どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

グリム「漁師とおかみさん」の翻案、金のさかな(ロシア 絵本)ほか

2023年08月20日 | 昔話(日本・外国)

 欲望がエスカレートし、元の木阿弥にもどる昔話

漁師とおかみさん(グリム童話集 上/佐々木田鶴子・訳/岩波少年文庫2007年初版)

 漁師が助けたカレイ(実は、魔法をかけられた王子)に、おかみさんからいわれて、小さな家に住みたいと願うとそのとおりになります。

 これに満足できないおかみさんは、次に野菜畑も庭もある家に住みたいと願い、これも実現すると、次には、王さまに、皇帝に、法王に、そして最後には神様になりたいというおかみさん。

 さすがに神様になりたいというと、もとの木阿弥にもどるというオチがきいた話。人間の切りのない欲望を皮肉たっぷりに盛り込んだ内容です。


じいさまと小さな鳥(めんどりがやいたパン 中央アジア・シベリアのむかしばなししゅう/小檜山 奮男・訳 宮澤ナツ・画/新読書社/2006年初版)

 ケトのむかしばなし「じいさまと小さな鳥」も同様の話型ですが、森にたきぎをとりにいったじいさまが、小鳥から切り株を取らないでくれと言われ、家にかえった翌日、たきぎがどっさりと家のそばにあります。

 わけを聞いたばあさまは、食べもの、お金持ちのあきんどと、どんどん要求をエスカレートさせていきますが、森の王さまと女王さまになりたいというと、すべてがもとの木阿弥になります。

皇帝になったおじいさん(大人とこどものための世界のむかし話19 ソビエトのむかし話/田中泰子:編訳/偕成社/1991年初版)

 森に薪をとりにいったじいさまが、小鳥から小枝をとらないでくれといわれ、家にかえってみると薪と小枝がどっさりつんでありました。わけを聞いたおばあさんは、小屋をなおしてもらい、役人に、皇帝に、神さまにしてくれるよう要求をエスカレートさせていきますが、最後は、おじいさんが牛に、おばあさんはブタに。


漁師とその妻(定本 日本の民話11 越後の民話/水沢謙一・編/未来社/1999年初版)

 助けた鯛にお願いして、楽して暮らせるようになると、次には立派な家に住めるようなります。ここから少し飛躍するが、お天道さまが東から出て、西にはいるのをあべこべにするよう頼むと、もとの木阿弥に。

 越後版は、お天道さまの件をのぞけば、やや遠慮したところがあるのがほほえましい。


    金のさかな/アレキサンドル・プーシキン・作 ワレーリー・ワシーリエフ・絵 松谷 さやか・訳/偕成社/2003年

 プーシキン(1799年- 1837年)が、民間伝承を研究して書いたといいますが、グリムの「漁師とおかみさん」そのものです。

 おじいさんが33年目にして初めて捕まえた金のさかな。人間のように話します。海に帰してくれるとなんでもお望みの物をさしあげますというのです。けれども、おじいさんは、欲もなく金のさかなを海に放します。

 ところがこれをきいたおばあさんが、はじめは、ささやかな望みが実現すると、次々に欲望をエスカレートさせていきます。

 新しい洗濯桶からはじまって、家、貴族、女王、海の君主とおばあさんの欲望は、どんどん膨らんでいきます。最後には、もとの木阿弥にもどるのですが。

 最後は、もとの土小屋で、二人の前にはこわれた洗濯桶があります。

 「こわれたおけのそばにいる」というのは、ロシアで「もとのもくあみ」ということわざといいます。

 なんとも強欲そうなおばあさんと、人の好いおじいさんが対照的で、雰囲気がよくでています。「金のさかな」が金魚のようにみえるのは、ご愛敬でしょうか。
 海の色が、どんどんかわっていくのが、金のさかなの気持ちを代弁しているようでした。


    きんのさかな/八百板洋子・再話 スズキコージ・絵/福音館書店/こどものとも2023年8月

 マケドニアの昔話とあります。

 かなり遠慮した要求からはじまります。やきたてのパン、洗濯桶、大きなお屋敷、女王様、海の王さま。

 もとのもくあみになると、ふたりは また、毎日 たべる分だけの魚を捕るという つつましい もとのくらしにもどりますと、八百板さんの結末は、余韻を残しておわります。

 スズキコージさんがえがく海の様子、きんのさかなの気持ちでしょう。

 

 明治20年代にはグリムの翻訳がでており、江戸時代にも蘭語で紹介されているようなので、だれかが翻案していても不思議はありません。
 越後の「漁師とその妻」は、編者が直接採集した昔話を記録したものとして紹介されていますが、内容はグリムを翻案した内容のようです。

 活字になってはいないが、川越の昔話にも、翻案のものがあるといいます。(民話伝承の現実/大島 廣志/三弥井書店/2007年初版)。どんな人が翻案したものか興味をそそられます。

 同じくグリムの『死神の名付け親』が、幕末期から明治期にかけて活躍して多数の落語を創作した三遊亭圓朝(初代)の翻案による「死神」という落語になっているようなので、さがせば他にもまだありそうである。

 以前気になった昔話に、「 吹っとび話」があります(かもとりごんべえ ゆかいな昔話50選/稲田和子編/岩波少年文庫/2000年初版)。
 解説には1935年に岩手で聞いた話がもとになっているとありますが、グリムの「六人の大男」の翻案のようです。

 日本の映画がハリウッドでリメイクされたものを見る機会があるが、昔話の場合、翻案はどのような位置づけになるのでしょうか。

 だれかが、時間が経過すれば立派な昔話といっていたので、楽しむというだけなら、あまり気にする必要はないのかも知れません。しかし、翻案しようと思えば、いくらでも可能になるので、何か一線を画す必要もありそうなのですが・・・・。             


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