Photo by Ume氏
昨日のこと、5時少し前だったがカーテンを閉めようとして外を見たら、雪が激しく降っていた。久しぶりの雪降りに驚き、それを口実にして一度閉めたカーテンまた開けて、雪見酒と洒落てみることにした。いつもなら5時に夕食の支度を始めるから、酒を飲み始めるのも普段よりか少し早くなる。雪を言い訳にしたわけだ。
ところが、その雪は呆気なく止んでしまった。止んでしまったが、と言って早めの夕飯の用意はできてしまったから、そのまま寒々とした冬空を眺めながら貰い物の越後の銘酒を口に含んだ。同じ越後でも、普段飲んでいる酒より辛口だなどと思いながら、炬燵の傍に読みかけの本が目に付いた。
悲劇の英雄、源予州(義経)はまだ31歳で、その妻22歳と4歳の娘、それぞれを殺した後に自害したとある。遠く陸奥の国、衣川館における壮烈な最期は有名でも、妻子を伴い下っていったとは知らなかった。源頼朝の命の他に勅命までが下っていたとは・・・、雪の止んだ灰色の空が哀れを誘った。
上の写真は昨年の1月12日に撮ったもので、昨日の東部支所の所長が撮った写真と比べれば(PHの大きさは縮尺できなかっただけ、念のため)、どれほど雪の量が違うかが分かると思う。この時はご覧のように車で難なく上まで行っている。
この小屋、なぜか昨秋映画関係者の目に留まり、撮影場所に使われた。公開は今年の年末ぐらいになるようで、そのころには詳しいことを呟ける。
牧場が撮影現場になることはよくあっても小屋の、それも中が撮影場所になるなどということは初めてだった。この時も撮影終了後の片付けは夜中まで及んだが、それでも出演者、撮影関係者ともども、いい雰囲気で終えることができた。
薪割の撮影場面で某俳優が失敗ばかりするので、それを教える側として、「運動神経がよくないんじゃないの」なんて言わずもがなのことを口にした。すると「いやー、そうなんだよね」という言葉が返ってきて、その素直さに笑った。結構名の知れた芸人だと聞いたが、親しみのある人物だった。
里の暮らしも早や2か月近くが経つ。まだ炬燵の囚われ人であることに甘んじているが、時々鮮やかな新緑が始まったあの丘、大きな青い空、牛の姿などを思い浮かべることがある。
北原のお師匠、Umeさんも、ご自愛専一に。本日はこの辺で。