一昨日と昨日の内容が続かず、話が中途になってしまった。横岳峠を越す道がなぜ発達しなかったのかという理由について、地形的なことを挙げてみたが、昔の人たちはもっと困難な場所にも道を通し、深い山中にも暮らしを立てた。下栗の里の落人説からしても、地形は重要な要件だが、それ以外の理由があったかもしれないと新たな疑問が湧いてきた。
しかし今はこれ以上詮索しない。現地をしっかり見るまで、もう少し頭の片隅にしまっておくことにしたい。
山川草木鳥獣と星、と決めていたのに徒に空想の山中を彷徨し・・・、この時期おいそれと横岳峠には行けないが、平家の落人と言われている「浦」ならばと出掛けてみた。
西高東低の完全な冬型の気圧配置で、西山(中央アルプス)は雪雲に隠れていた。かつての高遠町も長谷村も10年ほど前までは独立した行政区であったのに、人口減少などの理由により今では伊那市に合併されてしまった。美和ダムの冷たい水の色、いつ来ても続いている湖の上流にある浚渫工事、そんな風景を眺めながらの久しぶりの浦だった。
車でなら近くの杉島の集落からそれほど遠いとも思わないが、それでも辺鄙であることは間違いない。今ではすっかり廃屋が目立ち、住人にしてもどういう人たちが暮らしているのか、元々住んでいた人とは縁のない人たちかも知れない。
目当てにしていた一軒の古い家の写真を撮った。築何年になるのか、それがきょうの1枚目。それから小松家の墓所に行って2枚目を撮った。記憶の中の墓石が思いの外新しく見えて驚いた。誰か来て、少しは手を入れたのかも知れないが、そこに至る周囲の様子はそれとは逆に、また一段と荒廃が目立ち、廃墟化が進んでしまっていた。そのうち、ここが平家に繫がる落人の隠れ里だったということも、忘れられてしまうのではないかと、そんなことを思いながら足早に立ち去った。
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