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ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

ぶらぶら美術博物館:ヴェルサイユ宮殿企画監修「マリー・アントワネット展」

2016-11-26 14:41:42 | 日記 テレビ
昨日の「ぶらぶら美術博物館」
ヴェルサイユ宮殿企画監修「マリー・アントワネット展」~悲劇の王妃が愛した美術品でたどる波乱の生涯~

いつものようにお昼ご飯を食べながら,昨日のテレビ番組を見ました。

いつも東京なんですね。
せめて神戸か大阪に来たらいいのに。

私,「ベルばら世代」です!
ヴェルサイユもマリーアントワネットも名前を聞いただけでテンションあがります!


家には,図録が2冊
「華麗なる宮廷 ヴェルサイユ展 太陽王ルイ14世からマリー=アントワネットまで」(2002年)
「ナポレオンとヴェルサイユ展」
(こちらは,2005~2006年と書いていました。)
どちらも神戸市立博物館です。

マリーアントワネットの部屋はどちらかの展覧会で見ました。覚えています。

でも,アントワネットがフェルゼンにあてた暗号のラブレターは見たことがありません。(たぶん)
昨年解読されたとか・・・。
見たいです。
ベルばら世代には,たまりません。

ぶらぶら山田五郎さんが
「フェルゼンはハンサムなんだよ。でもねえ,画家に恵まれなかったんだねえ。」とフェルゼンの肖像画。
確かに・・・イメージと違う・・・。
五郎さんもベルばらのフェルゼンを出してきて,
「だって,これだもん。」って感じのことを言っていました。

今,うちの前の家の子の泣き声が聞こえます。
「はよ,行きた~い!!」

はい,私は「マリーアントワネット展」に行きたいです。


PS.「行きたい」ばかりで,内容のないブログでしたね,読み返してみると。
というわけで,追記します。

①寵姫制度
たとえば,アントワネットがルイ16世に嫁いだころ,
ルイ15世にはデュバリー夫人という寵姫がいました。
寵姫は王妃とは別に,寵愛された人の中でも1番の人で,ベルばらにもあったように,貴族たちがまず挨拶に行く女性です。
派手なことは寵姫がします。
ですから,憎まれ役にもなるわけです。
「国王や王妃は悪くない,悪いのは寵姫だ。」となるわけです。
しかし,ルイ16世には寵姫がいません。王妃のアントワネットだけなので,
アントワネットが王妃と寵姫の役回りをするのです。
ですから,革命前には,アントワネットが悪いと集中することになりました。

②アントワネットの衣装代年間今のお金で15億円。
10年後には30億円になったそうです。
しかし,ルイ16世には寵姫がいませんから,1人分で済むわけです。
2人のことを思えば,当時では多すぎることはないそうですが,財政が傾いていた時だったので,やり玉にあがったのでしょう,とのことでした。

③首飾り事件
詳しい内容は省きます。(ベルばらを知らない方,すみません。)
事件になった首飾りはダイヤ550個もあり,
首飾りは今のお金で200億円にもなるそうです。

④ギロチン
革命のころまでは斧とかで処刑されていたそうです。
なかなか1回では死にきれなくて,苦しまなければなりません。
「人道的」ということで,国民公会でギロチンがいいと決まり,ルイ16世も「それがいい」ということになったそうです。
ギロチンは残酷ではなく,人道的なんだそうです。


アントワネットとそのエピソードを書きましたが,
今はフランス革命はどう評価されているのでしょうか。
私が学生の頃は,まだ史的唯物論とか,マルクスとか言っていた時代ですから・・・。
「ここまで変わった日本史教科書」を読むと,
一揆とかの考え方は大きく変わっています。
「フランス革命」に対する考え方も大きく変わっているんでしょうね。
(11月28日追記)
コメント (2)
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春日大社の大鎧:「趣味どきっ!・国宝に会いに行くⅡ」「ぶらぶら美術・博物館」

2016-11-17 13:07:15 | 日記 テレビ
春日大社は第60次式年造替が終わり,新しく塗り替えられました。

先週金曜日のぶらぶら美術・博物館では,「大人の修学旅行」と題し,銀閣,春日大社などが紹介されていました。

春日大社の国宝殿
「春日大社には,国宝352点・重要文化財971点あります。」と,学芸員さん。
すごい数ですね。

入り口の鼉太鼓(だだいこ)は源頼朝奉納と伝えられているそうです。
(展示はレプリカ,祭りにも使うそうです。)
そして,源義経奉納と伝えられる「赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)」
装飾のすごいことすごいこと
すずめは98羽,99羽かもしれない・・・と学芸員さん。数えたそうです。
トラが描かれているのですが,
ぶらぶらの山田五郎さんたちは「トラのひげ!」「穴空いてる」「金属線が出てるよ」「トラは見たことないんだろ」などなど。

ほかの大鎧や太刀なども紹介されていました。


そして,今日,今週火曜日の「趣味どきっ!」を見ると,
なんと同じく春日大社の「赤糸威大鎧」が紹介されています。
解説はなんとぶらぶらで出てきた学芸員さん。
でも,こちらの方が学芸員さんも真面目そう。
(けっして,ぶらぶらではいい加減というのではありません。
 ぶらぶらの方がメンバーが言いたい放題で面白いから,学芸員さんも気持ちがゆったり?!?
 いや,私の考えすぎかもしれません。)
「赤糸威大鎧」は14世紀鎌倉時代って・・・え?義経は12世紀のうちに死んでいませんか?
この謎はよくわかりません。
言い伝えは言い伝えなのでしょうか?

