片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

3/25 帰国 3/26 キリマンジャロ登山申し込み

2014-03-30 23:05:16 | 2014 上海

太子湾公園入り口で写真を撮る、奇抜なシャツを着た女性2人。

 朝9時、小王がホテルに迎えに来てくれた。
10:14発常州行き、紅橋駅を通る。
その前に10時丁度発の紅橋行きがあった。
切符を買うときには気付かなかった。
紅橋駅には11:28に着いた。
空港第2ターミナルには歩いて行けるようだったが、第1ターミナルには地下鉄に乗らなければならない。
ANA13:55発羽田行き。
羽田から娘のアパートへは30分程度で着く。
成田よりズッと楽だ。
娘は帰っていて、2人で近くの焼き鳥屋で夕食とした。

 翌日は新橋の旅行社へ行き、7月のキリマンジャロ登山の仮申し込みをした。
予定していた7月4日出発は既に募集枠の14名の申し込みがあり満席となっている。
次の18日出発の10日間と7日出発12日間に申し込んだ。
しかし、12日間は催行の可能性が低いそうだ。
4日出発もキャンセル待ちした。


上野公園の桜。まだほんのチラチラだ。


帰りの東海道線車内で見付けた、御前崎市に新しく出来た道の駅「風のマルシェ」の中吊り広告。
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3/23 杭州

2014-03-28 16:36:34 | 2014 上海

 紅橋発9:30の高速列車で杭州に向かう。
以前の社員、小王が迎えに来てくれるというので到着予定を電話する。
列車は1時間12分で杭州駅に入った。
私の住んでいた最後の頃開通したが、当時は上海南または上海駅発だったように記憶している。
その前は快速でも2時間以上掛かっていたことを思えば近くなったものだ。

 彼の車、この車は私が使っていた物だからもう10年近くなる、で彼のアパートへ向かった。
彼は以前住んでいた市北部から下沙へ越している。
銭塘江に沿って新しい道が出来ている。
20分ほどで彼のアパートに着いた。
2年前に購入した新築だ。
まだ内装工事中の部屋が沢山あるようだ。
彼の部屋は26階、奥さんの希望らしい。


26階のベランダからは銭塘江が見えて景色は気持ち良い。

独身時代に70万元で購入した、市内の古いアパートが150万元で売れて、その中から30万元の残債を完済し、残り120万元で新築を購入した。
よって、現在はローン負担なしだそうだ。
下沙は開発区が出来て、工場だけでなく大学も沢山出来たので、今では市内から地下鉄も通じている。
しかし、アパートは供給過剰で値下がりして、彼の部屋も今では100万元を下回るらしい。
彼の奥さんの両親が、彼たちの子供の面倒を見るために上海から移ってきて、近くの同じようなアパートを90万元で、昨年購入したそうだ。
彼の子供は6ヶ月、彼によると、彼の奥さんは仕事があるので子供の世話はほとんど出来ず、日中は親に預け、夕食も彼女の親の家で取ると言う。
見ていると奥さん以上に彼の方が世話できないように見えるのだが。

 近くのレストランで昼食の後、彼の車で市内に向かった。
来るときの道が、回るように、市内の文一路まで戻っている。
ホテルは、西湖と浙江大学の近くにある百合花酒店。
古いホテルで一度泊まってみようと思っていた。
確かに建物は古いが、値段260元の割にはきれいだ。
しかし、今時Wi-Fiが設備されていない。
大学関係の客も多いだろうに。
荷物を置いた後、西湖を散策した。


蘇堤の柳が芽吹いて、新緑を輝かしている。
カメラの調子が悪く、ピントが合わない。

土曜日と言うだけではないだろうが、満員の観光客で、とても湖畔を楽しむような雰囲気ではない。
仕方がないので、杭州飯店、シャングリラホテルのテラスでコーヒーを飲みながら、夕食までの時間を潰した。
夕食は、かつての社員達が何名か集まってくれた。
中の3人に昨年の秋子供が生まれた。
10歳の子供がいる、先輩2人が色々アドバイスをして賑やかに食事が進んだ。


文二路のレストラン外婆家の前で。
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3/20  幸先良い旅立ち?

2014-03-25 22:05:07 | 2014 上海
 成田には出発の2時間以上前に着いた。
早目にイミグレーションを済ませて中に入った。
免税店で買う物もない。
人民元の持ち合わせが百元ちょっとしかないので両替をする。
出された金を数えずにそのままポケットに入れた。
搭乗口まで戻って、手持ちの人民元と一緒にしようとしたら、百元札が1枚足りない。
受け取った時、数えなくてはと一瞬思ったが、ここは日本だ、大丈夫だ、との思いでそのままポケットに突っ込んだ。
この旅は、最初からこれでは心して往かねば、と苦い思いが湧いてきた。
本を読んでいると、直ぐ近くで、若い女性が嬉しそうな顔をして私を見つめて立っている。はて?と思って顔を見ると、「お客様
」と封筒から百元札を出した。
カウンターの下に落ちているのを次の客が見つけたそうで、人民元の両替は私しかいなかったので、中国行きの搭乗口を見ながら、一番遠くの反対側まで探しに来てくれた。
相手のミスにしてしまった自分を恥じた。
これは日本以外では起こり得ないことだろう。

 離陸は、悪天候で2時間近く遅れた。
これでは上海に着いた後、町までのバスも地下鉄も無くなってしまう。
隣の人懐こそうな男性が話し掛けてきた。
彼は古北で、私のホテルの先だ。
それではタクシーをシェアーしようということになった。
彼は私と同い年で、中国を中心にアジアでコンサルタントのようなことをしているらしい。
しかし、渡された2枚の名刺は電子部品の2つの会社のそれぞれ代表取締役となっていた。
私のホテルに着いた時、メーターは2百元程になっていたので、百元札を渡そうとしたら拒まれた。
名刺を頂いた後だったので、ありがたくお礼を言った。


ホテルの前の路地。

 翌朝、朝飯で外に出た時、宝くじも売っているスタンドで上海の地図はないかと訊くと、1枚渡してくれた。
上海市観光局発行となっているが、金はいらないと言う。

 ホテルのWifi が繋がらない。
フロントの男が親切に色々やってくれたがダメだった。
  
 どうも、皆さんから世話をやかなければならない年齢に看られるようになったと言うことか?

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