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ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

BSプレミアム:二条城

2017-01-20 14:09:21 | 日記 テレビ
1月7日の「ザ・プレミアム「二条城 ~戦国から太平へ~」をやっと見ました。

「歴史秘話ヒストリア」のあさひさん,「英雄たちの選択」の磯田さん,
「趣味どきっ! 国宝に会いに行く」の橋本麻里さん,
そして,「真田丸」の石田三成役の山本耕史さん,
解説に登場するのは,
「趣味どきっ! お城へ行こう!」の千田先生(奈良大学)ほか
という豪華メンバー!!
すごいメンバーをそろえて・・・と思う間もなく,ひきつけられました。

二条城を紹介します。

車寄(くるまよせ)・・公家の牛車も入れます。
遠侍(とおざむらい)・虎の絵で威圧します。
式台(しきだい)・・・老中などが取次ぎをします。
           松の木の絵は途中で途切れません。松は徳川の象徴。

二条城は家康が将軍を賜るために作られた城です。
1602年つくり始め,たった1年で完成させます。
そして,1603年,家康は征夷大将軍になります。

二条城の図面を書いたり,(図面というものはこのころからできたそうです。)
監督をしたのは中井清正,側近中の側近と言われたそうです。
当時は建築ラッシュ
もともと奈良の法隆寺あたりの宮大工,
先祖は武士だったようですが,主君が戦に敗れ,大工になったそうです。
よっぽどしっかり人々を束ねないと,1年で完成させられません。
麻里さんは「絵師は,速く図面回して!って言っていたでしょうね。」と言っていました。
障壁画は狩野派。3600枚を超えるそうです。

今はない天守ですが,
千田先生によると
大和郡山から移した可能性があるということでした。
大和郡山は秀吉の弟・秀長の居城だったところ。
政治的意図を感じる・・・と。

そして,二条城は,3代将軍家光の時,後水尾天皇をお迎えすることになります。
天皇の横で控えるのは,家光と大御所秀忠,
関白よりも上の席で

番組はこの時代まででしたが,
大政奉還の舞台となったのも二条城ですよね。
今年は神戸開港150年ですが,
大政奉還150年でもあるんですよね。


話はテレビに戻って,
「二条城」は永久保存版ですね。
そういえば,去年だったかな?「江戸城」も見たような・・・。
こっちは記憶が薄いです。


年末年始,いい番組が多すぎて,まだ追い付いていません。

BSプレミアムの「ザ・プロファイラー」の北斎もよかったです。
今日は,「ぶらぶら美術博物館」予約しています。
(江戸東京博物館「戦国時代展」~信長・謙信・信玄 戦国スターのお宝大集結!~ です。)
ぶらぶらと歴史秘話ヒストリアが同時間なのが困りますね。(今日はぶらぶら予約)
そして,2月からの趣味どきっ!火曜日は
「中村獅童の いざ歌舞伎へ」のようです。

PS.「ぶらぶら美術博物館」でも,二条城をやっていました。
 2月17日「ぶらぶら美術・博物館スペシャル」
  大政奉還150周年!京都・特別公開目白押しの冬旅!
そこでは,二条城の障壁画は3代将軍家光の時,
御水尾天皇の行幸があって,
その時にすべて描きかえられた・・・とあり,
家康のころの二条城の障壁画のことはわからない・・・という話でした。

そこで再度,BSプレミアムの「二条城」を見ましたが,
狩野探幽,25歳の時の作品・・・とは言っていましたが,
この番組が重点を置いていた家康による二条城の時の絵ではないことがわからなかったように思います。

ちなみに探幽はWik.によると1602年生まれ
探幽の障壁画は明らかに家光の時のものです。  (3月2日追記)
コメント (4)
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文化財は不可侵;「美術家たちの太平洋戦争 日本の文化財はこうして守られた」

2017-01-10 14:35:57 | 日記 テレビ
太平洋戦争中は文化財を守るために様々な人が努力していたのだろうということは想像がつきます。

でも,戦後になって,文化財が賠償のために使われていたかもしれない,ということは知らなかったし,ビックリしました。


BSプレミアムはよく見ても,
普段,BS1をほとんど見たことがない私ですが,
主人が「おもしろそうな番組がある」とテレビ欄から見つけました。

1月8日日曜日,ちょうど大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時間,
大河を見ずに,のめりこみました。


