ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

太鼓楼

2018-11-28 14:22:19 | 日記 地域
数日前,知人がブログに「お城みたいなお寺」の写真を載せていました。
直接その知人に聞くと,
姫路市勝原区下太田の真宗大谷派・善徳寺とのことでした。
早速,行ってみると,
なるほど,確かにお城のように見えます。

『歴史と景観の待ち網干を歩く』によると,
善徳寺は応永年間(1400年頃)開基,
現在の場所に移ったのは,慶長年間(1596~1615年)だそうです。
そして,この建物は,「太鼓楼」・・・ということがわかりました。

じゃあ,「太鼓楼」って何?

Wikipediaによると,
鼓楼(ころう)は、中国、日本など東アジア文化圏において、
城郭、都市、宗教施設敷地内などに建てられる、太鼓を設置するための建物。
太鼓を鳴らすことによって、時報や、緊急事態発生の伝達などの役割を果たした。
太鼓楼(たいころう)などと称する場合もある。

「緊急事態発生の伝達」?

ほかに,近くに太鼓楼はないかしら?
さらに調べると,

亀山本徳寺にも太鼓楼があるということがわかり,
11月23日,行ってきました。


亀山本徳寺のホームページによると,
この太鼓楼自体は,本徳寺資料によると,建設年代は天正八年(1580年)だそうですが,
「英賀時代、太鼓楼は地内町の随所に置かれ24時間体制で見張りが立てられた。
 中世においては、寺と門徒は運命共同体として地内町を形成し、
 外敵の侵攻に対して盤石の体制をとっていた。」

亀山本徳寺は,もとは,英賀御堂,本徳寺です。
秀吉に解体,移転させられました。
大河ドラマ「軍師 官兵衛」にも出てきましたが,
英賀は秀吉ー官兵衛への対抗勢力,一向一揆の拠点の一つです。

もちろん,江戸時代以降の太鼓楼は,「緊急事態発生の伝達」には使われていないでしょう。
でも,太鼓楼は,今も浄土真宗のお寺の伽藍を形成しているそうです。

いかに,浄土真宗が播磨において盛んだったか・・・
現在のお寺の数を見ても分かります。
前出の『歴史と景観の待ち網干を歩く』に載っている
広義の網干地区(網干区・大津区・余部区・勝原区)39の寺院のうち,

浄土真宗本願寺派・・・19寺院
真宗大谷派・・・・・・ 5寺院
真宗佛光寺派・・・・・ 1寺院
浄土宗西山禅林寺派・・ 5寺院
臨済宗妙心寺派・・・・ 6寺院
東寺真言宗・・・・・・ 1寺院
真言宗高野山派・・・・ 1寺院
真言宗御室派・・・・・ 1寺院

ビックリです。



PS.朝日新聞より
 平安時代の貴族、藤原道長(966~1027)が
「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と詠んでから
ちょうど1千年後の満月が23日夕、昇った。
 栄華を極めた藤原氏の時代は移り変わったが、
望月はなお欠けることなく地上を照らし続けている。

 平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」や
道長自身の日記によると、
道長はこの歌を寛仁2(1018)年10月16日に詠んだ。
 兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅(たけし)館長が調べると、
この日は確かに満月だったという。
 今年の旧暦10月16日は11月23日だ。

ということで,家の2階から月の写真を撮りました。
ガラケーですが,きれいに撮れました。
コメント
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