片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

12/21 京都3

2009-12-21 19:52:40 | 旧満州 2009
 朝早めに宿を出て、岡崎から黒谷に上がり、真如堂から吉田山へ廻る。
真如堂にはよく来たことがあるが、吉田山は1・2回ぐらいしか登ったことがないような記憶だ。
ただ、当時は自然のままの山にはあまり感動しなかった年齢だった。


黒谷の三重塔。
お墓に囲まれた塔は珍しい。

 10時頃、銀閣寺の横から大文字山、如意ヶ岳に登り始めた。


左大文字。
この大の字の上へ抜けていく。



登山道。かなりゆったり作られている。

大文字の上は風が少し吹いて、汗ばんだ体が冷えて寒かった。


見下ろす京都市街。
左手前の森が黒谷、その右が吉田山。その二つの向こう側が御所の緑。


11時近くになっていたが、このまま同じように銀閣寺に降りるか、山科へ越えるか悩んだ。
昨夜の食事はビールだけでほとんど食べていないし、今朝は小さなパンを2個食べただけなので、このまま山歩きを続けて、ハンガーノックでも起こしてはと不安だった。
しかし結局山科に向かって更に登った。
昔より雑木林の丈が高くなっているように思った。
山科を見下ろすことが出来る所で一休みした。


東山、清水山を挟んで東側に山科の町並みが見える。

再び歩き始めて下り始めると、蹴上方面となんとか不動と案内が出ていた。
蹴上は南禅寺の近くで山科ではないし、真南に当たるので違うだろうと左の道をとる。
何度も歩いたことのある山道だが記憶はあいまいだ。
右手東南の方向に下りる道が出るだろうと思って歩くがなかなか出てこない。
その内、比叡山の案内が出てきて、間違いに気がついた。
もう12時を過ぎていた。
仕方ないのでそのまま歩き続けた。
出てきたところは、滋賀県大津市の比叡平団地と言う山の中の団地だ。
こんな山の中になぜと思うような所だ。
それでも京阪三条へのバスが一時間に1本ある。
しかし、出たばかりで次まで一時間近くあるのでそのまま歩き続けることにした。
団地の外れに食事のできる店があったので、昼食を取った。
食事を終えるとちょうどバスの時間になったので、バスに乗りまた銀閣寺まで戻った。
 下鴨神社に向かうことにした。
ここには森が残っていて、小川が流れていたような気がする。
確かに、糺の森と言う古代からの森が世界遺産の一部に指定されて残っていた。
小川は護岸も何もなくただ大地の窪みを流れていた。


森の中の小川。

 その後はまた御所を通り抜けて三条まで戻った。


御所で見た、珍しい山桜。
腐った松の幹の中で芽吹き、そのまま松の幹の中を育って大きくなった。
後、松が倒れ一緒に倒れたが、接地する幹の何箇所かで根付いたようだ。
今に独立した別個の木になるのではないだろうか。

夕食をと思ったが何処も飲み屋ばかりで食事だけが出来るところが見つからない。
四条河原町の阪急デパートの上階のレストランで、有機野菜中心のバイキングで食べた。
今回の旅で一番高価な食事になった。
ワイン2杯とで、3,335円。
味は今ひとつだった。
と言うより、もう何を食べてもおいしいとは思わなくなっているのではないかと心配している。
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12/20 京都2

2009-12-20 21:01:48 | 旧満州 2009
 完全にセンチメンタルモードに入ってしまった。
上海GL の練習は、12時半の今出川烏丸の集合なので、それまでは丸山公園、知恩院、銀閣寺を通って、今出川通り、御所で同志社の前まで行けばいいと歩き始めた。


宿近くの高瀬川。
十分に京都のイメージを現している。

しかし、錦林車庫近くの昔の下宿に寄ってみたら、その当時のプレハブの小屋がそのまま残っていた。


冬は部屋の中が零度まで冷えたプレハブの小屋。

私の住んでいた小屋は、新しいのに建て替えられていたが、25日に会う友人の小屋は40年前のまま残っていた。
40年と言う時間はそれなりの時間だと思う。
北白川通りに出ると、かつて良く利用していた定食屋はシャッターを降ろしていた。
当時、京大の今西先生の研究室にいるらしい若い男が、彼女に、アフリカでのフィールドワークの話をしていたのを羨ましく思いながら聞いていた店だ。
法然院から銀閣寺まで歩き、左大文字に登ってと考えていた。
その後、吉田山、黒谷と通って、鴨川に出てと思っていたがとても時間が足りなくなった。
明日帰るつもりだったが、どっぷりセンチメンタルジャーニーになってしまったので、宿にもう一泊を申し込んだ。
とことんおセンチな気分に浸ろうと思う。


御所に入ってみると、まだ名残の紅葉が残っていた。
この御所の清々としたすがすがしい松の林に覆われた様子を見ると、中国の紫禁城などを見てきた後で、つくづく感性の違いを感じる。
人間生まれ育ったところで美意識が形成されるのだと思った。

これは「思い出の満州旅行」の締めくくりで仕方のないことだと思う。
更に、合唱練習の後、打上で行った店の親父がリクエストだと「上海帰りのリル」か「海ゆかば」を要求、後者を歌った時には涙流れて歌えなくなった。
親父の兄貴も海軍でどこかの海に沈んだらしい。
 今日の練習は京都産業大学のOBの方十数人に応援をお願いして出来た練習だ。


