冒険はこれでおしまい。久しぶりに観たこのエンディングで「イースをアドル・クリスティンの冒険として認めようじゃないか」という心境に至ったのでした。



 というわけで、アレンジ前作との齟齬がいくつか発生してしまったのはやや残念ですが、とにかく気迫のこもったできうる限りの忠実な移植であり、ファミコン特有の「軽さ」もなく原作に近いプレイ感覚がありました。もちろん原作が完璧だと言うつもりはありませんが、私にとっては全く違和感がなかったのは間違いありません。そして私は30年越しでようやくイースIIを受け止めることができたようです。次はスーパーファミコン版のイースIIIに挑戦です(最終ボスが強くてかなわん)。



 おまけでオープニングの比較



 上は原作となるPC-8801mkIISR版。当時の8bit PCだと、こういうアニメーションはメモリを食いまくるし、ハードウェアスクロールなんてできないのが普通なので、ここまでやるオープニングはなかなかありませんでした。音楽も高性能サウンドドライバによってかなりの表現力を持っているし、曲想も当時のゲーム音楽では聴いたこともないほど先進的でした。



 こちらはファミコン版。冗長な部分はばっさりカットされていますが、相当頑張って再現しています。

 ところでリリアってなんだったんでしょうか。IIならではのヒロインなのでしょうが、そもそもI〜II通してフィーナが話の核心だし、エンディングではなんかお邪魔虫っぽかったし。IIの直後の話だというIVにも出てくるのかな? そうでないとあまりに不憫や……。

イース

2019-01-30 23:37:24 | ゲーム


 私はイースが好きではありませんでした。

 イースがPCで発売された時、私は高校生でした。発売以前からPCショップに入り浸ってPC-8801版のイースの店頭デモを食い入るように見ておりました。美麗でなめらかなグラフィック、FM音源とPSGを駆使した勇ましい音楽、高速で動作している高度なプログラミング技術など、いくらでも見ていることができました。

 そして私が持っていたPCであるX1にイースが移植され、直ちに買いに行きました。パッケージを開けたらハードカバーの豪華説明書が入っており、驚きました。ところが、その説明書にはこう書いてあったのです。

 「アドル・クリスティンの冒険譚」と。

 これを読んだ時にプレイ意欲が急激に萎えてしまったのです。「私はアドル・クリスティンではない」「主人公がアドル・クリスティンならプレイヤーはいったいなんなのか」と。私がどれほどゲームの中で頑張っても、全ての手柄はアドル・クリスティンとやらに持って行かれるのです。誰がどんなプレイをしたところで、「アドル・クリスティンの冒険譚」以上のものにはならないのです。

 イースとはプレイヤーの関係ないところで勝手に進むものなのかと落胆して、その時からずっと私はイースが好きではなかったのでした。もちろんX1版を何度もクリアしました。プレイのわかりやすさは「優しさ」を売りにするだけありましたし、グラフィックや動作もPC-88版同様の出来で、PSG3音による音楽も独自の良さがあって素晴らしいものでした。その後、X1turbo版のイースIIとX68000版のイースIIIもクリアしました。これくらいやり込んでいても、イースに対しては「よその子」のような印象をずっと持っていたのでした。

 ではなぜ今になってファミコン版をプレイしようかと思ったかといえば、スーファミ版イースIIIを324円で買ったからです。じゃあせっかくだからIIIまでのシリーズ一通りおさらいし、IV以降もスーファミ版でプレイしてみるか、と考えたのでした。まあ深い意味はないし、あれから30年ほど経過した今なら変なこだわりも薄れているだろうと。



 というわけで初代イースをプレイしてみると、いきなり見慣れないフィールドです。マップが結構アレンジされており、謎解きも追加されているようです。ところがどれもこれもチープなアレンジや謎解きばかりなのです。戦士の像に触れるとワープしたり、森の中の結界に入ると先に進めたり、あってもなくてもどうでもいいのならまだしも、原作のコンセプトぶちこわしのアレンジばかりという印象。



 例えばこのクレーターへ向かう山道。原作ではなめらかに続く一本道でしたが、ファミコン版ではグニャグニャ、ごちゃごちゃとしたマップになってしまっています。このアレンジは限られたメモリで変化に富んだマップを作ろうとしたからだと考えられます。四角いマップ内を無駄なく使おうとしたらこうなるでしょう。ところが原作ではメモリ効率を無視し、あえて無駄の多い一本道マップにすることによってクレーターの広さと高さを表現し、プレイヤーに強烈なイメージを与えることに成功していたのです。だからファミコン版ではクレーター感が希薄になってしまっており、実に残念なのです。



 クレーターのへりには神殿が建っており、フィーナという女の子が閉じ込められているのは原作同様。ですがこのフィーナに関して原作ではボツになったと言われる最終ボスのネタバレセリフが最後に出てくるのがファミコン版独自の価値かもしれません。



 この画像はファミコン版独自イベントの一つ。廃坑へ辿り着くための謎解きですが、どうにもとって付けたようなお使いイベントです。



 廃坑でもチープな謎解きが挿入されます。石版になにやら書いてありますが、この指示通りに町の外壁の扉をくぐるというものですが、どうにも必然性や説得力があるものだとは感じられません。とにかくこのような子供だましのようなアレンジが目立っており、非常に気になります。



 ゲームの後半はクレーターのへりに建つダームの塔の探索。原作では尺の関係で苦肉の策で製作されたらしく、アクションが中心のプレイになります。このダームの塔は原作でもどうにも冗長な感じがしてあまり好きなステージではないんですけどね。



 ファミコン版で最強と思われるカマキリボス。ボス敵の強さはイースの魅力の一つではありますが、ファミコン版のこのボスのカマの動きがかなり速く、完璧に見切るか、うまいことパターン化するかしないとかなり手こずるでしょう。指輪装備を変えてみるのもいいかもしれません。



 そして最終ボスのダルク・ファクトとの戦い。原作では足場がどんどんなくなっていくというアウェーな戦いに手に汗握っていたのですが、ファミコン版ではそれはなし。さくっと倒すと、なんとこのボスは分身だったという衝撃の独自展開! えーなんかめんどくさいなー、最後の最後までチープなことしてるなー、とか考えながらダルク・ファクトを探します。



 そして見つけたのがココ。これを見てヒド過ぎると感じましたね。ダルク・ファクト兄さんがこんな屋根裏部屋みたいなところにいるわけがないじゃないか! 魔導師の兄さんがこんな非常用梯子みたいなところを上り下りするわけがないじゃないか!と。ちょっと兄さんをバカにしすぎ。



 まあ分身と比べて大して強くもないので、さっさと倒してしまいましょう。倒すといきなり麓の村までワープして、イースの本を読んでもらうとエンディング。




 エンディングメッセージは原作と同じだと思われますが、麓の村までワープした展開とメッセージがなんか矛盾しています。うーむ、エンディングまでぶち壊しではありませんか。



 というわけでイースIIに続きます。

 とにかく原作に余計なことを付け足して良さを台無しにしてしまった、という感が強いファミコン版でした。これが初めてのイースなら全くなんの疑問もなく、十分に楽しめたゲームだろうとは思いますが、どうも私には自分で思っていた以上のイース愛があったようで、原作にどっぷりと浸かってその納得感を味わっていたのだなあと今になって自覚しましたよ。私はイースが好きではない、などとは言えなくなってしまいました。