一昨日、終わりに「あんな最後でしたが、写真家星野道夫がなぜ銃を持たずにアラスカの自然の中に入っていったか、知ってますか」と呟いた。もう少し正確を期すなら、「持って行かなくなった」とすべきだったろう。初めのころは、彼の荷物にもライフルが含まれていたからだ。それが「銃で自分を守れるという気持ちが、自然の中でいろいろなことを忘れさせていた。不安、恐れ、謙虚さ、そして自然に対する畏怖のようなものだ(「アラスカ 光と風」福音館書店)」と書いている。
雪崩対策用に開発された器具が登山者やスキーヤーの間で使われ出したことは知っていた。そうした安全対策を一概に否定するつもりはない。岩登りの際に使うロープも、実際に墜落を止めてくれるかは別にして、あるとないとでは精神的な安心感は比較にならないことをよく知っている。それでも、こういうふうにどんどんと安全のために登山のありかたが変わっていくのを、単純には喜ぶことができない。登山は歩くという肉体運動に加え、それにも劣らない精神的な面での魅力が大きい。それに、効果のある調味料のように、安全とは矛盾する危険が密かに人を呼び寄せることだってある。トップ・ロープで確保されて、人工の壁だけを攀じていては分からない世界がある。しかしだからこそ、大いなる自然に対する「謙虚さ」も湧いてくるのではないか。「危険を甘受するのだ」と言った人もいたではないか。
それと最近、登山がやたら商業化し過ぎてはいないかという反撥心があって、ヘルメットや雪崩対策用のビーコンの発生器などにもそれを感ずる。新雪の表層雪崩ならまだしも、春の湿気を含んだ全層雪崩では遭難者の遺体発見には役立っても、それを装備していた本人のためにどこまで救いになってくれるかは分からない。
今年ももうすぐ終わるのだから、お前もここに登場させてもらい、挨拶をしろ。HALは12歳、この冬も雪の法華道を連れていくには、少々気掛かりではある。寒さに強いはずの川上犬がこの頃はよく震えている。
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