片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

2/11 ハバナ最後の日

2016-02-24 14:48:27 | 2016 キューバ自転車旅

宿近くの市場、品数が少ない。


相当の年代物だ。T型フォードより前か?


  朝8時の朝食を済ませて外出、昨日のホテルのカフェテリアでネットに繋いでみる。
やはり状況は変わらない。
諦めて町歩きに出る。


ハバナ大学正門。



商店。


商店。

  海岸通りより内側の路地を歩く。
やはり廃屋のつながりに見えるがちゃんと人が住んでいるところが多い。
革命以後本格的補修はされていないようだ。


ボロボロの建物群。


海岸通りの高層建築の病院。


  前回見掛けた社会主義国らしい陰気な高層ビルは病院だった。
中にはホテルのロビーの様なソファーの並んだ待合室があった。
内部はきれいに整備されているように見えた。
外側のメンテナンスまでは手が回らないのだろう。


病院の待合。


  前回見ることのできなかった博物館が今日は開館している。
旧大頭領官邸だった革命博物館ではボートグランマ号のすぐ近くまで寄ることが出来た。
展示物は参加した人の写真や戦況の移り変わりなどだが、全てスペイン語だけでよく理解できない。
それでも熱心に眺めいっている人が多い。
キューバ人にとって未だ聖地なのだろう。
世界中の社会主義国の失敗や停滞の中でもこの体制しか知らなければそうかも知れない。


玄関脇に掲げられたカストロの肖像画。

  その後、旧総督官邸などを回り、最後はラム酒ハバナクラブ博物館に入る。
館内にはラム酒製造のジオラマなどが展示されている。
見学の最後でラム酒の7年物の試飲ができる。
カクテルには3年物までを使い、5年以上はストレートで味わうという。
娘のところへ土産として10年物を買った。
7年が17CUC 、 10年は40、15年は150
という値段設定だ。
自分の分は金が足りないので諦めた。
10年以上は、キューバ以外で販売されているのは中国、ロシア、日本だけだと私の顔を見ていう。
今後アメリカの需要が大きくなるので様変わりすると言っていた。

今回のキューバの旅で初めて日本が恋しくなった。
理由はやはりこの欠乏だろうと思う。
情報も物も。
いわゆる”商品”が少なすぎる。
食べ物の選択肢も少ない。
アジアだったらここの十分の一の価格でもっと豊富な食事ができる。
特に日本は世界一食事のバリエーションが豊富だと思う。
しみじみと日本に生まれた幸運に感謝する。
例え西洋人に卑下されようとも。
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2/10 ヴァラデーロ→ハバナ

2016-02-22 08:36:53 | 2016 キューバ自転車旅

世話になった宿。

  ハバナ行きのバスは午後2時なのでそれまでこのリゾートを散策する。
ここは細長く30キロほどの島だ。
幅は狭いところで百メートル程かもしれない。
両側が海なのでついどの方向に向かっているのか判らなくなる。
ただ、外海は波が高く、内海は穏やかだ。


この日は風が強く、海も波立っていて誰も遊んでいない。


馬車に注意の交通標識。


ゴルフ場もある。


革命前に百万ドルで建築されたというデュポン家の別荘。

かつてアメリカの富豪達のヴィラや高級ホテルが林立していたところだ。
今でもキューバの中では綺麗に修復された場所だ。
新しい建設も進められている。
またアメリカ人が大挙して押し掛けるのを期待しているのだろう。
デュポン家の別荘で一休みした。
三階にバーが有り、波の荒い外海と波静かな内海を共に眺めながらダイキリを呑む。


ダイキリには少し涼しすぎたかもしれない。
島の両側の海が見える。


12時開店前に入店した。

  昼は宿近くに戻り、中華の店に入った。
私だけの店に日本人カップルが隣の席に着いた。
レゲエの音楽家でサキスフォーン奏者だと名乗った。
ハバナにレコーディングしにきたそうだ。
キューバのミュージシャンはみなさんたいへん上手のようだ。
国家がその教育に力を入れているらしい。
医者の養成にもたいへん力を入れていて、海外へ援助で派遣されている数は相当大きいらしい。
レコーディングで共演するミュージシャンのギャラもたいへん安いといっていた。
1日拘束でUSD30ほどだという。
不通の勤め人の月収が5・6千円だというのだからそれでも高額になるのだろう。

彼らの住まいは東京赤羽、私はよく板橋で呑むと言うと、来たときは連絡してくれと親しげだ。
楽器店の社長で、そちらが本職の様だ。
ネットで調べ、ライヴがあったら聞きに行ってみようと思う。


ハバナへの車窓から油井が見えた。キューバは産油国だったかしら?

