片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

11/26 東京

2015-11-27 15:32:47 | 2015 上海グリーコンサート

東京国立近代美術館と毎日新聞社


25日上海を20時30分発が1時間以上遅れて発った。
羽田には10分程度の遅れで到着した。
26日午前1時半を回っていて、公共交通は動いていない。
タクシーで娘のアパートへ向かった。

娘のところに世話になったのは、一眠りして、近代美術館で開催中の藤田嗣治、全所蔵作品展を観るためだ。
娘の出社するのに着いて、9時半に家を出る。
東京駅でスーツケースを送ってしまい、身軽になって竹橋に向かう。

65歳以上は入館無料だった。
今回の展示は作品の多くが、藤田が戦前日本に帰国した後、海軍などの委嘱で描いた戦争画が中心だ。
彼は20歳台にフランスに渡り、20年近く過ごした。
後半は彼の日本画の素養を生かして作った、女性の肌を表現する乳白色の肌色で有名になった。
また日本画用の面相筆を使った輪郭線も東洋の神秘に見えたようだ。
世界恐慌の後、2年ほど南米などを旅して帰国した。
時代に迎合したのか戦意高揚の絵をたくさん描いた。
これが戦後批判され、日本を離れフランスに戻り、フランス国籍を取得した。
死ぬまで日本には戻らなかった。

今回の戦争画はこれまでも、あまり公開されることのなかった作品が多い。
とくに有名な作品は、「アッツ島玉砕」や「薫空挺隊敵陣に強硬着陸奮闘す」「哈爾哈可畔の戦闘」などだ。
だが「アッツ島・・」などは死屍累々の画面でとても戦意高揚に役立つとも思えない。
確かに死屍は全て敵兵であるアメリカ兵に見えるが、悲惨さが先に来る。
レンブラントやドラクロアなど西洋画の迫力を取り込んだ大作になっている。
絵としての完成度は高いと思う。

戦争画以外も展示されている。
自画像もある。
中でも「五人の裸婦」は乳白色の肌が全てだ。

先々週はオダギリジョーの主演する映画「foujita」を観た。
映画評ではなぜ戦争画を描くことになったのか、またその心情などの解釈表現が不十分だと厳しかったが、私としては映画の中の藤田が感情を抑え、静かに描かれているのが、彼の心情を良く表していたように思えた。

観終わってからは、北の丸公園を通り抜けて、東京駅に向かった。
それほどの観光客もいなくて、静かな雰囲気が楽しめた。
一部では紅葉も見られた。


一本だけ赤く色付いたもみじ。


他にも色付いた木もあるが、全体的にはまだ早いようだった。


大手町の銀杏も色付いたものは少なかった。




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11/24 杭州 2

2015-11-25 07:12:31 | 2015 上海グリーコンサート

西湖湖畔。

 昼少し前から湖畔を北上して白堤を植物園へ向かった。
細かい雨が降っているが傘をさすほどではない。


ポーズを決めて撮影。


帰り咲きの銀モクセイ。


曲院風荷近く。

 北山路から西山路の角近くの昔よく座った茶屋にスターバックスの看板が付いていた。
当時のおばさん達はまだいるのか。
湖畔を外れて、植物園に続く霊隠路に入ると全く観光客がいなくなる。
植物園の入口には人がいないし、料金表も掲げられてはいないので免費になったのかと思い通り抜けようとすると、建物の陰で昼食をとっていた職員に見咎められた。
昔通り10元払った。


裸子植物エリア。


園内作業だからか、ロバに籠を着けて土を運んでいる。

入口から直ぐ左の林に入る。
このエリアは針葉樹など裸子植物が多いので、何時も人気が少ない。
昔もここへ入り込むと喧噪から逃れて自分を取り戻すことができた。
園内では客の少ない冬季を狙ってか、あちこちで改修工事が進められている。
道や建物も整備された後が目立つ。
観光客で潤っているお蔭か。

 雨が激しくなり北門から出た。
浙江大学との間の路地はカフェやらレストラン、ホテルが続く繁華街に変貌している。
雨の滴るテラスでワンタンの昼飯を取ってからタクシーで宿に戻る。


 午後3時過ぎ元運転手の秦さんが迎えに来てくれた。
若い奥さんと人懐っこい娘さんも一緒だ。
市街の北部にある昔の工場近くへ向かう。
高架も下も道路は渋滞だ。


広い道路やショッピングモールが出来て完全に街になっている。

 集落と工場は田園に囲まれていたが、その田園にアパートやモールが林立して綺麗な街地になり、集落や工場が谷間のように古いまま取り残されている。


工場の建物は薄汚れて今も使われている。

この古い部分も早晩再開発される運命だろう。


京杭大運河の川港の倉庫街に作られた新天地。

 夕食は、最近再開発されたという、運河の川港にあるレストランだ。
古い煉瓦造りの工場か倉庫を改装したものだ。
一帯がレストランやショップになっている。


周りを若い人に囲まれて。

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11/23 杭州再訪

2015-11-24 00:15:14 | 2015 上海グリーコンサート

懐かしい西湖。

 先月来日して訪ねてくれたかつての社員から中国に来たら杭州へも回ってくれという誘いで去年の4月以来に再訪した。
上海の紅橋駅から新幹線で1時間だ。
上海の宿から紅橋まで1時間以上かかる。
かつては上海・杭州間は2時間以上かかっていた。
今回杭州の宿は昔から使っていた友好飯店にとった。
私としては高級なホテルだ。
上海の宿の3倍だ。

