数日後、姉からメールが届いた。
やっぱり、告知した方がいいと思えてきたと。
そのとき、即座に「告知はしないって決めたじゃない。
負けないから、みんなで力をあわせて頑張ろう」
と返事をした。
私はいろいろな人に、自分だったら、本当のことを知りたいかとたずねた。
あんなに一度は固まったはずの思いが又揺らぎ始めた。
主治医から母への説明があるまでの1週間。
わたしたちは、真実を知りながらもそれを隠さなければならなかった。
母が家にいるため、
家では泣くことすらできないのだ。
辛い気持ちを誰かに聞いてもらいたくても、電話もできない。
私は、再び主治医を尋ねた。
そして、セカンドオピニオンのための書類をそろえて欲しいことと、
告知すべきかどうか悩んでいることを伝えた。
今後、化学療法を始めるとうそを突き通すのが難しいこと。
本人が真実を知りたがっていること。
そして、画像を見せてもらった。
「この肝臓の状態では、高熱がでていてもおかしくはない。
元気なことが奇跡です」と主治医は言った。
悲しいが、認めざるをえないほどの状態だった。
うそは突き通せないと思った。
主治医からは、まずは現実を家族が受け入れることが大切だと言われた。
そして、家族と母への説明がある前日に、告知するかどうかを先生に連絡することにした。
この気持ちのまま家には帰れない。
母の顔を見ることはできない。
私は、友人に連絡をした。
そして、偶然にも話の流れで
母の希望通り、海に散骨ができることを知った。
思いがかなえられるんだ。
そう思ったら、太陽の日に照らされ、輝く海が脳裏に浮かび
私は何かひとつ乗り越えた。
その日、久しぶりに眠ることができる気がした。
人間ってやっぱり強いんだな。
この悲しみも乗り越えられるんだ。
翌日、水泳のレッスンにでた。
気分を変えてみよう。
家にずっといるのも変だ。
体が疲れればよく眠れるかもしれない。
だが違った。
泳ぐと苦しくなってくる。
母はこんなに苦しんで死んでしまうのか?
何かを乗り越えたと思えた私の心は、
またもろい砂山のように壊れてしまった。
カーラジオのついた車の駐車場で私は大声で泣いた。