ねがいのいえ理事長 藤本真二のブログ

障害を持つ方たちに寄り添い支援する日々の中で感じたこと、そのほか伝えたい話題などを、思いのまま日記風に綴ります。

療育論議

2008-12-07 01:26:13 | Weblog
 自立支援法見直しの中で、障害児の療育についての議論を厚労省が進めています。その内容を読みましたが、早期に、より専門的な療育を受けられるようにすることが重要なのだそうです。

 では専門的な療育とはどんなものなのでしょうか?

 東松山市では、幼児の通園施設に通っていた障害のある子たちに介助員を派遣することによって、地域の幼稚園や保育園にかえしていき、今では通園施設を閉園してしまったそうです。

 まわりの子どもたちは友達としてごく当たり前に過ごしているそうです。その流れで、多くの障害の子が次は普通学校に進んでいきます。その中には、医療的ケアが必要な子ももちろんいるそうです。

 健常の子どもたちに囲まれて育った障害の子たちは、いい刺激を受けて、身体の発達はもちろん、情緒的にもいいを発達します。健常の子たちにとっても、何も教えられずに本当の教育を受けているといえるでしょう。

 しかし、ひとりひとりに介助員を派遣したら財政は大変でしょう、施設を運営して一箇所に集まるほうが安く済むのではないですか、と質問したことがあります。すると、「介助員のほうが安く済む。しかし国にはそのような制度はないので市が全部出さなければならない。施設をやれば国からの補助金がもらえるから市の負担は少ない。だからこの方法は進まないのです」という答えでした。日本全体の財政を考えれば東松山方式のほうが安く済み、かつ、市民の希望にもあっているので、国の施策にして欲しいと要望しつづけているそうです。

 素晴らしい話です。ところが。

 国が今進めている議論はといえば、療育はより専門的に。障害も重度と軽度で分けていってよりきめ細かく、だそうです。

 一体、専門的って何のことでしょうか。専門家ってどんな人なんでしょうか。市の療育に通っている子が、落ち着かない、偏食が激しく決まったものしか食べない、といってきても、ねがいのいえに来たらみんな落ち着き、なんでも食べるようになるのはどういうわけでしょうか。

 いろいろなタイプの子がいるから、交流が生まれる。大きな子が小さな子を、動ける子が動けない子の世話をする。知的障害の子がユーモラスな行動をとると、動けない子が笑う。その笑顔でみんなが優しい気持ちになる。その空気が、見えない力でみんなの情緒を発達させています。

 重心の人ばかりが集まると、大きな施設が気持ち悪いくらい静まりかえり、刺激の弱い空間になります。いろいろな人がいるのは素敵なことです。

 国の議論とは真逆の、東松山方式が全国に広がることを望みます。


   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする