埼玉県の民話/日本児童文学者協会編/偕成社/1979年初版
秩父というと、夜祭り、困民党事件のことを思い浮かべる人も多いと思うが、民話・伝説も多い。
多いという裏には、様々な人の採集の努力も大きくありそうだ。
狐にだまされまいと、赤ん坊になった狐めがけて、小石をなげるとうまい具合に狐にあたるが、いつのまにかおかみさんふうの女の人が赤ん坊をだいて、おそろしい顔をしてにらみつけます。
狐だとおもったのが、人間の子。
男は、人様の子を殺してしまったと後悔し、女の人にあやまるが、女は承知しない。
坊主になってわびとくれといわれた男が、和尚のところで頭をそり始めると痛くて痛くてたまらない・・。
狐に騙されてしまう結末。
昔話では狐はどうも損な役割。
しかし一方では稲荷神社もあるので、このあたりの落差も調べてみると面白そうです。
やさいぺたぺたかくれんぼ/松田奈那子/アリス館/2015年初版
野菜スタンプ。
野菜を切って、スタンプ。
遊び方も丁寧に紹介されていて、子どもにやってみたいと思う感じ。
オクラやレンコンは、なんとかわかりました。
ピーマンやゴーヤは、なるほどといった感じ。
ねこや犬の顔が野菜スタンプでかかれていますし、くじら、トラック,自転車なども野菜の切り口がうまく利用されていて楽しい絵本になっています。
野菜が好きになりそうです。
埼玉県の民話/日本児童文学者協会編/偕成社/1979年初版
秩父の山あいの村々をあらしまわっていたおにがやってくるというので、八幡社のお坊さんが、はかりごとを村のもんにさずけておきます。
とにかく酒をならべると、おにはがぶんがぶん飲み始めます。
そこへタケノコととうふのお膳。
おにがタケノコにかぶりつくとガリッガリッと音がするほど。
とうふを食べると、これもガリッガリッ。
坊さまと村の人がうまそうに食べているので、おにはまけずとガリッガリッと食べます。
村の人が食べていたのは本物のタケノコととうふ。
おにが食べていたのは竹の根っこと石。
これでは歯がもちません。
たしかにおにをだます話です。
外国にも同様の話が多い。
グリムの「ゆうかんな仕立て屋さん」では、仕立て屋が大男との力比べ。
大男が石ころを手に握りしめると水が指のあいだからしたたりおちます。仕立て屋がチーズのかたまりをにぎりしめるとポタポタ汁がながれ、大男がびっくり。
大男が石を空に投げると、仕立て屋は小鳥をとりだしてほうりなげます。
グリムの話は、これだけでおわらず、構成が複雑です。
ゆらゆらばしのうえで/きむらゆういち・文 はたこうしろう・絵/福音館書店/2003年初版
はらはらドキドキの連続。絵も素敵で、著者の幼稚園・保育園時代の写真まであって、はじめは子どもがえがいたのかと錯覚しました。
丸太の橋のうさぎときつね。
きつねがうさぎを食べようと、にげるうさぎをおって、丸太の橋を渡り始めたのですが、大雨のせいで、土手の石が崩れ、丸太はシーソー状態になります。
下手をすれば、荒れ狂う川に真っ逆さまです。
どちらも少しも動けません。バランスを崩さないためにはちょうど良いところでじっとしているしかありません。
しずかにときがながれ、夜になります。
敵同士の二匹はいつまでも話し続けるしかありません。相手の存在を確認し続けないと、いつ落下するかわかりません。
運命共同体の二匹。
絶体絶命のピンチのあとには、いつのまにか奇妙な友情が生まれます。
暗闇の中で、おれは怖がりなんだと思わず、本音がでるきつね。目が泣き出しそうです。
極限状態のなかででる本音。怖い思いをすると、すぐおしっこがしたくなるというきつねのセリフ。
うさぎがねてしまったときのセリフも素敵です。
「おい うさぎ! おきろ。いま ねたら おちて しぬぞ。こら! もっと いのちを だいじにしろ」
心理劇のようです。
グラフィックカラー日本の民話4 関東1<茨城・栃木・群馬・埼玉>/研秀出版
秩父の荒川村にあるという即道神社の即道和尚にかかわる伝説です。
なんとも豪快な話で、和尚が六兵衛といったころの話。
鉄瓶の水が湧くまでに武甲山に登って鐘をついてみせると豪語した六兵衛。たしかに武甲山から鐘の音が。 信じられないという村人。
