世話になった宿。
ハバナ行きのバスは午後2時なのでそれまでこのリゾートを散策する。
ここは細長く30キロほどの島だ。
幅は狭いところで百メートル程かもしれない。
両側が海なのでついどの方向に向かっているのか判らなくなる。
ただ、外海は波が高く、内海は穏やかだ。
この日は風が強く、海も波立っていて誰も遊んでいない。
馬車に注意の交通標識。
ゴルフ場もある。
革命前に百万ドルで建築されたというデュポン家の別荘。
かつてアメリカの富豪達のヴィラや高級ホテルが林立していたところだ。
今でもキューバの中では綺麗に修復された場所だ。
新しい建設も進められている。
またアメリカ人が大挙して押し掛けるのを期待しているのだろう。
デュポン家の別荘で一休みした。
三階にバーが有り、波の荒い外海と波静かな内海を共に眺めながらダイキリを呑む。
ダイキリには少し涼しすぎたかもしれない。
島の両側の海が見える。
12時開店前に入店した。
昼は宿近くに戻り、中華の店に入った。
私だけの店に日本人カップルが隣の席に着いた。
レゲエの音楽家でサキスフォーン奏者だと名乗った。
ハバナにレコーディングしにきたそうだ。
キューバのミュージシャンはみなさんたいへん上手のようだ。
国家がその教育に力を入れているらしい。
医者の養成にもたいへん力を入れていて、海外へ援助で派遣されている数は相当大きいらしい。
レコーディングで共演するミュージシャンのギャラもたいへん安いといっていた。
1日拘束でUSD30ほどだという。
不通の勤め人の月収が5・6千円だというのだからそれでも高額になるのだろう。
彼らの住まいは東京赤羽、私はよく板橋で呑むと言うと、来たときは連絡してくれと親しげだ。
楽器店の社長で、そちらが本職の様だ。
ネットで調べ、ライヴがあったら聞きに行ってみようと思う。
ハバナへの車窓から油井が見えた。キューバは産油国だったかしら?
バスは時間通りだった。
自転車の料金は2CUC 払った。
5CUC だったり3CUC だったり、基準がよく判らない。
ハバナ旧市街に4時半到着。
新市街のCP に向かう。
日本留学経験のある主人の宿だ。
やはり彼が窓口で他の宿へ回る。
宿に向かう海岸通りは波が高く、片側の車線は車がない。
独りで悠然と走行できた。
宿は2階、そのベランダから。
宿の美人姉妹の写真。大分昔のものだろう。
部屋は広い。
夕食をとりに出る。
近くに大きなホテルがあり、その前の公園でWifi が繋がる。
座り込んでスマフォを操っている男にカードの売場を訊ねると、近くにいる男を指差す。
まるで薬の売人の様にバッグからカードを出す。
ETECSA で買うのと同じカードが同じ値段だ。
ホテルのカフェテリアで受信できるので、ハンバーガーを食べながら繋ぐ。
遅いのと時々切れるので苛つく。
とてもブログに写真を取り込めない。
ニュースをチェックするぐらいだ。
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