国際学どうでしょう

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東京裁判

2006-05-03 00:04:50 | 時事問題
十年ほど前、私が初めて卒論の審査する側に回ったとき、Hさんが出したテーマが「東京裁判」であった。冷静に丁寧に論じた論文であった。ゼミのメンバーの前での要旨の報告の際、他のメンバーのコメントをもらうと、「後からつくられた「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で裁くのはおかしい」というコメントが出た。

5月2日の朝日新聞に、東京裁判開廷60周年の記事「東京裁判「知らぬ」7割、20代では9割」と社説「開廷60年 東京裁判を知っていますか」が出たので、このようなことを思い出した。

東京裁判とは「米国などの連合国が日本の侵略戦争を断罪し、政治家や軍部の責任を問うた」裁判であり、「2年半に及んだ末、25人が有罪とされ、東条英機元首相ら7人が絞首刑になった」ものである。

ところで私のゼミの話だが、上記のコメントの後で、私は「東京裁判」ついて、過去の事実を発掘する意義があったなどとモゴモゴ喋って、否定的コメントとのバランスをとったように思う。

私は、朝日の社説の言うように「はっきりしているのは、政治の場で裁判の正当性を問い、決着を蒸し返すことの現実感のなさである」ということには同意をしている。だから指導者ではない、一般人が判決についてどうのこうの言うのは構わないと思っている。朝日社説は書いてくれないが、私は、広田弘毅死刑が解せない。

東京裁判について、連合国としても、あのような裁判をしなければ、大きな犠牲を払った戦争を遂行したということにけじめをつけられなかったであろうと、誰かが述べていた。(情けないが、誰だか本当に忘れた。)我々は不当に裁かれたということばかり論じがちである。戦争に勝って裁く側に回った方も、犠牲の大きさを納得するために、あれだけ大がかりな裁判という儀式が必要だったのかとそのとき思い至った。
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