海老名市に 温故館という なかなか素敵な名前の郷土資料館があると聞いて 行ってみました
海老名には 奈良時代に 相模国分寺・国分尼寺が建立されていて 歴史の古い地域です
その国分寺跡の近くに 温故館があります

大正7年 (1918)に建てられた 海老名村役場庁舎を改修・移築したものだそうです
地域の考古・歴史・民俗資料を収集し 保存・展示しています
外で写真を撮っていたら 中から職員の方が出てきて「ご案内しましょう」と言ってくださいました
興味があったのは 3世紀の古墳 秋葉山古墳です
海老名市の 標高が最も高い場所(標高84.6m)にある古墳です
秋葉山古墳から見る 西を流れる 相模川の眺めは 素晴らしいのですよ!
邪馬台国の卑弥呼の時代の ちょっと後くらいに ここ海老名にも立派な古墳ができていたのです
3世紀頃の古墳といったら 関西地域だけかと 思っていましたが
東日本にも 古墳が造られていたと知って 驚きました
その 秋葉山古墳の出土品も展示されてていて 詳しい説明も聞かせていただきました
国分寺の跡は 礎石だけが 残っているそうです
ここは 塔跡です 公園のようになっていて 小さい子が遊んでいました

その他いろいろな資料ももらってきました
その中に 横須賀水道の資料もありました 短い文なので 以下に転記します
えびなむかしばなし 横須賀水道と海老名
横須賀水道は、愛川町と横須賀市を結ぶ 全長53kmのk上水道で、大正15年に全面完成しました。
市内は、上郷から海老名耕地を横切り、大谷の台地を上り、綾瀬市へとぬけています。
当時の日本海軍は、世界列強との軍艦の建鑑競争に躍起となっていました。
この軍艦を造っている横須賀海軍工廠では、スクリュー軸の冷却水や焼き入れに必要な良質の水が不足し、
また艦艇出航の際に積載する飲料水も、横須賀市民との配分に苦慮していました。
そこで海軍省は、良質の水を大量に供給できる水源地を 愛川町の半原に求め、半原と横須賀を結ぶ直線を、県央に一本「グイ!」と引きました。
それが横須賀海軍水道で、現在の横須賀水道です。
「水道みち」とも呼ばれています。
時を移さず測量が始まり、あとは山も川も野も池もおかまいなしで、
お宮もお寺もそこのけそこのけで、墓地も史跡も踏みつぶしての突貫工事でした。
相模川を渡る水道橋も、有鹿神社裏の水の勢いの激しい場所で、
しかも川幅の特に広い場所を避けもせずに無理やりおし切ってしまいました。
以上 子ども向けの資料でしたが かなり グサッと言い切っていて 胸がすきます
資料が整っているので 海老名市は 歩きがいがあります
その点 我が市は そういう面での 研究が不足しているみたいな気がします
もう少し涼しくなったら また歩きたいと思います
近くに美味しい蕎麦屋があると聞いてきましたが 残念ながら 定休日でした
海老名には 奈良時代に 相模国分寺・国分尼寺が建立されていて 歴史の古い地域です
その国分寺跡の近くに 温故館があります

大正7年 (1918)に建てられた 海老名村役場庁舎を改修・移築したものだそうです
地域の考古・歴史・民俗資料を収集し 保存・展示しています
外で写真を撮っていたら 中から職員の方が出てきて「ご案内しましょう」と言ってくださいました
興味があったのは 3世紀の古墳 秋葉山古墳です
海老名市の 標高が最も高い場所(標高84.6m)にある古墳です
秋葉山古墳から見る 西を流れる 相模川の眺めは 素晴らしいのですよ!
邪馬台国の卑弥呼の時代の ちょっと後くらいに ここ海老名にも立派な古墳ができていたのです
3世紀頃の古墳といったら 関西地域だけかと 思っていましたが
東日本にも 古墳が造られていたと知って 驚きました
その 秋葉山古墳の出土品も展示されてていて 詳しい説明も聞かせていただきました
国分寺の跡は 礎石だけが 残っているそうです
ここは 塔跡です 公園のようになっていて 小さい子が遊んでいました

その他いろいろな資料ももらってきました
その中に 横須賀水道の資料もありました 短い文なので 以下に転記します
えびなむかしばなし 横須賀水道と海老名
横須賀水道は、愛川町と横須賀市を結ぶ 全長53kmのk上水道で、大正15年に全面完成しました。
市内は、上郷から海老名耕地を横切り、大谷の台地を上り、綾瀬市へとぬけています。
当時の日本海軍は、世界列強との軍艦の建鑑競争に躍起となっていました。
この軍艦を造っている横須賀海軍工廠では、スクリュー軸の冷却水や焼き入れに必要な良質の水が不足し、
また艦艇出航の際に積載する飲料水も、横須賀市民との配分に苦慮していました。
そこで海軍省は、良質の水を大量に供給できる水源地を 愛川町の半原に求め、半原と横須賀を結ぶ直線を、県央に一本「グイ!」と引きました。
それが横須賀海軍水道で、現在の横須賀水道です。
「水道みち」とも呼ばれています。
時を移さず測量が始まり、あとは山も川も野も池もおかまいなしで、
お宮もお寺もそこのけそこのけで、墓地も史跡も踏みつぶしての突貫工事でした。
相模川を渡る水道橋も、有鹿神社裏の水の勢いの激しい場所で、
しかも川幅の特に広い場所を避けもせずに無理やりおし切ってしまいました。
以上 子ども向けの資料でしたが かなり グサッと言い切っていて 胸がすきます
資料が整っているので 海老名市は 歩きがいがあります
その点 我が市は そういう面での 研究が不足しているみたいな気がします
もう少し涼しくなったら また歩きたいと思います
近くに美味しい蕎麦屋があると聞いてきましたが 残念ながら 定休日でした