そこで六兵衛は腰に一反の絹をつけて走り出します。すると絹は少しも地面につかず、ヒラヒラと美しくなびきます。
さらに、江戸まではしって、新鮮な魚を手に入れます。
薪割りをたのまれると、山のような薪を頼んだ家の前に。
村人が遠く四国の金刀比羅宮に参拝したおり、この即道和尚にそっくりの人がいたのです。
四国まで走っていったのかもしれません。
また、即道和尚が彫ったという薬師如来像が即道神社にあるといいます。
なかなか奇行の多かったひとのようで、いかめしい感じがしなく親しみがもてます。
メルヘンの深層 歴史が解く童話の謎/森 義信/講談社現代新書/1995年
「ジャックと豆のつる」は、乳をださなくなった牝牛を、市場に売りにいったジャックが、へんなおじいさんにあい、牝牛と豆を交換するところからはじまります。
なぜ牝牛の乳がでなくなったのか、牝牛をそれなりの値段でうれるとふんでいた母親のおもわくをかえりみず、ジャックは、なぜ豆と交換してしまったのか。
搾乳を続け、仔牛を得るためには、種付けをする必要がありますが、この種付け用の牝牛は、ふつう領主が飼育し、それだけの費用をはらわなわければならなかったといいます。ジャックの家には、これを支払うだけの余力がなかったようです。
もう一つは豆。
中世の三圃農法では豆が輪作になかにとりいれられ、豆科の空中窒素固定機能をうまく利用して、地味を保つ工夫がされていたといいます。たかが豆と思いがちですが、豆類の生産のもつ意味は大きかったようです。
当時の豆の重要性を考えると、牛と交換したというのも意味があります。
一方で10ポンドには売れると考えた母親ですが、まだ物々交換があったこともうかがい知れます。
またジャックが仕事をさがしても、雇ってくれる人がいないというのも、当時の若者がおかれた状況でしょうか。
昔話の歴史的背景を考えると楽しみが増すのではないでしょうか。
パセリともみの木/ルドウイッヒ・ベーメルマンス ふしみ みさを・訳/あすなろ書房/2007年
パセリはパセリなのですが、シカがそうよばれたのにはわけがありました。
シカはパセリが大好きで、毎日やわらかなパセリをたべて元気いっぱい。まごたちにも、ほかの動物にもパセリのことをおしえていました。
シカがそだったのは、崖のそばにがっしりと根をはやしたもみの木の下。葉っぱやこけのやわらかなベッドのうえで、こどももそだてたのです。
シカともみの木は、たがいにたすけあい、なかよくとしをとっていきます。
もみの木がとしをとり、葉がすっかりおちて、ごつごつしたえだがむきだしになっても、シカともみの木は、からだをよせあっていました。
シカがもみの木の下で、成長し、こどもも育てられたのは、がけのそばでそだったもみの木が、がけから吹き付ける風、冬の凍える雪とたたかいながら、ねじまがりながら大きくなったためでした。
森の木は、まっすぐ、すくすくそだつと人間にきりたおされて、家や家具、暖炉の薪などに利用されていきますが、ねじまがったもみの木は、何の役にもたたないと人間の手がつけられていなかったのです。
ところが、ある日、一人の猟師が崖の上で、おいしそうに草を食べるシカをみつけてしまったのです・・・・。
毎ページの左に、野の花の絵がそえられています。その数46。
猟師から手に入れた双眼鏡をのぞきこむシカ。この双眼鏡はもみの木のえだにかけられていました。
もみの木はシカだけではなく、リスやフクロウ、小鳥のあそび場にもなっています。
ゆっくりとしをとっていく、シカともみの木、派手さはないのですが、しみ込んだ味が感じられます。
定本日本の民話10 埼玉・甲斐の民話/根津富夫・編/未来社/1999年初版
都心と埼玉を結ぶ幹線の一つ、東上線高坂の伝説。
霊願寺という古いお寺の掛け軸に描かれた地蔵様にまつわる話です。
田植え時期、猫の手もかりたいほどの忙しさ。
ひとりのじさまが、村の人たちが忙しく働いているのをみて、次の日、このじさまが朝早くから田植えをしていて、どんどん仕事がはかどり、日が高いうちに田植えは終わってしまいます。
村のもんは、この不思議なじいさまに、ごちそうをこしらえて食べてもらいます。
村の衆がじいさまを送っていきますが、じいさまが霊願寺の境内にはいっていくと、急に姿がみえなくなります。