ほか,ぶらぶらでは出てこなかった大鎧や
国立歴史民俗博物館の変わり兜も紹介されていました。
(国立歴史民俗博物館のことを「歴博」というそうですが,
 私がよく言っている「歴博」は「兵庫県立歴史博物館」です。)

次回のぶらぶら美術・博物館は2016年11月25日,
ヴェルサイユ宮殿企画監修「マリー・アントワネット展」
~悲劇の王妃が愛した美術品でたどる波乱の生涯~ です。

次回の「趣味どきっ!国宝に会いに行くⅡ」は来週火曜日,東京国立博物館です。

もちろん,どっちも見ますよ!
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銅鐸(「国宝に会いに行くⅡ・神戸市立博物館国宝桜ヶ丘銅鐸)

2016-11-02 14:36:36 | 日記 テレビ
昨日の趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」をさっき,見ました。

荒神谷遺跡の銅剣が発見されたときは,私は大学生でした。
今でもびっくりしたのを覚えています。

私が中学の時は,
銅鐸文化圏と銅剣文化圏があったような記憶があります。(ちょっとあいまいです。間違っていたらすみません。)
近畿地方は銅鐸文化圏でした。

私が大学生の時,この前「国芳・国貞」を見てきた神戸市立博物館ができました。
その神戸市立博物館で,神戸市灘区の桜ヶ丘で見つかった銅鐸を見ました。
今回の放送の加茂岩倉遺跡の銅鐸のように,
トンボやシカ,米をつく人間の絵が描かれていました。

荒神谷で銅鐸も発見され,加茂岩倉遺跡で大量の銅鐸が発見され,
銅鐸文化圏なんて,いまや過去の話です。

次々と発掘され,新しい史料も見つかり,
歴史はどんどん変わるのです。

今,
『ここまで変わった日本史教科書』(吉川弘文館)を読んでいます。
ショックの連発です。

歴史も,日本史教科書もどんどん変わるのです。

古文書もこの本についても,また後日。

次回の「国宝に会いに行くⅡ」は我ら兵庫県,歴博にも10分の1模型がある小野の浄土寺です。
ちょっとテンションがあがります。
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国宝絵画には,背景がある。;国宝に会いに行くⅡ

2016-10-13 10:16:10 | 日記 テレビ
怖ろしい・・・。
絵画のことはわかりませんが,狩野永徳と長谷川等伯の美術界での権力闘争。

時代は,秀吉のころ。
新しく力を伸ばしてきた等伯の仕事を永徳は潰すんですね。
もちろん等伯も,ここまでのし上がるまでに,利休らに近づいています。
この争いは,1590年の永徳の死により終止符が打たれます。

バックで流れていた
竹中直人主演の大河ドラマ「秀吉」のテーマ曲が印象的でした。

趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」次も楽しみにしています。
コメント (2)
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趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」

2016-10-05 13:47:06 | 日記 テレビ
昨日から,
趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」が始まりました。
Ⅰの方は見ていません。
その頃は,趣味どきっ!を知りませんでした。
本当に残念です。

趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」の第1回を見て,まずそう思いました。

さて,その第1回は「超ハイテク! 法隆寺・五重塔と元興寺・五重小塔」です。

法隆寺の五重塔の当時としては超ハイテクな耐震。
でも,塔は雷には弱いとか・・・。

元興寺の五重小塔には,ビックリしました。
宝物館の中に入っている小さな塔です。
普通の塔と違って,上から見ることもできます。
(小さいと言っても,ミニチュアではありません。大きな仏像ぐらいの大きさです。)
奈良時代,全国に国分寺がつくられました。
この五重小塔は,その五重塔をつくるための模型見本,基本の型だそうです。
大工さんたちがやってきて,塔の作り方を勉強するのだそうです。

そして,東大寺
今はありませんが,もともとは,七重塔(東塔・西塔)があったそうです。
東塔は,創建時は,100メートルともいわれる高さがあったそうです。
(現在は,67~68メートルか70メートル前後という説が有力になっているそうですが。)
(ちなみに,この頃,奈良には,大小100ぐらいの塔があったそうです。)
でも,源平合戦で焼失。
その後も,再建されたり,焼失したり,・・・。


あれっ?
今日の新聞・・・。

10月5日:朝日新聞
「東大寺東塔平氏焼き打ち跡?  遺構,黒く焦げ石材倒れ」
詳しくは,朝日新聞デジタルをご覧ください。
8日午前10時~午後3時に現地説明会が行われるそうです。

PS.2017年1月3日の「歴史秘話ヒストリア」でも,東大寺の七重塔をやっていました。
「平氏焼き打ちのあと」以降の発掘調査が分かります。
100メートルの高さで支えるために一番下に裳階(もこし)がついていた,という説や,
やはり70メートルという説が出ていましたが,結論はまだ出ていません。
あの「歴史秘話ヒストリア」は保存版です。
(2017年1月11日)
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