バスは時間通りだった。
自転車の料金は2CUC 払った。
5CUC だったり3CUC だったり、基準がよく判らない。
ハバナ旧市街に4時半到着。
新市街のCP に向かう。
日本留学経験のある主人の宿だ。
やはり彼が窓口で他の宿へ回る。


宿に向かう海岸通りは波が高く、片側の車線は車がない。
独りで悠然と走行できた。


宿は2階、そのベランダから。


宿の美人姉妹の写真。大分昔のものだろう。


部屋は広い。

  夕食をとりに出る。
近くに大きなホテルがあり、その前の公園でWifi が繋がる。
座り込んでスマフォを操っている男にカードの売場を訊ねると、近くにいる男を指差す。
まるで薬の売人の様にバッグからカードを出す。
ETECSA で買うのと同じカードが同じ値段だ。
ホテルのカフェテリアで受信できるので、ハンバーガーを食べながら繋ぐ。
遅いのと時々切れるので苛つく。
とてもブログに写真を取り込めない。
ニュースをチェックするぐらいだ。
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2/8 トリニダー→シエンフエゴス 80キロ

2016-02-20 06:02:52 | 2016 キューバ自転車旅

宿の主人夫婦と、働いているのは奥さんだけに見える。亭主は何もしていない。

  朝食が8時というのを7時半にしてもらい、8時過ぎに宿を発った。
セニョーラとMさんに見送られての出発となった。
シエンフエゴスへは暫く海岸線に沿って進む。


紺碧の海が見えてきた。

  1日休養しているのでペダルも快調だ。
それに、陽射しは変わらないが空気は少し熱を少なくしている。
走りやすい。
昼頃には50キロ以上走って、宿で作ってきたサンドウイッチと途中で購ったバナナで昼食を取った。
シエンフエゴスへの道は、トリニダーに入る道よりも整備されていた。
路面も比較的良好であった。
途中の海辺には波静かな小さな入り江がいくつもあった。
こんな誰もいない入り江で数日を過ごすことができたら素敵だろうと思う。


河口が入り江になっている。

  シエンフエゴスには3時前に着いた。
紹介された宿のアドレスを地図で確かめていると、自転車の青年が寄ってきた。
アドレスを見て、連れてゆくという。
彼の後ろを走って、確かに宿に着いた。
すると彼はこれが仕事だからチップをくれという。
20ペソクバーナやく百円を渡すと、グラシャスといって去っていった。

  紹介された宿に行くと案の定、妹の宿へ連れていくと言われた。
シンジケートができている。
朝夕食付きで40CUCなので、ホテルの方が安かったかもしれない。
最初だけ英語の上手な旦那らしいのが対応してくれたが、その後は英語の話せないセニョーラだけなのでコミュニケーションこ苦労した。

  ここシエンフエゴスはフランス人が築いた町だそうだ。
ガイドブックではその面影が残ると記されているが、まだ判らない。
明日以降の予定を決めるのに気をとられる。
10日にはハバナに入り、翌日最後の日は見残した博物館などを見学したい。
しかし、9・10と自転車で走ったのではハバナに到着出来ない。
そこでバスを使うことにした。
明日はハバナから近い海岸リゾート、ヴァラデーロまでバスで行く。
かつてアメリカ資本のホテルやカジノで賑わっていたところだ。
翌日もバスでハバナに向かう。
バスとハバナの宿まで決めた。
ヴァラデーロの宿はまだ決まっていない。
夕食時この宿がCP を紹介してくれるという。


宿の前は海、深い入り江の最奥になる。

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2/9 シエンフエゴス→ヴァラデーロ

2016-02-20 06:00:06 | 2016 キューバ自転車旅

冬で花は少ない季節だが幾種類か咲いている。 


小さな船着き場のロープ掛け。
時代が出ている。


誰が乗るのかヨットハーバーもある。 


磯釣りをしていた男のバケツ、大きなワタリガニが入っている。
美味いぞと自慢して見せた。 

  バスが出るのが午後4時40分、それまでどう時間を潰すか。
町をふらついて2時間、WIFI で2時間と考えていたら、今日はWifi のカードを販売しないという。
古い劇場を覗いたり、商店を冷やかす。


