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愛の国から幸福へ(2023北海道no16)

2023-08-09 | 北海道

 朝湯をいただいた。こんな時間になればもう誰もいません。「モール泉」アイヌの人たちから「薬の沼」と言われていたといい「北海道遺跡」に登録されているという。「モール」とはドイツ語で亜炭などを含む泥炭のことで、地中の亜炭層を通って湧出する温泉をモール泉という。コーラ色と言えばいいのか、お肌ツルツル、すごく薬効ありと思われるような気分にさせてくれる。モール泉は現在全国各地にあるそうですが、発祥の地はここ十勝だといいます。

 

 朝ごはんはおひとり様席でいただいた。外の緑もきれい気分よし。

 

 やはり「でっかいどう」薄い色の畑は麦でしょうか。

馬鈴薯かな、ビートかな

 今日のスタートは幸福駅から。まだまだその人気は続いているらしい。この村は「幸震」と呼んでいたようですが、この地に福井県の人たちの入植が多かったことから、「幸」の字と「福」の字を取って「幸福」の地名が生まれたとのことです。

 これは2011年(平成23)に訪ねた時の写真。外壁にまで「幸福」を願ってであろう張り紙がいっぱいでしたが・・・この駅舎2013年に修復を行い新しい駅舎(前の写真)に生まれ変わったとのこと。

 このとき(2011)は「幸福駅」に行く前に、ここ「愛国駅」にも寄っているのでした。「幸福行きを二枚ください 今度の汽車で出発します 別々に生まれて育った二人が 不思議な出会いで結ばれた・・・」なんて歌った芹洋子の「愛の国から幸福へ」が大ヒット。

 愛国駅の前にはこんなに大きな切符が。このときから12年を経過したいま、存在しているかどうかは知りませんが。この切符が1972年(昭和47)には7枚しか売れなかったというのに、1973年(昭和48)は300万枚=6.6億円、最盛期には4年間で1000万枚売れたとも言います。

 これは今日の日の幸福駅。駅舎の中は、ほらこのとおり。

 天井にもいっぱい。こんな高いところへの行為ができる三脚かなんか踏み台があるのでしょうか。

 12年前はこんなに雑然。

 幸福の鐘は全く同じ姿で現存していた。右側の三枚の掲示板、ここには歴史などなどいろいろ書かれていました。幸福駅は旧国鉄広尾線に1956年(昭和31)に開設、1987年(昭和62)廃線。 1973年(昭和48)NHKのテレビ番組『新日本紀行』で『幸福への旅〜帯広〜』として紹介されたのをきっかけに、愛国駅から幸福駅行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズとともに一大ブームになったという。奇しくも1974年(昭和49)芹洋子のあの歌も大ヒット。今では列車の走っていないこの駅、周りは畑だけというこの地が、帯広市の観光名所として年間20万人もの人たちがやってくるのだといいます。

 2011年の写真、結婚式を後刻に控えているという前撮りさんがいらっしゃった。お嬢さんは日本語が話せて、少々おしゃべりを。はるばる香港からですって。

 

 彼女のカメラで、お二人さんを何枚か写してあげてから、私も仲間に入っちゃった。写真はいいもの、懐かしい思い出です。このお二人さん「しあわせ」な日々を送っていることでしょう。なんたって日本にまで来ての前撮り写真なんだから。

 2006年からその選定が始まったという「恋人の聖地」は、2021年現在で長野県と静岡県が9か所で一番多いらしい。ちなみに北海道は4か所、愛国駅と幸福駅は併せて1か所だよとカウントされていた。

 

 駅前のお土産屋さん。きっぷも売っていた。希望するの日付を打ち込んでくれるのかな、私は購入しなかったので分かりません。この大型切符は裏面に願い事など書いて駅舎にベタベタ貼られていたあの切符だ。

 「今日の切符売ってます」「お誕生日きっぷできます」なんていってお客さんを誘っていましたが、結婚記念日切符もたぶん作ってくれるでしょうね。

 駅ホームには廃線となったこの鉄道を走っていたディーゼルカーが展示されていた。

 タバコの吸い殻入れが外されていて、シートは使用感たっぷりだ。

 ディーゼル車が2台。ここは現在「幸福交通公園」として管理されているそうです。

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