あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

弁当

2011年12月24日 | 日記
この頃いろいろと人の出入りが多い。
今日は弁当を注文した。
おいしいお弁当だった。

女子会!(?)

2011年12月19日 | 日記
ゴルフ友達3人でふぐ料理屋さんで女子会!
平均年齢約60歳。それを「女子」と言えるのか?
いいの、いいの、言えるんです!

女子のおしゃべりは楽しい!
ご馳走を食べながら笑いが絶えない。

話題が前世占いになった時、「私はどうもフランスにいたことがあるらしいの。名前はフォンテーヌだったらしい」と私が言うと、Nさんは「私はフランスが大好きでフランスに何度も行っていたし、ゴルフを始める前は辞書とにらめっこしてフランス語の勉強をしていたの」と言う。
「じゃあ、私たち、前世でも知り合いだったかもしれないね。」
「あざみさんがフォンテーヌだったら、あとの二人はアデランスかアートネイチャーって名前だったかもしれない」「ねえ、私たち、ゴルフに行った時はこの名前で呼び合わない?アデランスとかフォンテーヌとかアートネイチャーとかって」
そういうたわいない事ばかり言っては大笑い。笑う門には福来る。きっと体にも良いだろう。
とても楽しいひと時だった。
そしてなんとこの豪華ふぐ料理のコースをNさんにご馳走して頂く結果になってしまった。恐縮。

その後、我が家でお茶を出すとき手が震える私の弱点披露。また大笑い。

知的で謙虚で品のある二人。
今まで私があまり知らなかった世界を垣間見る気がする。学ぶことが多い。

幸せな1日。


「幸せと思う時」

2011年12月16日 | 日記
この頃「ああ、幸せ!」と思う時がある。
それは2階の部屋に続く階段をとんとんと上る時。
身軽にとんとんと難なくこの階段を上れる。
そのことがとても幸せなことのように感じる。

いつか老いてこの階段を上るのが困難な時がくるだろう。
でもまだまだ今は元気。
とんとんと階段を軽やかに上ることができる。

こういうささやかなことがとても幸せに思える。

頑張った!

2011年12月14日 | 日記
何事も一気、一気でやるタイプの私が、今回、この切り絵に関してはかなりコツコツと頑張った。
ここは作家「野上弥生子記念館」。写真を撮りに行って構図を考え瓦など1枚1枚を切り抜いていった。
思うように切ることができず、途中で「もうダメだ」とあきらめようとしたり、「もうこれが最後、2度とこういうのには取り組まないぞ」と思ったり・・・
自分の不器用さを嫌と言うほど突き付けられた。
しかしそのうち徐々に開き直りの精神出没。
「まっすぐでない線、不揃いのあちこち。見ようによっては味があるではないか。小学生の作品みたいなところもまた良いではないか。器用な人が端正に作ったものではこういう味は出せないだろう。どうだ。まいったか!」なんて負け惜しみを心の中でつぶやきつつ自己流邁進。
夫や娘からはいつものように「小学生が宿題やってるみたい」と笑われながら、今回は「しらしんけん」頑張った。
これは「勤勉」「根性」「努力」ということが苦手な私にとって本当に珍しい事。

完成した時は手を叩いて喜んだ。これは世界に一つだけの私だけの作品!
思ったより良いのができたではないか!
自己満足!自画自賛のあめあられ!
途中で「切り絵はこれでおしまい」と思ったりしたのだが、途中の苦労をすっかり忘れ、また何か作ってみようかという気持ちがわいてきた。

(追記)小学校6年の時、木版画の授業中、1時間のうちに3度も手を切って先生を困らせた私。
あの版画は完成させることができたのだろうか?たぶん父が作り上げてくれたのではなかろうか?
この版画みたいな切り絵を見ながらそういうことを思い出したりしている。
不器用な私が還暦を越した今、何故こういうことをやっているのか?
人生はわからないものだ。



『絆』

2011年12月13日 | 日記
世相を1字で表す「今年の漢字」が昨日決まった。
京都の清水寺で貫主が揮毫した字は「絆」。
東日本大震災などで家族や仲間との絆の大切さをあらためて認識したことが大きな理由のようだ。

それでふと思い出した。
10数年前、祖母の卒寿のお祝いに「絆」という歌集を作ったことを・・・。

祖母がいて伯父・私の父・二人の叔母がいて、そしてその子ども(わがきょうだいやいとこ達)がいて、その子どもたちがいる。
祖母を中心としたこの絆をありがたく思うと共に大切にしたいという思いを込めて発起人の私が「絆」と本の題名を決めた。
歌集の構成などは私が考え挿絵をいとこにお願いした。
歌集の代金は伯父叔母いとこなどみんなに募った。みんなの「絆」でできた歌集だ。
祖母はそれをとても喜んでくれた。

92歳で逝った祖母。
29歳の若さで夫を亡くし、その後、女手ひとつで4人の子どもを育て、老後は俳画・短歌・謡曲・詩吟・民謡・ちぎり絵などいろいろなことにチャレンジした。
わが祖母ながら素敵な生き方だったと思う。

当時、「絆」の事が新聞に出た。
今日、久しぶりにそれを出して読んでみた。
その最後に「なんでも一生懸命やらなきゃだめ。それが私の信念なんです。向こうみずなのかもしれませんね」と祖母の言葉が書かれていた。

何事もあまり一生懸命やるタイプではない私。ちょっと耳が痛い。
これを祖母の遺言と受け止め、何事ももう少し一生懸命やらなくてはと思ったりした。

世相をあらわす「今年の漢字」から祖母のことなど思い出した今日1日。