太平洋戦争中,アメリカ人ウォーナーは,敗戦国の文化財を守ろうというモニュメントメンの一人でした。
この組織は,日本に限らず,ドイツの文化財なども守るために活躍しています。(映画にもなっているそうです。)
ウォーナーはもともと日本で勉強したり,
ボストン美術館の日本のコーナーの責任者だったりした人です。
(そうです,去年神戸市立博物館で見た「国貞・国芳」はボストン美術館の所蔵です。)
ウォーナーは,日本の文化財を守るべく,
守るべき文化財リストを作りました。京都31か所,奈良15か所など全国で137か所ありました。
それを陸軍に提示します。

日本の寺院も努力します。
興福寺は阿修羅像などを奈良県南部の民家に疎開させます。
(すでに,国鉄奈良駅のあたりは,空襲がありました。)
法隆寺は信仰か文化財かで悩み,
もしもの時は,仏像といっしょに池に飛び込む覚悟をしていたそうです。
結局,ウォーナーのリストの8割が空襲の被害を免れました。


戦争が終わりやれやれ・・・ではありません。
今度は,文化財を賠償に使おうという話が出てきます。
ただ,当時としては当たり前で,文化財の略奪もあったようです。

当時の中華民国政府は,「360万点の文化財が戦争の被害にあった,代わりに文化財で賠償を
同種類・同価値のものを・・・」と言い,
オランダなども賛成したそうです。

しかし,ウォーナーの孫弟子,リー(GHQの美術記念課)は
「文化財は不可侵だ」とし,
日本を元気にしたい,そう思うのなら,直近の戦争より,ずっと以前の文化だ
とのことで,活動しました。

文化財は今までは上流階級のものでした。
正倉院の宝物を賠償に差し出してはどうかという意見もある中,
正倉院展を開きました。
たくさんの人々が正倉院展に訪れるのを見て,
極東委員会側も
文化財賠償をという案を廃案にしたそうです。(1949年)


だらだらと長々と書きましたが,
私が4年前に見た阿修羅も
学生時代に行った正倉院展も
ついこの前に行った東寺や西本願寺も(これはたぶん・・・ですが)
こうして守られたのですね。

いろんなたくさんの人々の努力に感謝しながら,
今年も寺院や美術館・博物館に行って,
仏像や絵画を楽しんできます。
ありがとうございました。


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戦国のへ~ほ~ 素朴な疑問を解決!

2017-01-05 14:49:25 | 日記 テレビ
1月3日NHKテレビ
「戦国のへ~ほ~ 素朴な疑問を解決!」
おもしろかったですね~!

信長の年収は今のお金に換算して770億!
日雇いの兵は1日米1升お金に直すと1万円!

「今川義元殿」とは言いません。武将を名で呼ぶのは無礼です。官職で呼びます。

槍はつくものではありません。叩くものです。

やり・弓・鉄砲が主流で,刀は首を取る時だけです。

などなど・・・

戦のあとの黒鍬者
戦に負け,死んだ者が出てきて,たたられないよう,
勝った側は丁重に葬るのです。それが黒鍬者のお仕事


おもに「雑兵物語」という本から
話すは「真田丸」の時代考証に関わった黒田基樹先生!


番組の終わり近くにオランダに残る史料を紹介。

東南アジアに行って,傭兵になり,
そのうち鎖国により帰ってこれなくなった人もいるのです。
山田長政もその一人だそうですが,
150年も戦いが続いた日本人は優秀な戦力。
東南アジアでのヨーロッパ諸国の勢力争いで活躍できたとか・・・。
ちょっとむなしいと思うのは,
現代人だからでしょうか。
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BSプレミアム「昭和の選択:市川房枝」

2016-12-17 10:10:17 | 日記 テレビ
私が高校3年の時ですね。
参議院議員で全国区トップ当選(イメージです。本当は落選した時もあります。)の市川房枝が亡くなりました。

