片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

2/19 帰国

2013-02-20 23:36:17 | フィリピン2013.02

マニラ、アキノ国際空港第一ターミナルの朝焼け

 早朝3時過ぎに起きてシャワーを浴びた。
荷造りをして4時に宿を出た。
支払いは前の晩に済ませてある。
心配したタクシーは宿の門前で1台停まって待っていた。
そのまま乗り込む。
気の良さそうな運転手で、遠慮しながら300ペソで良いかと聞く。
来る時は少し高級なイエロータクシーで600ペソだったので、ジャスト300かと確認した。
このタクシーは一般のホワイトタクシーだ。
そうだと言う。
OKと答えるとうれしそうだった。
よく喋る運転手でうるさいほどだった。
街は既に動き始めていて、バスやタクシーを待つ出勤らしい人が多かった。
空港には30分ほどで着いた。
ホワイトタクシーなら200も掛からなかった距離かもしれない。

 空港では2時間前なのに、ジェットスターのカウンターには長蛇の列ができていた。
列の中には日本人が数人混じっていて、彼らは初対面らしいが、話をしていた。
テレビで外国人が、日本人のおかしなところとして、初対面で先ず年齢を確認し合うと言うのを聞いたことがあるが、彼らはその通り、先ず年齢を言い合っていた。
69歳、71歳、75歳だった。
彼らはいずれもフィリピン人の妻か彼女がいるようだった。
彼らの話題は、何時もはどんな航空会社の便を幾らぐらいで使うのか、何処に何日滞在したのか、奥さんあるいは彼女の家族とどんな付き合いをしているか、それと何かの薬の入手方法、値段と生産国別の効能の違いなどについて、大きな声で話し合っていた。
聞いていて感心したのは、彼らの明るさ、元気のよさだ。
話の中で、帰ったら直ぐ病院に行かなければならないなどと、健康に対する不安を話す人もいたが、それでも幸せそうに見えた。
私も彼らの同類と見られるのかなと思ったが、そんなことを気にする自分の小ささを実感させられる、彼らの大らかさだった。

 離陸すると、少し雲は掛かっていたが地上がよく見えた。

マニラ首都圏の各都市の中心街にそびえる摩天楼。
首都圏はマニラ市、マカティー市などと幾つかの市で構成される。

3時間ほどで成田に着いた。
成田からは京急で品川に出て、在来線で帰った。
全てJRを使うより安くなる。
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2/18 バタンガス

2013-02-18 20:48:35 | フィリピン2013.02

今日のマニラ湾の夕陽。

 夕べも遅くまでブログを書いていたが、やはり宿のWi-Fiが不通になり消えてしまった。
朝、出発前に途中から消えた所を書き直してアップした。
 9時にバスターミナルに着いた。
バタンガス行きがもう停まっていたので乗り込んで、一番前の席に座った。
9時半近くなって発車した。
マニラ市街を抜けるまでは朝の渋滞が酷い。
抜けてからは、高速道路を快調に飛ばす。

郊外に出た頃。
優先席のマークが写っている。

車掌が切符を売りに来る。
千ペソ札を渡すと、待てといってチケットの裏に受け取りをメモした。
最初なのでつり銭がないのだろうと理解した。
しかし、全員への販売を終わって集計し初めても来ない。
その内、最後尾の席に行って寝てしまった。
1時間近く経ってそろそろ着こうかという頃前に戻ってきたので催促した。
それでもまた、待てといってぐずぐずしている。
10分以上経ってやっとつりをよこした。
彼の意図が理解できない。
バスは11時、港に着いた。
ここルソン島からミンドロやネグロスなどの島々への連絡港になっている。
フィリピンでは昔から頻繁にフェリーが沈んで沢山の人が死んでいる。


 バイクタクシーで街に戻る。
彼は、別の運転手との値段交渉で100ペソを断ったのを聞いていて、60で良いといってきた。
街は何処も同じようだ。
ぐるっと一回りして、今度はジプニーでバスターミナルに向かった。
料金は12ペソ。
マニラの看板を出しているバスがいたので乗り込んだ。
来るときとは違う会社だ。

車窓の景色。

料金は100ペソ。
来るときは167ペソだった。
バイクタクシー、ジプニーと比べるとバスは安い。
同じ電車駅の近くに着いた。
また歩いて宿に戻った。

海岸通のホームレスの家。
歩道の敷石を使っている。


 明日の飛行機は6時50分なので、午前4時頃に宿を出なければならない。
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2/17 宿替え。

2013-02-17 21:24:40 | フィリピン2013.02
 寝付いたのが午前3時近くの割りには早い8時に目が覚めた。
メンバーの皆さんはすべてホテルを立たれた頃だ。
シャワーを浴びて朝飯に向かった。
朝食塲でも知った顔はなかった。
チェックアウトは12時なので時間がある。
前日分のブログ書き始めた。
完成して、投稿ボタンを押したら消えてしまった。
Wi-Fiが切れていたのだ。
ここのホテルでは1時間毎に更新しないと切れてしまうのを忘れていた。
がっかりして書き直す気力がなかったのでそのままチェックアウトした。
宿代は1万2千ペソ。
余り安くしてもらってないようだ。
 タクシーで、先日予約しておいたペンション・ナティブダッドへ向かう。
空港へ行く客を乗せようと期待していたのに、市内行きなので頭にきたのか、偉いスピードで飛ばす。
今度の宿はシャワー付き個室で千百ペソだ。J
チェックインして、消えてしまったブログを再度書き直した。
午後2時近かったが、宿の近くで昼食を取った。
その後、明日の郊外へのバス乗り場を確認することも兼ねて町に出た。
バスは少し町外れからでる。
ホテルは歓楽街の外れにあり、前の道路には路上生活の家族がたくさんいる。
子どもは子犬のように泥だらけでじゃれあっている。