さがしまわってもじいさまの姿がみえないので、地蔵堂にお参りしていこうとなって、お堂の中に目をやると、じさまそっくりのお地蔵様の姿が掛け軸にえがかれていました。
よくみるとお地蔵様の足がはれています。田植えの時に、蛭に吸われたあとでした。
見送りのもんは、このお地蔵さまに親しみを感じて、なんどもなんども頭を下げて帰っていきます。
田植え時の忙しさをあらわす話ですが、高麗川がでてきたり、高麗の新堀がでてきて、沿線にすんでいる者としては親しみを感じる話です。
残念ながら、この地蔵様は秘仏になっており、見たものは少ないといいます。
この話も全国的に広がっていて、田植え手伝ってくれるのは、じさまのほか童子という場合もありますが、いずれもお地蔵さまというのが多いといいます。それだけでなく土地で信仰されている観音や不動などの神仏が登場し、岩手ではオシラさまやオクナイさまの話として語られているという。
埼玉県の民話/日本児童文学者協会編/偕成社/1979年初版
鬼藤内とよばれていた盗賊が、一人娘の菊路を、男手ひとつでそだてていました。
鬼藤内は、黒浜をとおる旅人を弓で射殺しては、金をうばっていました。
菊司はきだてがやさしく、うつくしい娘で、おおきくなると父親の悪事に心をいため悩んでいました。
ある日、鬼藤内が道でまちぶせをしていると、かさをかぶった旅人がやってきます。
すぐに矢を射ると、若者のむねにつきささります。
ところが、かさをとってみると、それは娘の菊路でした。
いくら意見をいっても、父親がいうことをきかないので、菊路がとった最後の手段でした。
罪の深さをさとった鬼藤内は、自分のむねをさし、いきたえます。
村の人がふたりをあわれんで、ねんごろにほうむってやったというのですが、その墓はどこにあるか不明という。
前日、夫の酒飲み運転を阻止しようと、おくさんが子どもと車の前に身を投げ出したニュースがありました。
埼玉県の民話/日本児童文学者協会編/偕成社/1979年初版
比企丘陵のはずれにある松山城の伝説。
この地の人が、こうじを買わなくなった由来話。
松山城の城主、太田資正は武田信玄、北条氏康の大軍にせめこまれ、上杉謙信にすくいをもとめるが、上杉がくるまで、松山城に籠城します。
城は、高いところなので水に不自由。相手方も城を囲んで、水を絶つ作戦。
ところが、物見の兵が城の様子をうかがっていると、城の中では、水をかけて、馬を洗っています。
いったんしりぞこうとしますが、ほかにも水場があるのか調べることに。
ひとりのさむらいが、草むらを調べていると、ばあさまがしゃがんで、鍋をあらっています。
細い流れですが、この水を城でもつかうのかと、さむらいがたずねると、ばあさまは、いったんは「城のかくし水」とこたえるが、おどされて「城で馬をあらったのは水ではなく、お米ですだ」と答えてしまいます。
騙されそうになった連合軍が、いきりたって城をせめたので、松山城は落城してしまいます。
このおばあさん、こうじ屋であることがわかり、この地の人がこうじを買わなくなります。
この城は、1399年に築城され、2008年に「比企城館跡群」の一つとして国の史跡に指定されているようです。
白米城伝説は、これだけでなく二十五府県に七十九話も伝わっているといいいます。
香川版では、城からでてきた尼が、水がないことを白状し、罪を問われます。
100ぴきのいぬ100のなまえ/チンルン・リー・作絵 きたやまようこ・訳/フレーベル館/2002年初版
最初はわたしと1ぴきのいぬのいえでしたが、いぬは2ひきになり、それからは、わたしと100ひきのいぬのいえ。
”わたし”が、の100ぴきの名前を紹介します。
”もわもわ”からはじまって、さいごは”ゆっくり”。
1000ぴきもいると、さあたいへんたいへん。
ジンジャー、ババロアはまあまあ。
”さっぱり””きっちり””ぺったん””うっかり”。そうくるか。
なかにはギャング。たべものの名前もおおそう。
これだけのいぬ、いろもかたちもさまざま。よくもまあかいたもの。
これだけだとブラッシング、しょくじもたいへん。
100ぴきのなまえをぜんぶよぶのもたいへん。
100のいぬのねどころも個性的です。