 昼過ぎに着いた。
夕方迎えに来てくれるというので、それまで西湖湖畔に出てみた。


相変わらず観光客が多い。


朝よく見るダンスだが、夕方だというのに興じる人たち。 

帰りにスーパーカルフールを覗いて土産を物色した。
最近不景気で物価はデフレ気味だとは聞いていたが、8年前よりは上がっている。
上海で食べた蘭州ラーメンが9元、前は5元だった。

 夕方迎えが来て、近くの日本料理屋へ行く。
この店は10年以上前、今回泊まっているホテルの日本料理屋で修行した人が独立して始めた店だ。
昔のアパートの近くで最初の店を出し、次に市中心部で二号店をだすというので、メニューの相談を受けたことがある。

 今回は5人が集まってくれた。
運転手だった人はネット販売の商売に成功しホテルも経営しているそうだ。
彼は日本語が話せないので私の片言の中国語でのコミュニケーションだが明日は彼が懐かしい場所を案内してくれる。
彼は昔運転手として私を乗せて行った場所をよく覚えている。
特に仕事以外で行った、江西省や安徽省などの田舎のことが思い出に残っているようだ。
他の人も社員旅行で行ったところの話で盛り上がった。
私達はそれぞれが中国人・日本人として初めての接触だったが、お互いあまり悪い出会いではなかったようだ。

 今夜の支払いは私がしようとしたが日本のクレジットカードが使えず、また彼等のおごりになってしまった。
明日の晩も食事することになった。


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11/22 上海グリークラブ秋季コンサート

2015-11-23 10:23:28 | 2015 上海グリーコンサート

終演後の記念撮影、フラダンスグループと。

 今回の会場は何時もの練習場東櫻花苑近くの糖橋社区文化センター。
10階建て程のビルに図書館、娯楽室、ジムなどの入っている公民館のホールだ。
2・3百人入るホールが只で借りられたそうだ。
所謂中国の”コネ”によるものらしい。
果たして日本人の集まりだと知っていたか疑問だ。

 今回は混声合唱団の「プラタナス」とフラダンスグループ「PURUMERIA HULA HALAU」に共演していただいた。

 上海グリーの現在の指揮者は東京外語大で学生指揮者だった人でまだ30歳前後だと思う。
大変熱心で丁寧だ。
指導方法も工夫されていて、例えも面白い。
「今のは軽自動車が高速道を走っているようだ」という。
声ばかり大きくても本来の響きがない。
いい指揮者がメンバーに加わったものだ。

 曲目は持ち歌が中心だったが、難しいものが選ばれているので、出来はイマイチだったと思う。
設立からの指揮者N氏も日本から来られていたが、急な仕事が入りステージに立てず、客席で聴いてくれた。
講評もし難そうだった。


フラダンスグループは若い人が多い。

 打ち上げはいつものイタ飯屋で行われた。
共演グループも殆ど参加して50人以上の集まりになった。


いつになく華やいだ席になった。
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11/21 上海

2015-11-22 08:29:21 | 2015 上海グリーコンサート

安宿近くの高級ホテル?。

その内部。

 20日夜家を出て、羽田21日午前2時発の春秋航空で上海に入った。
格安航空で、出来るだけシートの数を増やすため、リクライニングが付いていない。狭く固いシートで3時間眠った。
上海には4時半に到着。
まだ地下鉄もバスも動いていないので、フードコートの座席で仮眠。
世紀公園近くにあるコンベンションエリアの安宿に投宿、まだ8時前だが部屋に入れてくれた。
窓のない部屋、トイレ、シャワーは付いている。

 午後3時から東櫻花苑での練習に参加。
久しぶりの曲が多く戸惑う。
特に中国語の歌詞の発音が思い出せない。

 練習後は近くの飲み屋で有志だけで食事。
隣に座った最年長者の生まれ育ちの話から彼が今日、八十歳の誕生日だということが判った。
みんなから祝福される。
彼はカルカッタ生まれで6歳まで過ごし、その後も外交官の父親に連れられ世界を回って過ごした。
そのせいかご本人もアフリカ数カ国や韓国、中国で今まで暮らしてきている。
中国も25年になるという。

 後半は睡眠不足で眠ってしまった。
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