 海岸通をぶらぶらと歩きながら行った。
人が多いのは日曜日のせいか。

アメリカの支配下にあったから野球かと思ったが、クリケットをやっていた。

 バスターミナルは高架鉄道の駅の回りにある。
バス会社毎に設置されている。
バスターミナルの雰囲気は世界中何処へ行っても同じだ。
ただ、ここは島国のせいか、中国などの大陸と違って、何十時間という旅ではないので、大荷物を持ってという人は少ない。


 帰り道に大きなショッピングセンターが会ったので入ってみた。
マカティのモダンな超巨大モールではない。
庶民の日常品が売られている。
シャツが50ペソ(120円)程度で売られている。

 宿の近くに戻ってきた時は6時近くだった。
マニラ湾の夕陽を見ようと堤防に座った人が並んでいる。
30分程、海の向こうの半島の陰に沈みながら光のショーを繰り広げてくれた。

 晩飯は路上にテーブルを並べている、屋台に毛の生えたような店で食べた。
並べられた食材を指し示しながら注文する。
港でつり上がっていたイシモチのような魚を揚げて、野菜や豆腐の餡をかけた物とブロッコリーなどの炒め物。
ビールを2本のんで450ペソ。
フィリピン女性を連れた日本人中年男が目につく。


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2/16 第9回アジア日本人男声合唱祭

2013-02-17 09:26:41 | フィリピン2013.02

上海グリークラブのステージ。

 朝食後、ホテルの練習室で声だし練習。
その後、アジ祭会場のサンチャゴホールへバスで移動。
ホールはホテルのすぐ前に道路を挟んで向かい合っている。
しかし、ここに横断歩道がない。
歩道があるのは2百メートル程の交差点なのだが、そこまで歩くのは危険だということでシャトルバスが準備されている。
主催者としてはそこまで用心しなければならないようだ。
ステージで通し練習を終えて、またバスでホテルに戻り昼食を取った。
昼食後は合同曲の全体練習などをして、開演の3時を待った。

 4年ぶりのアジ祭だが、各団が数段上手になっている。
4・5人に減ってしまっていた団が倍以上のメンバー数になっていたりで、多くの団の充実ぶりを感じる。

 我が上海は8団体の5番目の出演だ。
最初の『クラブソング』、『月亮代表我的心』までは練習以上のできだった。
次の『チャー似称的温柔』は本格的な練習をしたことがないので、中国語の発音が難しいところはなかなか舌に乗ってくれない。
次の2曲は日本の歌の中国語版『我は海の子(大海)』『里の秋(又見炊烟)』。
これらは歌いなれている。
歌い終わっての聴衆の拍手が他の団よりも大きく聞こえるのはいつものことだ。
1月の亀井先生の巡回練習の時に、「上海も普通の合唱団になりましたね」と言われた団長はいくらか面目をほどこしたことと思う。

 最後の合同曲は2百人近くのメンバー数で歌った。
大人数での歌は又別の感動がある。



 ホテルに戻っての打ち上げは20テーブル以上の大パーティーとなった。
 亀井先生の全体講評では、久し振りの上海の参加について喜んでいただいた。
かつての衝撃的登場伝説にも少し触れてくれた。
しかし、テーブルを同じくした他の団の奥様からは、「上海は初参加ですか?」と言われた。

亀井先生の講評。


各団の余興が繰り広げられた。

 パーティーは4時間以上の11時過ぎにお開きになったが、次回開催を引き受けたバンコクを中心に会場に残り更に12時に追い出されるまで、愛唱歌を歌い続けていた。

我が団も反省や今後の活動について話が盛り上がり、メンバーの部屋で午前2時頃まで話が弾んだ。
中には3時過ぎのチェックアウトをしなければならなかった人もいたのに。



 
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2/15 アジ祭前夜祭

2013-02-15 23:40:20 | フィリピン2013.02
 
フィリピン名物のジプニー、ダバオと比べると質素な飾りだ。

 朝、9時前に宿をチェックアウトして、アジ祭のベースになるマンダリンオリエンタルホテルに移動した。
チェックインは午後2時からなので、荷物を預けた。
ホテルに着いた時、偶然上海の仲間と会った。
荷物を預けて彼らと一緒に観光に出た。
ガイド付きツアーだ。
コースは昨日私の歩いたところも重なったが、行こうと思っていた博物館が入っている。

イントラムロス内のスペイン風の住宅。
 
 午後1時過ぎにホテル近くに戻り昼食を取った。
日本の和民が最近開いた店だ。
日本と違って高級路線のようで価格が全般に高かった。
マカティの町は新しいビジネス街なので、マニラ市内とはまるで違う雰囲気だ。

ホテルの窓から。

 夕方5時からホテル一階のホールで合同曲の練習。
その後、前夜祭。
見回してみると、顔ぶれが大きく変わっていることに気付く。
ここ二三年参加していなかったので当然だろう。

合同曲の練習風景。

 明日に備えてアルコールは控えて9時過ぎにお開きになった。
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