西陣教会での練習。
京産大OBの方のほうが多い。

打上の席で、来年10月3日の合同コンサートの企画が決まってしまった。
そのためには最低月一の練習が必要になる。
こんな風にして、しがらみが増え、さすらいの旅に出にくくなるのかもしれない。

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12/19 日本帰国 京都まで

2009-12-19 23:33:13 | 旧満州 2009
 釜山を18日20:00に出航し、下関に8:00前に着いた。
船室は11人の雑魚寝の部屋で、私以外は4人ぐらいの韓国人2家族。
何のコミニュケーションもなしで朝を迎える。


朝焼けの関門海峡。

 下関駅で青春18キップを購入して、8:42の新山口行に乗る。


雪が降り積もっていた新山口辺り。


冬の日に照らされた瀬戸内海。
こじんまりして、やさしさを感じる景色だ。

以来12時間、大阪近くで人身事故があって少し遅れたが9時近くに宿に入る。
花見小路四条を上がったところで飲み屋街の真ん中だ。
 昨日の分をアップした後、これを書いている。
まだ身体が揺れている。
明日は上海Glの練習件忘年会が今出川である。
ここに二泊する予定だ。
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12/18 釜山2

2009-12-19 23:14:45 | 旧満州 2009
 18日ホテルを9時半ごろチェックアウトして駅からシャトルバスでフェリーターミナルに向かう。



モダンな釜山駅。

荷物を預けて、まず、釜山タワーに登る。
小高い龍頭山公園の上に立っていて、展望台の高さは200m弱。
晴天の空の下周りが良く見渡せた。


国際フェリーターミナルが見える。

町を見下ろすと海に迫った山の斜面まで住宅が建てられている。
海岸に近い中心には高層のビルが林立している。
目の下の真新しいロッテデパートが昨日開店したそうだが、その半分はまだ建設中だ。
建設中の部分は地上120階、高さ500メートルを越すビルが建つそうだ。
目の前にある影島が400m以上あるそうだがこの頂上を越える高さだ。
この十数年、日本が失われた十年とかを過ごしているうちにアジアの国々は弛まず発展を続けていたのだとつくづく思う。
 その後、地下鉄で市庁舎があるもう一つの繁華街、西面へ行く。
ここの地下鉄は切符の販売機に日本語が選択できるので簡単に買える。
もしかしたらソウルでもそうだったのかも知れない。
ここでは、昼食に慶州クッパを食べて少し町を歩いただけで、昔行った事のある海雲台へ行った。


慶州クッパ。
牛肉のスライスがたくさん入って、さっぱりした味だ。
ビールも飲んでW8,000:640円。

ここは今、韓国一のビーチになっているそうで、瀟洒なホテルやマンションが林立している。
二十数年と言う隔絶は大きい。


ビーチの外れの小さな漁港から見た、高層建築群。
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12/17ソウル3

2009-12-17 20:37:45 | 旧満州 2009
 宿を8:30に出て、タクシーでソウル駅に向かった。
ソウル駅はモダンな建物になっていた。
東京駅のようにたくさん歩かなくても、エスカレータ1つで直ぐKTXの待合所に着く。


大きな乗換駅ではないため、9時前なのに人はまばらだ。
発車する列車も一時間に数本だ。

さすが周りにいるサラリーマンやおばさんたちの服装が中国とは大違いだ。
東京よりもドレッシーな人が多いのではないだろうか。
カジュアルな格好が少ない。
 最初の席は通路側、それも窓が半分しかないところだった。
若い女性の二人ずれが前後の窓際に別々だったのを変えてくれと言われて、窓全開の窓際に座れた。
車窓から見る韓国の農村はもう昔の面影はまったくない。
農家の建物も、日本より皆新しい。
また、景色が日本と同じように山がちで、その山も昔の禿山はほとんどなくなっている。
田んぼの大きさや形も日本とよく似ている。
 約3時間の列車の旅だったが、飽きることなく車窓の景色を楽しんだ。


ソウルを出てしばらくすると雪景色になった。
それも直ぐに終わった。


釜山が近くなると、洛東江に沿って走る。
川幅いっぱいに水を湛え、ゆったり流れる様は日本ではあまり見ない。

よく晴れた天気で窓からはほとんどずうっと日差しが差し込んでいて、私のところ以外はブラインドをしているところが多かった。
後ろの席は迷惑だったかもしれない。
 釜山の宿は駅の広場の直ぐ横だ。
ソウルもここ釜山も中心駅が少し町の外れにある。
歩いて、フェリーのターミナルのある西の繁華街南浦洞へ行った。
ここが昔の中心らしい。
ターミナルに続いて魚市場が大きく作られている。
下で魚を選んで二階で食べることが出来る。
生簀の魚は確かに新鮮だが、板に並べられた魚はあまり新鮮には見えなかった。
冷凍も多いようだ。


いけすのタイやヒラメ。

牡蠣の開いたのを並べていたので食べてみた。
開いてから時間が経つのか、大連の海岸で自分で剥いて食べた牡蠣ほどの甘味はない。


5個400円、ぼられた様だ。


タコだけを並べている。
生きたタコが桶から逃げ出しているのもいた。

 明日は早めにホテルを出て、東の新しい町へ行ってみよう。
こっちが先日の火事の現場ではないだろうか。





コメント (4)
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