ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

どう読む?安政地震についての史料(PS.直下型地震,南海トラフ地震:気象庁ホームページより)

2018-05-17 14:09:24 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
(はっきり言って,私の独り言のようなものです,このブログ。すみません。)

寺脇弘光『兵庫県南部大地震と山崎断層』(1995年)にも
安政地震(南海トラフによる地震)の記述がありました。
震度は播磨の海岸部で震度5程度,
内陸部も,活断層地帯では震度5,その他の地域は震度4程度。
津波に関しては,赤穂での記述のみで,他は見あたらなかった,とのこと。

以前,同じ著者が,『兵庫県地震災害史 古地震から阪神・淡路大震災まで』で
「網干は震度6強~6弱」と書いていました。(1999年)

その根拠となる史料
『網干町史』に載っていた史料です。(大庄屋日記)
省略しながら,現代語もまじえて書きます。

11月4日大地震,朝五ツ時(午前8時)より凡一時ばかり,
古今まれなる大地震。
翌5日四ツ半(11時)にまたまた大地震。
本町南側永念寺(今もあります。浄土真宗本願寺派)借家,龍野屋伊助宅うち倒れ,
外に壁瓦ずれた家が「侭有之」。
翌6日7日時々震える。
家の中にいるものは一人もない。
明屋敷(建物のない宅地)広処は小屋かけ致し,
船持は船に当時の入用道具ものを持ち運び,
小屋へ同様入用のものを持ち運ぶ。
両三日も家内は打ち捨て,
野宿同様之事にあわれ至極之事に候。

しかし,被害状況は,

座敷打倒一,納屋同ニ,湯屋同一,壁づれ三

が,塩浜大損じ,
龍野藩に見分願い

御運上銀三ヶ年半,御免被仰付難有存候。

そして,

浜は無事なところがなく,普請するにも入用の差し繰りができない。
荒れ浜になる。
・・・
普請入用手当として,
米20石拝借を嘆願奉り候。
尤も,5か年限り返上可仕候。


ということは,

内閣府防災情報のページ「1854 安政東海地震・安政南海地震」の
「古文書記載からの震度の推定」
に記載されている基準だと,
震度6弱・・・潰家6~20%。大規模な斜面崩壊,複数の横死者の発生,
       大規模な亀裂,樹木の転倒,大規模な液状化。

に網干が当てはまるのでしょうか?


ほかに今のところ網干に関する史料が見つかっていません。
(私は見つけていません。)
当時,同じ網干の余子浜(幕府領)廻船問屋をしていた加藤氏が書いた文書
(網干古文書学習会編集)には,
他の地域の地震とかの記述はあるのに,
安政地震の網干の記述がのっていません。
(たまたまとりあげられていないのかもしれませんが)


私の調査&独り言は,今日はここまで


PS.参考までに・・・
気象庁ホームページより

①直下型地震
 一般的に「直下型地震」は、都市部などの直下で発生する地震で、大きな被害をもたらすものを指すことが多いようですが、「直下型地震」に地震学上の明確な定義はありません。

 陸域で発生する浅い地震の規模は、海溝付近で発生する巨大地震に比べて小さいことが多いのですが、地震が発生する場所が浅いために直上では揺れが大きくなりやすく、そこに人が住んでいた場合は、マグニチュード6~7程度でも大きな被害をもたらすことがあります。

②南海トラフ地震
 駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側の海域及び土佐湾を経て日向灘沖までのフィリピン海プレート及びユーラシアプレートが接する海底の溝状の地形を形成する区域を「南海トラフ」といいます。

 この南海トラフ沿いのプレート境界を震源とする大規模な地震が「南海トラフ地震」です。南海トラフ地震は、おおむね100~150年間隔で繰り返し発生していますが、その発生間隔にはばらつきがあり、震源域の広がり方には多様性があることが知られています。

 昭和東南海地震及び昭和南海地震が起きてから70年以上が経過しており、南海トラフにおける次の大規模地震の切迫性が高まってきています。

①にあたるのが,安政江戸地震で,②にあたるのが,安政東海地震,安政南海地震です。





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