村上春樹氏が、きのうの講演会で、今度の作品について語ったことのなかに、非リアリズムの部分がなくてリアリズム
の部分で書いたのは、自分にとって実験・・・と語ったことばをネットで読んだ。
わたしはこの小説を読み終わった日にフェイスブックに書いたけれど、非現実と現実の世界を違和感なく行き来するのが
村上作品のおもしろさだけれど、今回は非現実部分があまりなくなったと記した。
たぶん、村上氏は実験と言っているけれど、彼のなかで現実の方が重たくなってきたのではないかと思う。
それは年齢もあるし、今の日本の現実(原発事故後の)もあるし、世界の状況も関係しているだろうか。
負の状況の現実がその人のなかで容量を占領していく時、人はたぶんそれに押しつぶされそうになりながら
生きていくだろう。
そこから飛躍できことができたらしあわせでもあるのだけれど、負荷というのは、身体にも心にも
ストレスをかける。
そういう自分をもっと外側から冷静に見ることができる能力を小説家は保持しているのだろうけれど。
それでも村上氏の内側で、現実は重たくなっていったことを感じる。
村上作品で、わたしが一番好きなのが「ねじまき鳥クロニコル」・・・すごくおもしろかった。
たぶん、この作品は村上作品の転機になったような気がする。
イスラエルでの受賞の言葉も印象的だった。
「もし正しくなくてもわたしは強固な壁ではなく卵の側に立ちたい」と彼は言った。
弱くて、小さな存在の側に立って作品をつくることが小説でも詩でもだいじなことだと私も思う。
連休明け、少し忙しい。
またあたふたと日常に舞い戻った。
の部分で書いたのは、自分にとって実験・・・と語ったことばをネットで読んだ。
わたしはこの小説を読み終わった日にフェイスブックに書いたけれど、非現実と現実の世界を違和感なく行き来するのが
村上作品のおもしろさだけれど、今回は非現実部分があまりなくなったと記した。
たぶん、村上氏は実験と言っているけれど、彼のなかで現実の方が重たくなってきたのではないかと思う。
それは年齢もあるし、今の日本の現実(原発事故後の)もあるし、世界の状況も関係しているだろうか。
負の状況の現実がその人のなかで容量を占領していく時、人はたぶんそれに押しつぶされそうになりながら
生きていくだろう。
そこから飛躍できことができたらしあわせでもあるのだけれど、負荷というのは、身体にも心にも
ストレスをかける。
そういう自分をもっと外側から冷静に見ることができる能力を小説家は保持しているのだろうけれど。
それでも村上氏の内側で、現実は重たくなっていったことを感じる。
村上作品で、わたしが一番好きなのが「ねじまき鳥クロニコル」・・・すごくおもしろかった。
たぶん、この作品は村上作品の転機になったような気がする。
イスラエルでの受賞の言葉も印象的だった。
「もし正しくなくてもわたしは強固な壁ではなく卵の側に立ちたい」と彼は言った。
弱くて、小さな存在の側に立って作品をつくることが小説でも詩でもだいじなことだと私も思う。
連休明け、少し忙しい。
またあたふたと日常に舞い戻った。