観光地として整備が進められている。


一瞬ドキッとさせられた木、公園の一角で見つけた。


何時も南側で陽にさらされる左腕、日焼けがひどい。


気根が伸びて主幹が見えなくなっている。

  商店は繁華街に並んでいるが、ほとんど同じ商品を並べている。
中国製の家電品と衣類、靴、プラスティックの家庭用品など限られたものだけだ。
そのなかでどこの店にも置いてあるのがアルコール類だ。
ラム酒だけでなくスコッチやワインもある。
スコッチは日本での三倍以上の価格だ。
それでも国民が多くアルコールを消費するということなのか。


どこか寂しいバスターミナル。


彼の顔はどこでもよく見る。


待合室でなぜか日本紹介の番組が流れていた。

午後3時頃長距離バスヴィアスールのターミナルへ行く。
昨日購入したのは予約券で今日乗車券に代えた。
自転車を預け、待合室にいると私の次に自転車を預けていた白人の女性が前に座り話し掛けてきた。
フランス人で旦那さんは日本人だという。
日本語はほんの片言なので英語で話す。
機械のエンジニアで休暇をとり2週間の旅行だそうだ。
赤ちゃんは旦那に預けて来ている。
旦那とはイタリア旅行中に知り合ったとのこと。
フランス人らしい細身のキュートなサンドラさんだった。


ベージュの帽子が彼女。

バスは時間通り9時にヴァラデーロに着いた。
頼んでいた宿の若夫婦が自転車で迎えに来てくれていた。
中庭付きの広い部屋だった。
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2/7 トリニダー滞在(改)

2016-02-17 21:37:08 | 2016 キューバ自転車旅

修道院を改造した革命博物館。

  トリニダーは16世紀初めに開かれた古い町。
サトウキビプランテーションと奴隷貿易で栄えたという。
世界遺産に登録されている。
ここには連泊することにして、1日街を歩き回る。


旧市街は石畳の路地が続く。


旧市街だけでなく町全体に新しい建物は少ない。


革命博物館のチェ・ゲバラの写真。主要な町には革命博物館があるようだ。


外国人観光客だろうか、珍しく可憐な少女を見た。


宿の正面。


宿の裏庭、食事はここで。

  町全体が博物館のようだ。
レストラン、カフェが洗練されている。
昨夜の夕食も美味かったが、昼食も美味かった。
ここしばらくは食事前にはダイキリをオーダーすることが多い。
ラム酒とライムジュースをシェイクするカクテルだ。
特に、それをクラッシュアイスを満たしたグラスで供されるフローズンダイキリは何時までも冷たさを維持でき、ゆっくり飲むには最適だ。
ラムとライムのカクテルをソーダで割り、ミントの葉をつめたグラスで供されるのがモヒート、これは砂糖が入れられている。
しかし、これも暑い時期に飲むと疲れが癒される。

  Mさんに教えられたのが、Wi-Fi接続についてだ。
少し大きな町の公園で多くの人がスマートフォンを操っているという。
そこだけでWi-Fiがつながるらしいというものだ。
確かにマヨール広場に行くと、多くの人が操っていた。
Wi-Fi接続に設定すると受信マークが表示された。
しかし、IDとPWの入力が必要だ。
隣の人に聞くと、目の前にあるETECSAのオフィスでカードを売っているという。
入り口ドア前に列ができている。
並んでカードを3CUCで購入する。
1時間分らしい。
繋がった。
しかし、受信状況はあまり芳しくない。
キューバ最初のハバナ滞在1日目をアップするだけで精一杯だった。
特に写真の取り込みに手間取った。

  午後宿に戻るとMさんは戻っていて、昼寝中だった。
目覚めた後はまたおしゃべりだ。
彼は65歳の時、平均寿命の80歳まで15年生きるとして、この15年間にやることをリストアップして、年次別計画を作ってあるそうだ。
いわゆるバケット・リスト(Backet List 棺桶リスト 死ぬまでにやっておきたいことの一覧)を作ったということだ。
さすがデザイナーだ。
私もやってみたいことのリストを作り順番まで考えてみようかという気に、少しなった。




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