高校の日本史の勉強で,
「平塚らいてうとともに,女性の地位向上のために,また,婦人参政権獲得のために一生をささげた女性」
というイメージを私は持っていました。
かっこいい!と感じ,あこがれました。

私の勉強不足でした。

市川房枝も時代に流され,
戦時中,「婦選のためにある程度の協力」をし,
「自由主義的・個人主義的生活態度を清算して,国民的・奉公的態度に転換しなければなりません。」
(ホームグラフ昭和15年9月号)
という人になっていたのですね。
婦選のためなら・・・

そして,
昭和18年,女性の徴用に強制力をつけるように働きかけたのが市川房枝でした。
女性の地位向上,能力を認めさせる,
そのためですが,
結果的には戦争に協力していたのです。


戦後,しばらく公職追放となりました。
戦争協力者ですから。

ただ,やっぱり女性のために頑張ったこと,政治の浄化のために力を注いだことには変わりないと思います。

今回の昭和の選択は,
自分の勉強不足を痛感しました。

次回,今度は「英雄たちの選択」ですが,
瑛太・・・いえ,小松帯刀です。
(大河ドラマ「篤姫」はおもしろかったですね。それこそ強い女性という感じで,スカッとしましたね。
 もちろんこの「篤姫」像も大河ドラマの篤姫であって,そんな面ばかりではないのでしょうね。)


ちょっと早いですが、
2016年しめくくり
今年は,国芳と妖怪の年だったような気がします。

でも,今年の古文書といえば,
網干・大覚寺の信長・秀吉・家康の禁制だと思います。

2017年
歴博では1月28日から「特別展 人間国宝 桂米朝とその時代」が始まります。
桂米朝は姫路出身,そして,先輩です,高校の。(桂米朝は前身の旧制中学ですが。)
とても楽しみにしています。


では,よいお年を




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趣味どきっ!も,大河ドラマも,井伊直虎ですか?

2016-12-14 11:17:12 | 日記 テレビ
趣味どきっ!の火曜放送シリーズは「姫旅」

私が歴史熱再燃のきっかけは
JMOOCの本郷和人先生の「日本中世の自由と平等」でした。
その本郷先生とあって,どう出てくるかと思ったのですが,
JMOOCの時と違い,
一般受けするバラエティーのような番組でした。

JMOOCの時は,
「歴史には証拠がいる。
それが史料であり,またその史料が本当に正しいのか裏を取る必要がある。」
というようなことをおっしゃっていました。

今回の趣味どきっ!
第1回の井伊直虎に限って言えば,
その証拠が足りない気がするのです。

出てくる史料は「井伊家伝記」ほか少し
主に「井伊家伝記」に頼ているようですが,
その史料は大丈夫ですか?
江戸時代に言い伝えをもとに井伊家に都合のいいように書かれたものではないですか?
と思ってしまいます。

大河ドラマはドラマですからねぇ。
創作・・・ですけど,ある程度は・・・と思うのです。

よく知らずに疑っているだけです。
すみません。

でも,私が高校生の時に歴史を好きになったきっかけの1つは
大河ドラマであり,
戦国時代の女性について書いた本でした。
それと,歴史小説とか・・・。

「草燃える」とか,永井路子とか,司馬遼太郎とか

こんなふうに文句を書いておきながら,
昨日の趣味どきっ!
今日,お昼ご飯を食べながら見ます。
きっと,大河ドラマ「おんな城主 直虎」も見るんでしょうね,私。

この前の「真田丸」よかったなあ。
もちろん,ドラマとしてですが
きりさん,大好き!
後藤又兵衛,死んじゃった~!
あの古文書がなかったら,後藤又兵衛に興味なかったんだけどね,きっと。


PS.「「おんな城主直虎」は男だった? 大河主人公に新史料」
12月15日朝日新聞朝刊
昨日,上のブログを書きました。
今日,新聞を見てびっくり!
やっぱり
「歴史には証拠がいる。
それが史料であり,またその史料が本当に正しいのか裏を取る必要がある。」ですよね。

柴咲コウさん,気の毒・・・。 
(12月15日 追記)
コメント (5)
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